2019/06/10

日本は世界の先進国?

多くの日本人は概ね『日本は世界の最先端を行っている』と信じている人が多いのではないか。確かに工業製品やファッション等を見ればそれも一理あると思う。しかしながら現実の社会で起きている実態を目の当たりにすると「?」と思わされることが度々ある事も何度か見てきた。

つい最近では日本政府からの要請(指導?)で携帯電話の料金値下げがあった。これ等も本来の自由主義経済の先進国であればとっくの昔に自由な料金設定が選べることが普通である。しかしながら日本においては大手の携帯キャリアが独占的に料金を設定し、談合ではないと思うが明らかに利用者不利の料金体系がまかり通ってきた。

日本国内に住む友人に携帯電話に掛かる料金を聞かされ『なぜシムフリーの会社に変えないの?』と質問したことがある。その時の友人は『シムフリー』と言う事自体が理解できなかった様であったが、日本ではこの様な選択が殆ど紹介されておらず、ほとんどの携帯ユーザーは大手キャリアの料金設定を疑いもなく受け入れていた事になる。

私もそれ程携帯料金に詳しい訳ではないが自分の携帯電話の料金契約はシムフリーであり、1か月の料金は£7.50≒¥1,050と言う具合で日本の様な金額とは大きくかけ離れている事は言うまでもない。この様な携帯電話のキャリア選択肢は英国では非常に多い。ワイフの契約もシムフリーで1か月の料金は£3.50 ¥490でありもっと安い事になる。

海外旅行等に出かけた人達は日本とはかけ離れた料金の安さや、自由な選択が出来る事に気が付いた人も居たと思う。しかしながら日本国内においてそれらの安い料金体制を選択する余地が無い事が今日まで続いてきたことになる。最終的には政府の指導により大手キャリアがしかたなく従う構造(?)にはもしこのまま政府が動かなければまだまだ大手キャリアの傲慢な体制は続いた事であろうと推測できる。

携帯電話ばかりの話ではない。LCCと呼ばれる格安航空の世界も日本での登場は大変遅かった記憶がある。ヨーロッパやアメリカではこの様な格安航空は随分早く90年代中頃から始まっている。

当初はジーンズ姿のキャビンクルー(搭乗員)が登場して料金の安さと相まって随分と話題になった。冗談の様な料金でキャンペーンが度々あり、私も利用したことがある。確か2005年頃にキャンペーンでロンドンからイタリアのベニスまでの航空運賃が往復10ペンス≒15円であった。冗談の様な値段だったが普通の観光旅行には何の問題もなかった。私は息子と2人で参加したが自宅から飛行場までの電車賃の方が遥かに高かった。もちろんこれ等は格安航空が広告を目的としたキャンペーンであった事は言うまでもないが、それらの航空会社をその後も利用したが相変わらず大手の航空運賃に比べれば三分の一以下で飛べるものが沢山あった。

これらの情報は当然の事ながら日本の大手航空会社は知って居たであろう事は容易に想像できた。それらのLCC各社が成功をおさめその後も多くのLCCが登場したわけである。しかし日本のマーケットと言えばLCCが登場したのは遥か後の事で2010年頃まで待たねばならなかった。それも近隣諸国からのLCC乗り入れ圧力があって初めて日本の航空業界も動かざるを得なかったのだと思われる。

今一つはIT業界の話である。現在でこそスマホが中心となりLINE等のフーリートークやビデオ会話が日本の社会でも普及してきたが、私がSkypeと言う同様なサービスを使い始めたのは弟子の拳士に紹介された事が切掛けであった。確か2005年頃でありパソコンを使い無料でビデオ会話が出来ると言う事で早速使い始めたことを記憶している。当初はビデオの画質も悪く、通信回線も遅かった事もあり今ほど快適ではなかったが、いかんせんタダで日本や海外と映像を見てパソコン上で会話が出来ると言う事で日本の友人達にも勧めた。それ以前の国際電話料金の高さを考えると非常にありがたかった事を記憶している。

現在の環境はスマホが中心になり欧米での使用が多いSkypeやWhatsAppのみならずLINEが韓国主導により日本で開発されて日本人社会でも普通に使われる様になってきた。これ等は全くのパクリ文化の国が先にやった訳で日本もその恩恵にあずかっているわけであるが、NTTをはじめとする大手のキャリア等はとっくに欧米でのフリービデオ通話等の利用状況等は知って居たであろう。

