2007/02/09

貪欲に強さも追求すべし!

少林寺拳法とは何ですかと一般の人に聞いたら『武道!』と答える人がほとんどでしょう。
少なくとも自分の周りにはその様な認識の人がほとんどではないかと思う。

ただ我々少林寺拳法をしている者はそこで何と答えるであろう?
チョット複雑に考え込んでしまう拳士が居るかも知れない。

それは開祖 宗道臣が残した『少林寺拳法は単なる武道やスポーツではない、宗門の行である』と言う言葉に一言では表せない困惑を感じるからではないだろうか?

では開祖はこの言葉の中に『武道ではない!』と言う意味の言葉を少しでも言っているのであろうか?
逆説的に考えてみれば答えは出てくる。

『単なる』と言う言葉が独り歩きして、いかにも開祖が少林寺拳法が武道であることを否定しているように感じてはいないか。

中身をよく検証すれば金剛禅門信徒の、修業の為の、宗門の行、そして修行の為の武道である事は明白であるし、どこも否定していないと思う。つまり武道なのだ! 開祖が言いたかったのは『「精神性の全く無い安っぽい格闘技」「勝敗の結果みが全てのスポーツ」であってはいけないよ。』と言う事ではないだろうか。 武道家の陥り易い問題点を『単なる武道ではない』と言う言葉に託したのだと思う。 だからと言って『少林寺拳法を修行するものが強さを追及しなくても良い』と言うものではない。

以前、少林寺拳法をやっている拳士から、「強くなった気がしない。」とか「他の武道の方が強くなれるのでは無いか?」と言う言葉を聞いた事がある。これは単なる言い訳にしか聞こえない。自分が真剣に人一倍 の練習もしていないくせに、その言い訳として少林寺拳法のせいにしているのだろう。もし本気にそう思ったならば少林寺拳法などやめて、そう思える武道に行くべきだ。真剣に練習しないで言っているのであれば、どんな武道や格闘技を練習しても決して 強くはなれないと思う。武道の流派が人をチャンピオンにするのではない、強い人は元から強い!それらの才能ある人だけがゲーム(試合)においては一定のルールの下でチャンピオンになれるのだから。

少し矛盾した例えになるが、格闘技に限らずおよそどのスポーツでもその競技で一流と言われるアスリートは努力とは別の才能(タレント性)を持っている。同じような努力をしてもこれらの人は一般の人より秀でた成績を残す。オリンピック等では同様の才能に磨きを掛けたアスリート達が力と技の限りを尽くした白熱した試合を繰り広げる。普通の人が彼らと同じように練習しても、カールルイスやモーリス グリーン、マイケル ジョンソン等のような世界記録は出せないであろうし、それどころか、その場に行く(参加する)事すら出来ないであろう。

つまり『少林寺拳法で一生懸命練習しましたがK-1の選手と試合して勝てる自信がありません』と言うのと意味は似ている。恵まれた運動能力があるだけではダメであろうし、人より強くて大きな体もプロの格闘家としては必要な条件だろう。この様な鍛え抜かれた競技者(アスリート)とK-1等のルールで試合をして勝つ事など、普通の人が町道場で 武道を少しくらいやっても、そしてそれがどんな流派の武道であっても結果は同じであろう。

開祖が教えた本当の強さとは、その様な意味の強さでは無い。しかしその言い訳として弱くても良いと言うような軟弱な教えでもないはずである。戒めとしたいのはこの様に『勝ち負けのみにこだわる武道であってはいけない』と言う事ではないだろうか。

厳しい武道としての妥協の無い修練、その結果として培われた体力、そして健康、困難を乗り越える精神力、 負けないからこそ人を赦せるやさしさ、弱いものを庇える包容力、そして正義感に裏打された行動力 『それらを実現する為には力が必要だ!』と何度も聞かされた言葉である。

自分が強くなれないことを少林寺拳法のせいに摩り替えて、言い訳にするのはやめよう。そう言う人は自分のために少林寺拳法をやっていないからではないか?

