2007/08/21

眼光紙背に撤す

我々が学生の頃、開祖が法話で話された一つに『眼光紙背に撤す』と言うものがあった。始めは何の事か分からず漠然と聞いていたが話が活況に入る頃にはウーンと呻ると言うよりは、感心することばかりだった。その時ばかりではなく開祖宗道臣の話はいつも引き込まれる内容だったが、今にして思えば独自の視点と経験を通しての話には説得力にあふれていた。

眼光紙背に撤すと言うことわざの持つ意味は『行間を読む』と言う意味が最も近いのではないか。英語にもこの様な言い回しはあり、"Read between the lines" と言う。これらの言わんとする意味は伝えられても実際の『眼光紙背に撤す』は容易な事では得られない。

現実の社会に現れる政治や経済、そしてその他諸々の現象は表面に見られる情報とは往々にして随分かけ離れているか、時として全く逆の真実が隠されて居る事があるからだ。それらの事を今現在おきている世界の事に当てはめて説明しようとすると、特に政治の世界などは随分と生臭いものになってしまい、その意図する所を伝える事はなかなか難しいのも事実である。

今日のように情報があらゆる世界で溢れていても、そのソースが正しいかどうかは全く保障の限りではない。極端な例になるが同じTVニュースでもアメリカのFoxやCNNと中東のAl Jazeera では180度違った見方が出てくる。特に中東情勢など政治的な分野においては双方の主張は全く逆になる事がほとんどである。

どちらの主張が正しいかはなかなか読み取る事が難しいが、相反する二極の主張ばかりでなく独自のスタンスを取るフランスTVやどちらかと言えばアメリカにより近い英国のBBCもその判断の参考になる。

今日では衛星放送による英語のニュースがこれらの国々で24時間発信されるようになったとは言え、視聴者が往々にして表面に現れる映像や文面に流されやすい事は洋の東西を問わず同じであると思う。逆にそれを充分に計算できる人間にとっては世の中を上手く扇動したり、利用してビジネスにも成功する者も出てくる。

最近の日本で普通に信じられて居る情報として『日本国内で生産された牛肉はBSEの全頭検査が義務付けられているから安全である』しかしながら『アメリカから輸入される牛肉は生後20ヶ月以下は安全と言っても抜き打ち検査であり、どこまで検査や管理が行き届いているか信用できない』と言うのが社会的な雰囲気である。アメリカが90年代からBSEの監視を続けてきた事は余り知らされていない。(生後20カ月以下については2008年8月以降、国の全額補助が打ち切られるので日本でもアメリカと同じ抜き打ち検査になる可能性が指摘されている。)

ご承知のように初めにBSE問題が起きたのはイギリスである。その後英国内でも厳しい検査体制が敷かれ現在ではこの様な問題は起きていない。その後ヨーロッパ各地で同じ様なBSEの牛が発見されEU域内でも英国と同等の監視体制が定着している。日本で安全と言われる牛肉だがBSE発生数ではアメリカの3頭に対して日本は25頭くらいではなかったかと思う。その中には和牛も含まれていた。

別にアメリカを弁護するわけではないが、日本で飼育される牛の数 430万頭に対し、アメリカの12000万頭と比較すれば、必ずしも日本の方が安全だとは言い切れない。

この様に表面で流される情報には関係機関(生産者)や行政の都合でかなり色付けされている事は度々目にする。BSEに対する正確な情報よりも感染する恐怖心や、それらに対する険悪感を適度に信じさせていた方が好都合(利害関係者)な人達が国内に少なからず居ると言う事である。

80年代初めに日本に帰国した時に東京で献血をした事がある。しばらくしてBSEが問題になった以後は英国に6ヶ月以上滞在した者は献血できないと言われた。それが現在では「1日の滞在もダメ」と言う事である。なぜ英国滞在者だけなのか?フランスやアイルランドなどといった国も英国同様に多くのBSE感染牛が報告されているいう事実があるのに。

正確な情報があればこの様なばかげた措置はいかに無駄な事か理解できると思う。それ程BSEが危険と言う事であれば英国では国内での献血を受け付けないのか?とっくに患者が蔓延しているはずだが現実にはHIV患者よりはるかに少ない例しか報告されていないのに。と言う事で英国連盟OB拳士は日本国内での献血は免除されます。*注

ついでにもう一つ、ちょっと政治がらみで申し訳ないが自衛隊がイラクに派遣される時に『戦争をしに行くのではない。人道支援でイラクの人達に対する復興支援が目的である。』と言われていたが、今となっては誰も信じて居る人は居ないのでは?

現在、航空自衛隊がやっている支援は復興支援でも人道支援でも無くアメリカ軍に対する後方支援活動になっている。決して自衛隊の派遣された隊員達に文句を言っている訳ではない。日本政府の命令と有らば個々の自衛隊員の責任が攻められるはずも無い。又現地へ派遣された隊員諸氏の真摯な取り組みも伝わってくる。

日本政府がアメリカの方針に協力した訳だが現在の憲法の制約上、人道復興支援といわなければ国民感情の上からも出せなかった事が時間の経過と共に分かってきたと言う事ではないか。これなどもまさに開祖が言いたかった『眼光紙背に撤す』と云う事がいかに難しい事であるかが良く分かる一例ではないかと思う。

より多くの正確な情報が普遍的に流されるという事が一般の国民にとっては大切な事である。しかし同時にこれはどこの世界であっても非常に難しい課題でもある。だからこそ我々は普段から確かな耳目を持つ努力をしなければいけないと理解している。

*注 正式には1980~1996年に1日以上滞在、1997~2004年に6ヶ月以上滞在した人が献血できない。

2 件のコメント:

  1. 大学生の頃は、400mlの献血を年に3回していたこともありましたが、ちょうど1994年~95年に渡英していた僕は、今では大学前や駅で見かける献血の呼びかけに残念な気持ちを抱いております。
    厳格な制限を加えた結果、現在では血液のストックが100%でない状態であるという話を聞き、あまりに疑心暗鬼すぎるのではないと思う半面、どんなに確立が低かろうが、その当たってしまった人には100%でしかないことを思うと、物事はとかく黒か白かではっきりと分けることが難しいと考えます。

    グローバル化の波にさらされた日本では、とかく「あいまいさ」が批判される傾向にありますが、僕自身最近感じるのは、その「あいまいさの否定」がその時の世論や感情に流される危険です。

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  2. 視点を色々持つと言うことが別の見方も可能になると思うのです。しかし限られた情報の中で正しいものの判断が出来るか?と言えば難しい事も確かにあります。我々に出来ることは多様な価値観を持ち、表面に現れた映像や言葉だけに操られること無く冷静に個々の問題に向き合う事だと思います。言葉では簡単ですが現実には早々簡単に出来るものではないと言う事も承知しています、開祖が危惧した自身の戦争体験を通しての人間の危うさ(限られた情報に乗せられ易い)が、この言『葉眼光紙背に徹す』に現れているように思います。久しぶりの投稿に感謝します。

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