この様に見てくれば日本社会が抱える問題点は、世界の先進国どころか近隣諸国の方が先に取り入れている事が分かる。これらは何を意味しているのか。日本国内の大手の事業者と官僚、政界の談合(癒着)の体質ではないだろうか? 一頃アメリカの同様な問題点を軍産複合体(Industrial military complex)と呼び批判的な日本のメディアが紹介する記事を何度か目にした事が有った。ネオコンと兵器産業そして政界の繋がりを意味した言葉ではあったが、見方を変えれば日本社会の現状も兵器産業でこそないが仕組みとしてはアメリカの軍産複合体と似たような構造である事が理解できる。

日本のマスコミがこの様な問題点を指摘している記事を見た事が無い。マスコミ関係者にとっても見て見ぬふりをするならば、それ等を言い換えれば『寄らば大樹の陰』と言う事なのであろうか? その様な一般市民の利益を代弁しない報道姿勢は、マスゴミやフェイクニュースと呼ばれるのが昨今の状況である。

2019/06/06

この強さは何だ!信じ難いボクシングKO劇

井上尚弥と言う稀代まれなボクサーが活躍している。

つい先日はグラスゴーで行われたWBSSの準決勝で、モンスターNaoya Inoueとのキャッチフレーズで紹介され注目していた。その試合は井上と言うボクサーの圧倒的強さを世界中のボクシングファンに強烈に認識させる場となった。井上尚弥 WBA世界チャンピオン 25歳16戦全勝14KO驚くばかりの結果ではないか。

日本は軽量級の世界では多くの世界王者を輩出しているボクシング大国である。しかしながら井上尚弥が見せるその強さは、観るものを感動させる凄さかもしれない。試合後の井上は普通の顔であざ等もほとんど見た事が無い。たった今世界王者戦を戦った選手の顔とはとても想像できない様なきれいな顔なのだ。

日本ボクシングが世界チャンピオンを輩出して久しいが、歴代王者の中にも優れたボクサーは確かに居た。しかし現在の様に多くのボクシング団体が出来てどれが本当の世界王者なのかが良く分からなくなっている。同じ階級の世界チャンピオンが2人も3人も居れば当然の事ではないだろうか。

井上はすでにWBC世界ライトフライ級王者、WBO世界スーパーフライ級王者、現WBA・IBF世界バンタム級王者と言う世界3階級を制覇したチャンピオンである。WBSS(World Boxing Super Series)において井上は準決勝の場においてまざまざとその強さを見せつけた。今や彼は極東の生んだ地味な世界チャンピオンではなく、紛れもなく世界から注目を浴びる最強の存在である。

ボクシングの4団体(WBC、WBA、IBF、WBO)が唯一の世界王者を!と言う理由からスタートしたと聞く。イギリスも過去に数多くの世界王者を輩出して来たボクシング大国である。目の肥えたファンも数多く、グラスゴーで催された今回の準決勝は世界中のボクシングファンの耳目を集めた事は言うまでもない。その本番で見せた今回の2ラウンドKO劇は改めて井上の強さを際立たせる結果となった。

今回対戦したIBF世界チャンピオンのエマヌエル・ロドリゲスも19戦全勝(12KO)と戦績はかなりのものである。そのロドリゲスが僅か2ラウンドでTKO負けをするとは戦前の予想は無かった様に思う。今後の戦いから益々目が離せなくなりそうだ。『岡山のおばーちゃん 大和魂』(ちょっと古いか!)と叫んでいた世界チャンピオンも居たが、次元が異なる強さを見せてくれた。

頑張れ井上尚弥。

2019/05/22

右ハンドルのFordマスタング(アメリカ車)が意味するもの

最近ロンドンにおいて時々「おや!!?」と思ったのは右ハンドルのアメ車を見た時だ。なぜ「おや?」なのかと言えば、アメリカ車ではこれまで右ハンドルというものを見たことが無かったからである。もちろんドイツや英国で生産されたFordやGMの車は、英国で販売される場合においては確かに右ハンドルも普通に存在したが、それらは典型的な欧州車であり比較的小型車が多かったので特段気にも留めなかった。

しかし今日「おや!?」と思った車は典型的なアメリカ車を代表するようなFordのマスタングである。これらはヨーロッパで造られた車では無いのではないか!?と言う事が頭に浮かんだ。もちろんドイツや他のヨーロッパ諸国で造られていても何の不思議もないが。