練習は組織や他人の為にするものでもはないと思う。純粋に自分が強くなるように貪欲に技術も練習したいものである。

10 件のコメント:

  1. メールありがとうございます。
    大学卒業後、拳法をやめていましたが、ロンドン留学でまた拳法も始め、先生や色々な人達に出会い少林寺拳法の楽しさ再び知り、なんだかんだで今年の6月に四段の試験を受けることになりました。強いとかはまだわかりませんが、少なくても拳法は生活を楽しくする糧になっています。
    先生語録を楽しみにしています。

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  2. 大学を卒業してから10年以上も経つというのに、有難くも、未だに少林寺拳法部の飲み会に呼ばれます。
    そうして、10年以上に渡って後輩と語ったりしていると、自分の頃とは違って、後輩が自分のニーズを主張するようになったと感じます。
    そして、そのニーズに幹部が応えられないと簡単に辞めてしまう拳士も出てくるようになりました。
    そのニーズの1つである「強さへの渇望」(例としての乱捕り)に、先輩として、少林寺拳法を修行する拳士として、応えられるだけの技術をもっと身に付けたいとつくづく思います。

    なにより、それによって得られる精神的な「強さ」が、義理の父親との付き合いに苦慮する今の自分にとって大きなニーズになっているので。(笑)

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  3. コメント有難う、そして四段挑戦頑張ってください。
    マサヒコの様にロンドンで拳法に復帰して、
    帰国後も続けていてくれる事を大変嬉しく思います。
    ブリクストンの道場で君が果敢に黒人拳士達と乱捕りを練習していた事を思い出します。
    乱捕りの最中、大声を出したり、笑い声で
    はやし立てたり、彼等のスタイルは乱捕り、
    そして拳法の楽しさを再認識させてくれます。(日本では不謹慎でしょうが)
    そこには勝った、負けたの世界でない独特の
    雰囲気と価値観があります。
    これも強くなる一つの要素だと思っています。

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  4. Chun君コメント有難う。
    もうすぐ結婚ですね。以前大阪での英国連盟
    OB会の席で紹介されて君のパートナーにぴったりの女性だと思いました。
    君もブリクストン支部の経験者だから分かると思うけど、ロンドンの中でも特別に国際色の強い町です。
    ロンドン自体が国際色の強い都市ですが、ブリクストンは中でも一際個性の強い所です。
    その中で培われた貴君の体験は少林寺拳法においても、又、一般社会においても何らかの役に立つことと思います。

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  5. ブログ開設おめでとうございます!
    拳法はもとより、先生の哲学や英国の生活など幅広い「ウェブ法話」を楽しみにしています。

    早いもので、Danceworksでご指導いただいてから4年が過ぎようとしています。
    当時は、意気のいい英国拳士に付いて行くのが精一杯でしたが、地元の道院で復帰し、腰を据えてやり直している中で、ようやく僅かながら先生のご指導の意味がわかってきた気がします。

    がしかし、厄年を迎え体の方が思うように動かないもので、四苦八苦しています(笑)

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  6. Goさんコメント感謝します。
    楽しく息子さんと共に練習に復帰された事を嬉しく思います。
    楽しく練習できてこそ少林寺拳法です。
    又、楽しくなければ上達しません(続けられない為)。
    Goさんが帰国して東海地区OB会が立ち上がり関東、関西に続いて東海地方も充実してきました。
    やっぱり自分の出身地でOB会が増えるのは嬉しいものです。
    今後とも宜しく。

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  7. 合掌 水野先生、

    尾張瀬戸同院の佐々木先生のホームページにおきまして、少林寺拳法の紋章が卍から双円に換わる際に、私の愚痴の様な意見に対してわざわざご丁寧にはるか大英帝国より意見いただき、誠にありがたく存じております。また、貴重かつ適切なるご見解を頂いた事は、私自身恐縮至極で身が竦む次第であります。

    水野、青坂両先生を始め欧米各国の先生方は、少林寺拳法の普及・指導に多大いなる貢献と、「卍」のマークの強い不快感や誤解の渦巻く中、積極的に邁進され、素晴らしい業績を残しておられることと思います。

    私は、未だに未練がましく卍のことを想っております。「卍」の色が変わっていくことを、自らの糧としていた時期もあります。武専でお会いする講師の先生方の金刺繍の「卍」に憧れた時期もあります。私にとって、たかがマーク、されどマークなのです。