以前にも述べたと思うが英国では左ハンドルの車は基本的に異端である。大陸から来る輸送トラックや、短期間旅行等で持ち込まれる大陸からの左ハンドル車は確かに時々見かけるが、英国に住むオーナーが左ハンドルの車を所有する事はクラッシックカーかビンテージカーを除けば見る事はまず無い。

単純な理由は日本と同じ交通ルールであれば、左ハンドル車の危険度は当然ながら右ハンドルに比べて高くなることは言うまでもない。保険料なども当然のことながら左ハンドルの車を所有していればかなり高くなる。以前ブガッティ―ヴェイロンの右ハンドルを見て驚いた事を紹介したが、何億円もする車でも右ハンドルは存在することを改めて認識させられた。

不思議な事に日本では現在でも街中で左ハンドルの欧州車に出くわす事が時々有る。 英国と同じ左側通行の国なのになぜ使いずらく、危険度も高い左ハンドルなのであろうか?もっとも最近ではメルセデスやBMW等でも比較的右ハンドルの車種が増えてきたと感じるが。

しかしである、それらの車であってもトップクラスの車種、メルセデスで言えばマイバッハやSクラスのAMG、BMWでも7シリーズなどの車種、はたまたフェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ等と言った高価格車には相も変わらず左ハンドルが多い気がする。

ロンドンの街中でその様な車はまず見掛ける事は無い。日本では時々見かけるこの様な左ハンドルの車は運転上のリスクのみならず、駐車のつど道路際には寄せられず(ガードレール等でドアが開かない為)当然のことながら道路中央側にせり出して止める羽目になる。他車や自転車乗りには迷惑極まりない。

ではなぜ日本では未だに左ハンドルの車が大手を振ってまかり通っているのであろうか?車のオリジンが左ハンドルの国だったからそのまま受け入れているとは思えない。外車=左ハンドルと言う認識が高いせいか?

確かにヨーロッパのほとんどの国は左ハンドルであることは事実である。オリジナリティを壊したくないので不都合を受け入れている?その様な事を言う人達も居る。車のオリジナルのデザインが左ハンドルで設計されている為、右ハンドルに変えた車ではアクセルやブレーキペダルの位置が変わり、運転しづらいと言う意見もあった。だがそれが事実であったとすれば日本車がアメリカをはじめ左ハンドルの欧州諸国でこれ程までに支持されると言う事は説明できないと思う。

以前東京で左ハンドルのロールスやジャグアそしてMiniを見た事が有る、これらは何を意味するのであろうか?言うまでもなくロールスもジャグアもミニクーパーも英国オリジンの車であり右ハンドルのはずである。

人と異なる車(外車)に乗っている事をアピールする為には、左ハンドルの方が良いと思っているオーナーが多い事が本当の理由ではないのか? 最近でこそポルシェの右ハンドル車も時折見かけることがあるが、それでも少数派でしかない。

この様な現象をCar Graphicの初代編集長 小林彰太郎氏に質問した記者がいた、氏は間接的に否定的な意見を述べていた。言われてみれば外車を中心に編集されていたCar Graphicであれば、その広告の多くを外車の輸入元が占めていた事からも直接的な否定は難しかった事であろう。しかしその時の氏の返事は『言うまでもなく日本で左ハンドルの車を運転する事は危険なだけでは無く不都合な事が多い』と言うような内容であった。直接的な外車とそのオーナーの批判を避けたい事は雑誌の営業上の理由からも十分理解できた。

1960年代当時から英国や欧州各地でサーキット走行のみならず街中でも実際にハンドルを握り、テスト走行をされた経験が日本で左ハンドルの車を運転することが如何に無益な事かを肌で感じていたであろうことは容易に想像がつく。

その様に考えてみると日本の路上を走る外車(この場合は左ハンドル車)のオーナーはプライドと差別意識の中で、あえて不都合な部分には目をつぶっている事が考えられる。別の見方をすれば根底には相も変わらず外国車に対するコンプレックスがあるのか?と邪推したくもなる。日本の車が世界中で多くの賞賛と信頼を得て、世界で最も多くの車を生産する国の代表格でもある日本において相変わらず外車(左ハンドル車コンプレックス)と言うのでは余りにも情けないではないか。

ロンドンを走るマスタングにBritishはアメリカ車にも右ハンドルを要求している事が新鮮だった。アメリカとの貿易摩擦で日本車がそのやり玉に挙げられてはいるが、貿易不均衡を日本政府に言う前に、ではなぜアメリカで生産された車が日本で売れないのか?『もっと日本人の要求に合う車を作るべきだ!』と主張してみてはどうだろうか、その一つが『右ハンドルの車を生産しなさい』日本はアメリカや欧州のみならず輸出する国の実情に合わせて生産している事をMr.トランプにもはっきりと伝えた方が良いのではないかと想像したが、それでも中々売れないだろうなぁアメ車・・・それ(外車)を買う人達が左ハンドル車を有難がっているのが実情であれば。

2019/05/05

新たな門出、令和に少林寺拳法をどの様に伝えるのか

何度かこのブログを見ていると言って頂いた人たちから、『もう更新はしないのですか?』と問い合わせを頂いた事もある。まずは長らくこのブログを更新しなかった事をお詫びしたい。

最後にブログを更新した時からすでに2年もの時間が流れた事になる。時代はその間に平成から先日新たな元号の「令和」に代わった。我々の活動もその間においても続いていた事は変わりない。

毎年のことながらIKAの行事で加盟国の拳士を対象とした講習会や大会も開催されている。その様な中にあって参加国も少しずつではあるが増え、現在では9カ国になっている。

この間にIKA加盟国はインドネシア連盟(Porkemi)、香港が新しく加わり9カ国となった。これまでのIKABSKFを含めどちらかと言えば拳士数や支部数においても大きな国の連盟は無かった。

しかしながら昨年の11月に新たに加わったインドネシア連盟は支部数や加盟拳士の数においては圧倒的に大きな組織である。私もWSKO理事の時代には2度ほどインドネシアを訪問したことがあるが当時から組織も際立って大きく、立派な本部道場があり日本の組織に勝るとも劣らないナショナルな連盟であった。

組織運営においても連盟内にCongress(代表者による議会)が有り、すべての重要議案が民主的な運営で行われて居たことは強く印象に残っている。

開祖存命中から日本以外で最初に設立された国の連盟がインドネシアのPerkemi(兄弟姉妹と言う意味らしい)で1960年代中頃に活動が始まり現在に至っている。その様な長い歴史を持つインドネシア連盟がなぜWSKOから離れ,我々のIKAに加わる事になったのか?今もって定かではない。

ただ一つ言える事は、この度のIKA参加は、我々から彼らに働きかけたものではない。前のPerkemi時代に連盟会長職を長年務められたティンブルさんから、話を聞かせて欲しいと打診があった事がきっかけである。IKAの規約も送りその内容をCongressで話し合ってもらった結果、IKA加盟と言う結論に達した様である。

ティンブル代表はインドネシアでは最も名の知れた弁護士である。BSKFとWSKOとの名称問題についても十分理解されていた。その事も彼らが安心してIKAに加わる事を決断した大きな要因ではなかったかと思う。かつてお会いしたインドネシア連盟40周年記念式典の時にも、気軽に冗談を飛ばし周りを楽しい雰囲気に包む人柄であった。

まだまだ我々のIKAは発足後3年半と言う発展途上の団体である。しかしながら運営に於いてはインドネシア連盟も満足(納得)できるシステムである事は、今回の彼らの行動が如実に物語っている。

新しく立ち上げたインドネシア連盟はPorkemiと呼ぶとの事である。彼等の新組織が立ち上げになる式典にはインドネシアの国営放送局も取材班を送り、それをニュースとして流したようである。私も出席を要請されたが時間的制約もあり、ビデオメッセージと言う形で参加した。その時のニュースはYouTubeで誰でも見ることが出来る。

開祖宗道臣が残した少林寺拳法をどのような形で後進に残していく事が出来るのか、私達少林寺拳法関係者に課せられた大きな課題である。




2017/05/11

素晴らしいIKAスペインの大会と講習会

ゴールデン・ウィーク真只中の4月の29日、30日の二日間スペインはバスク地方にあるベアサインと言う街で2017年度のIKA大会と国際講習会が催された。
昨年度のチェコから引き続き、今回のIKA大会にもヨーロッパ各地のIKA加盟国や日本からも9名の参加があり非常に盛大な催しとなった。