    私も、全世界の人々と共に少林寺拳法を通じて仲間となり、世界の平和と福祉に貢献したいと思います。総裁があるTV番組で「少林寺拳法の発祥の地は、日本(四国・多度津)です。」と言われました。ならば私どもは、少林寺拳法の正しさ・素晴らしさを伝えるなら「卍」を捨てるべきではない…と考えます。世の逆風に対して「卍」の正しさ、少林寺拳法の組織を通じた社会活動の中で、組織としての自己啓発活動の一環として「卍」としての正当性を世に堂々と訴えるべきと考えます

    最後に、本山と四国を中心とした県連、他の各県連本部とに隔たりが生じ、スムーズに運営できていないとの噂を聞きます。

    大変失礼な文面かと思いますが、今の気持ちをそのまま述べさせていただきました。本当にありがとうございました。 結手

    再合掌 いち拳士より

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  8. いち拳士殿
    率直なご意見感謝いたします。
    小生も長年親しんできた『卍』が新しいシンボルマークに変わった時は残念な気持の方が強くありました。
    おそらく想像ですがほとんどの拳士が同じ気持ちだったであろうと思います。
    同時に大多数の拳士が愛していたマークを変えなければならなかった本部の苦渋も想像出来ると思います。

    変更時によく言われた『卍はハーケンクロイツを連想させるから海外では使えない』という理由は正確ではないと思います。
    組織が大切にした事は『卍』が国内、海外を通して少林寺拳法のみが使える普遍的シンボルとはなりえなかったからだろうと思うのです。
    ご存知のように少林寺拳法が使う以前に、日本の何処のお寺にも卍はあります。
    ヒンズー教のシンボルも表と裏の両卍です。

    この様に組織防衛上の課題が有って、その上での判断材料の一つとしてあえて欧米でのイメージが良くない卍が変えられたのだろうと思うのです。
    只変更の過程でもう少し丁寧な説明が必要であった事は多くの拳士の感情を考えると充分理解できます。

    あなたも言われているように『全世界の人々と共に少林寺拳法を通じて仲間となり、世界の平和と福祉に貢献したい』素晴らしい思いです、先週末日本から18名の大学拳法部の
    監督、支部長、学生拳士が来英し学生合宿に
    参加してくれました。
    同時に日本と英国の6大学がそれぞれに姉妹クラブを結び、宣言書に署名しこれからの
    より一層の交流と協力を約束しました。

    あなたも是非ご自分の体験として何時か参加してみませんか?
    尾張瀬戸道院の佐々木先生も今回応援に来てくれました。
    結手

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  9. こんにちは、1週間に一度は、ブログを読ませてもらっています、刺激を受けて、私もブログのぺージを作りました。
    やはり水野さんの創った英国での少林寺拳法は日本の少林寺拳法の拳士の方々また他の分野のリーダーの方々に多大な影響を与えていると思います。少林寺拳法をグローバルな考え方に導いていると思えてきます。
    私信ですが、学校教育の中で中学高校の六年間の教育課程のなかに、(内外の学校間の提携によって)一年間は他国での学習課程が必要だと思ってきました
    これが出来れば人間の価値観・世界観・人間観は、相当進歩すると思っています。
    私の考えを表しているかのような、少林寺拳法の新しいシンボルマークの双円は全ての流れが立体的に交差するすばらしいマークだと思っています。
    水野さんの進められてきた少林寺拳法はまさにその具現だと思っています。今後益々のグローバルな多くの少林寺拳士が幸せ運動に、推進されます事をお祈り申し上げます。

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  10. Takagi 君へ

    いつも読んでもらい有難う。
    そして建設的な意見にはこだわりを持って読んでいてくれる事が理解できありがたく思います。
    来週には又高校生の諸君が監督と共に英国に来て合同練習があります、この年代の貴重な体験は人生の宝物になる可能性を秘めております。
    学生がもっと自由に交流できれば、その事事態が大きな相互理解の助けになる事は疑う余地の無いことだと思います。
    日本ばかりでなく英国の学生にも世界を見て
    知って貰いたいと切に願っています。
    日本を訪れた拳士はほとんど例外なく日本が好きになります、それは日本人のホスピタリティーが素晴らしい事だけが理由ではないと思います。
    自分たちの知らない国が、多くの面で価値観を共有できる事を目の当たりにするからだと思うのです。
    そんな訳で小生も貴君の言う、中学、高校の
    内に海外を知る事は大いに賛成です。
    そしてどうせ海外に出るのなら少林寺拳士との交流が出来ればより一層の理解につながる事は間違いないと思います。

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