ベアサインと言う所は日本では馴染みの薄い場所であるにもかかわらず、この様に日本からも応援に駆け付けてくれる指導者や拳士が居る事に、主催するリーダーや拳士達の喜びは、我々にもひしひしと伝わってくるものが有った。

海外から高段者の先生達が参加してくれた事に主催する指導者が喜んでくれる事は過去に幾度も経験して理解していたが、今回のベアサインをあげての歓迎は指導する側の我々にも色々な驚きと新しい発見が有った。この様な経験は参加した拳士のみならず、IKA指導者にとっても非常に大切な経験値となる事は間違いないと思われる。

前回のベアサインは25年程前に訪れていて、当時はWSKO指導員、理事としての訪問だった。その当時から一所懸命に少林寺拳法の普及に努めていたバストス支部長が私に自身の道場を見せ、少林寺拳法の普及を熱く語っていた事を記憶している。海外の指導者には珍しく早くから専有道場をもって拳法の普及に努めていた姿を思い出していた。

あれから年月が過ぎ、我々は共にWSKOとは異なった組織で拳法を指導する立場になった。海外から多くのIKA指導者や拳士の参加に加え、彼の支部が35周年を記念することも重なり、大いに充実した催しとなった。指導者である我々が一番に感じた事は、拳士の年齢バランスが非常に良い事だった。大会には年少者から年配の拳士まで幅広く参加しており、彼らの運営の素晴らしさを日本から参加した指導者のみならずヨーロッパの指導者達も実感したと思う。


今回の大会の中で地元新聞社(リンク先)TVメディアの取材も有った。私もTVでのインタビューを受けた。永らく日本からの指導も受けられなかった彼らが、ここまで少林寺拳法を技術のみならず、教え(哲学)においてもしっかりと伝えていた事を評価したいと思う。大人から子供の拳士に至るまで幅広い年齢層に受け入れられる為には、しっかりとした哲学が無ければ続けて来られなかったであろう。



満席の観客からも惜しみない声援が送られていた事は大変印象的であった。指導者の信念は大会の運営にも見る事が出来た。会場の正面には開祖宗道臣の写真が飾られ、彼らの創始者に対する敬意の程が伝わってきた。どこの講習会や大会に行っても同様な光景は共通した思いである。今では日本の方がこの様な行動は少ないのではないかと感じる程である。


大会は無事終了して、講習会も大変熱心な取り組み方である。私は有段者の2段以上を指導する機会を得たが、痛い技が連続する練習にも尻込みする事もなく皆必死の形相で休憩する拳士は一人も居なかった。指導する側のこちらが気合を入れられて居る様なもので、ついつい指導にも熱が入って練習時間はあっと言う間に過ぎて行った。この様な経験は自分達が少林寺拳法を始めた当初の指導者講習会を思い起こさせる様で懐かしくも嬉しい時間であった。

バルセロナ市庁舎
2日間の日程も無事終了して、我々は次の都市バルセロナに向かった。日本から今回のIKA大会に参加していた日本護身拳法連盟の吉永代表一行は、バルセロナ市と姉妹都市関係にある神戸市から『神戸市を代表して表敬訪問し、民間交流の絆を深める』と言う重大なミッションも担っていた。来年が姉妹都市提携35周年に当たると言う事で、我々の訪問は民間交流(社会貢献)と言う拳法の理念にも叶うとの思いもあり、IKAもその一翼を担うことが出来嬉しかった。
バルセロナ市を表敬訪問

拳法と言う共通の理念の下、IKAはこれからも宗 道臣の掲げた『理想境建設』を忘れる事無く一歩一歩前進して行く所存である。バルセロナ市庁舎を訪問する前に日本総領事からもお招きがあった。IKAの由来を聞かれ、拳法ファミリーとしてBSKFも日本護身拳法も同じ教えの下、協力して社会貢献できる人材の育成の為皆が努力している事を説明した。総領事からは『これからも民間交流でより一層盛り上げて頂きたい』との言葉を頂いた。

我々IKAに託された役割は益々大きくなってきた様に感じる。拳法ファミリーとして恥ずかしくない様今後とも頑張っていきたい。

在バルセロナ日本総領事と

2017/03/22

フェイクと真実

アメリカの大統領選挙から始まり、新しい大統領に選出されたドナルド・トランプ氏が既存のメディアに対して、フェイクニュース(偽のニュース)を流されるとしてインタビューを拒否している姿が報道され、多くの人達が驚きの視線で事の成り行きを見守っている。CNNやNew York Times、Washington Postと言った大手のメディアに対するこの様な態度はこれまでの政治家では見た事が無い。

トランプ氏の言い分では彼の言葉を正確に伝えない、又氏と意見が異なる場合においては、事実認識が異なる全てのメディアが『フェイク』と言う事らしい。大統領の発言や真意を伝える主席報道官にも厳しい質問が浴びせられるが、大統領のお眼鏡にかなった(政権に肯定的なメディア)以外はすべて蚊帳の外である。

どの様な政府や組織であれ、少なくとも民主主義国家や組織において、全てのメディアがトップの思いのままに動くとすれば、もはや民主主義など成り立ちはしない。この様なやり方は中国や北朝鮮そしてシリア等の独裁国家を見れば明らかな事ではないか。意外にトランプ氏と中国、北朝鮮のリーダー達は同類な性格で、気が合う人達なのかも知れない。

日本のマスメディアも結構フェイクを見かける。
先日も日本のテレビ番組で紹介されていたフェイクは南太平洋のサモアが紹介された『日本のタクシーがなぜ多いのか?』と言う番組。中古車として輸入されている日本のタクシーが多い理由を『サモアは世界でも珍しく、数少ない日本と同じ右ハンドルの国』と言う解説が有った。これ等も完全にフェイクである。世界中ではアメリカやヨーロッパの国々を始めとして、左ハンドルの車を使う国の方が多い事は事実ではあるが、『日本と同じ右ハンドルの国は珍しい』等と言う事がいかにフェイクか。

イギリスも勿論右ハンドルの国である、隣のアイルランドもヨーロッパでは数は少ないが右ハンドルの国である。私達が毎年指導者講習会で訪れるキプロス共和国もマルタ共和国も同様、少し考えれば旧英国の植民地だった国は殆どがイギリスと同じ右ハンドルと言う事になる。オーストラリア、ニュージーランド、アジアの国でもマレーシア、インドネシア、インド、シンガポール他いくつもある。アフリカも英国が宗主国だった国は多く皆同じ右ハンドルである。

世界中では50か国近く、世界で三分の一以上の国では右ハンドルが使われており『世界でも珍しい数少ない右ハンドルの国!』等と言うフェイクは、日本人に刷り込みを助長している以外何物でもない。英国は日本の宗主国ではないが、交通システムとしては左側通行の英国方式を導入したのであろう。

今世界中を騒がせているマレーシアでの正男氏暗殺事件でも、これ程映像ビデオや情報が公開されているにもかかわらず、北朝鮮側の言い分は滑稽と言うには余りにもお粗末な言い訳にしか聞こえない。

この国の国民には如何に自由や人権が無視されて居るのか、世界中が見守っている事は言うまでもない。一般市民から政府高官そして外交官に至るまで亡命者が出て居る事を見れば、北朝鮮が如何に酷い人権侵害を犯しているのか子供でも理解できる。自国民のみならず、他国にも同じようなフェイク情報が通じると本気で信じているとすれば、その様な政権の将来は長くは続かないのではないかと思う。

そういえば何処かの団体も『○○○KempoはそのStyle(競技・種類)を示すGeneric Words(一般名称)である』と言う裁判結果が出た後も、『その様な裁判はやって居ない!』と主張されていた様であるが、これなども言ってみればフェイク情報では無いだろうか。

今の時代この様な情報を検証する事は非常に簡単である。『私の言う事が真実である、信じない者は許さない』もしこの様な事が本当にまかり通っているとすれば、何処かの怪しげな団体と同じ評価を下される事にもなるだろう。それがどの様な主張であれ受け取る人達の判断に任せる他は無いが、真実が明らかになった時にそれらを主張した人達はどの様な言い訳をするのか大変興味深い。

2017/03/04

日本と海外、文化と習慣の違い

昨今の日本は2020年に東京オリンピックが催されることもあり、数多くの旅行者が日本を訪れる様になってきた。私がロンドンへ渡る前の時代を考えれば画然たる相違がみられる。自分が住んでいた当時(1970年代の前半)では外国人を街で見かける機会はそれ程多くは無かった事を記憶している。翻って現在の日本では外国人を見かけない事の方が難しい程である。

そんな視点から日本人の文化や習慣等が以前より少し理解されてきた様に思う。

海外から観光などで日本へ行った人達が驚く事の一つに、『天気が良く快晴であるにも関わらず傘を差している人が居る事』があげられる。言わずと知れた日傘であるが日本で生まれ育った者には理解も容易い。日本の女性は特に日に焼ける事を気にする傾向にある。色白が美の重要な要点として尊ばれるのが最も大きな一因であろう。

これとは逆に欧米の(特に北ヨーロッパの国)では、太陽が出て居る時は日焼けをする大変貴重なチャンスである。この機会を逃すと体調管理にも支障をきたす事にもなる。理由も分からなかった渡英直後の頃は、初夏の肌寒い様な日でも、男女を問わず太陽が出ている日には公園のいたる所で水着で日光浴をしている人達を見て驚いた経験が有る。

日照時間が日本等の国と比べれば圧倒的に少ない北ヨーロッパの国々ではこの様な機会を逃す事は無い。又日焼けした人達は健康的に見えるだけではなく、自分にはホリデーを取り地中海やカリビアンのリゾート地で優雅に過ごすことが出来るミドルクラスである、と経済的余裕もアピールして居ると感じているのかも知れない。

逆に日照時間が多く、暑い期間の長い日本や東南アジアの国々では、日焼けして褐色になる事の方が嫌がられる傾向が強いのでは無いだろうか?皮膚がんが心配と言う人も居るかもしれないが、生まれつき日照時間の多い日本や東南アジア、アフリカ等の国々で生まれた人達には、メラニン色素が白人より多い事は科学的にも証明されておりその様な心配が原因とも思えない。自分が学生の頃には日本でも日焼けした男女が幅を利かせた時期も有ったように記憶しているが、今どきの学生達にとっては色白の方が魅力的に感じて居るのであろうか。

欧米文化圏の人達から見て『?』と感じる事でもう一つ、『マスクをする人の数が多い事』が有る。欧米の社会でマスク姿は街中では見かけない。飛行機で日本からロンドンに到着した旅行者が、日本と同じようにマスクをしたまま街中を歩くと怪訝な視線で見られている事が多くの日本人には理解できないのでは無いだろうか。

欧米社会でマスクをする人は、手術をする外科医又は銀行強盗くらいの者だと思った方が良い。『花粉症がひどいので』と言う理由も、日本では理解されても欧米の社会では中々理解されないのではないか。ここロンドンでもヘイフィーバー(花粉症)で悩んでいる人は多い、しかしながらその人達がマスクをしている事は殆ど見た事が無い。飲み薬や目薬で大抵は済ませている。

口元を隠す(手で覆い隠す)しぐさも、日本人の女性にはよく見られるハニカミの文化では無いだろうか。街中で突然インタビューされた女性が、恥ずかしさを表現する時に口元を手で隠すことを普通にする事が、マスク文化につながっているのかも知れない。近頃では韓国や中国、東南アジアの国々でも空気が汚染されている事もあり、マスクをする人達が多いと聞く。日本の文化(習慣)が伝搬された結果と言えるのであろうか?

口元で気が付く欧米文化との違いの一つは、日本では八重歯の人達が男女を問わず多い事も特徴の一つではないか。口元を覆う仕草やマスク文化の人達がなぜか八重歯を堂々と見せ、大笑いしている姿は欧米人には理解できない様である。「なぜ日本人は八重歯を矯正しないのか?」と聞かれた事がある。八重歯の人にはまことに申し訳ないが、欧米文化圏でイメージされるのはあの有名な『ドラキュラの牙』だからだ。日本にドラキュラは居ないので、その様な否定的なイメージが無い事も八重歯文化(?)を残している理由ではないだろうか。

この様に見てみると改めてそれぞれの国には異なった習慣や文化が存在する事が良くわかる。何気なくやって居る習慣が異文化圏の人達には不思議な視線で見られたり、時には嫌悪感を持たれたりする場合もある。ただ日本には『郷に入れば郷に従え』と言うことわざがあり、余り海外でもめ事を起こすと言う事は聞かない。宗教観の異なる国では時には難しい判断(妥協)が必要になる事もあるが、幸いにと言うべきか多くの日本人は一神教の人が少ない事もあり、何処の国でも暮らして行けると思う。