2017/03/22

フェイクと真実

アメリカの大統領選挙から始まり、新しい大統領に選出されたドナルド・トランプ氏が既存のメディアに対して、フェイクニュース(偽のニュース)を流されるとしてインタビューを拒否している姿が報道され、多くの人達が驚きの視線で事の成り行きを見守っている。CNNやNew York Times、Washington Postと言った大手のメディアに対するこの様な態度はこれまでの政治家では見た事が無い。

トランプ氏の言い分では彼の言葉を正確に伝えない、又氏と意見が異なる場合においては、事実認識が異なる全てのメディアが『フェイク』と言う事らしい。大統領の発言や真意を伝える主席報道官にも厳しい質問が浴びせられるが、大統領のお眼鏡にかなった(政権に肯定的なメディア)以外はすべて蚊帳の外である。

どの様な政府や組織であれ、少なくとも民主主義国家や組織において、全てのメディアがトップの思いのままに動くとすれば、もはや民主主義など成り立ちはしない。この様なやり方は中国や北朝鮮そしてシリア等の独裁国家を見れば明らかな事ではないか。意外にトランプ氏と中国、北朝鮮のリーダー達は同類な性格で、気が合う人達なのかも知れない。

日本のマスメディアも結構フェイクを見かける。
先日も日本のテレビ番組で紹介されていたフェイクは南太平洋のサモアが紹介された『日本のタクシーがなぜ多いのか?』と言う番組。中古車として輸入されている日本のタクシーが多い理由を『サモアは世界でも珍しく、数少ない日本と同じ右ハンドルの国』と言う解説が有った。これ等も完全にフェイクである。世界中ではアメリカやヨーロッパの国々を始めとして、左ハンドルの車を使う国の方が多い事は事実ではあるが、『日本と同じ右ハンドルの国は珍しい』等と言う事がいかにフェイクか。

イギリスも勿論右ハンドルの国である、隣のアイルランドもヨーロッパでは数は少ないが右ハンドルの国である。私達が毎年指導者講習会で訪れるキプロス共和国もマルタ共和国も同様、少し考えれば旧英国の植民地だった国は殆どがイギリスと同じ右ハンドルと言う事になる。オーストラリア、ニュージーランド、アジアの国でもマレーシア、インドネシア、インド、シンガポール他いくつもある。アフリカも英国が宗主国だった国は多く皆同じ右ハンドルである。

世界中では50か国近く、世界で三分の一以上の国では右ハンドルが使われており『世界でも珍しい数少ない右ハンドルの国!』等と言うフェイクは、日本人に刷り込みを助長している以外何物でもない。英国は日本の宗主国ではないが、交通システムとしては左側通行の英国方式を導入したのであろう。

今世界中を騒がせているマレーシアでの正男氏暗殺事件でも、これ程映像ビデオや情報が公開されているにもかかわらず、北朝鮮側の言い分は滑稽と言うには余りにもお粗末な言い訳にしか聞こえない。

この国の国民には如何に自由や人権が無視されて居るのか、世界中が見守っている事は言うまでもない。一般市民から政府高官そして外交官に至るまで亡命者が出て居る事を見れば、北朝鮮が如何に酷い人権侵害を犯しているのか子供でも理解できる。自国民のみならず、他国にも同じようなフェイク情報が通じると本気で信じているとすれば、その様な政権の将来は長くは続かないのではないかと思う。

そういえば何処かの団体も『○○○KempoはそのStyle(競技・種類)を示すGeneric Words(一般名称)である』と言う裁判結果が出た後も、『その様な裁判はやって居ない!』と主張されていた様であるが、これなども言ってみればフェイク情報では無いだろうか。

今の時代この様な情報を検証する事は非常に簡単である。『私の言う事が真実である、信じない者は許さない』もしこの様な事が本当にまかり通っているとすれば、何処かの怪しげな団体と同じ評価を下される事にもなるだろう。それがどの様な主張であれ受け取る人達の判断に任せる他は無いが、真実が明らかになった時にそれらを主張した人達はどの様な言い訳をするのか大変興味深い。

2017/03/04

日本と海外、文化と習慣の違い

昨今の日本は2020年に東京オリンピックが催されることもあり、数多くの旅行者が日本を訪れる様になってきた。私がロンドンへ渡る前の時代を考えれば画然たる相違がみられる。自分が住んでいた当時(1970年代の前半)では外国人を街で見かける機会はそれ程多くは無かった事を記憶している。翻って現在の日本では外国人を見かけない事の方が難しい程である。

そんな視点から日本人の文化や習慣等が以前より少し理解されてきた様に思う。

海外から観光などで日本へ行った人達が驚く事の一つに、『天気が良く快晴であるにも関わらず傘を差している人が居る事』があげられる。言わずと知れた日傘であるが日本で生まれ育った者には理解も容易い。日本の女性は特に日に焼ける事を気にする傾向にある。色白が美の重要な要点として尊ばれるのが最も大きな一因であろう。

これとは逆に欧米の(特に北ヨーロッパの国)では、太陽が出て居る時は日焼けをする大変貴重なチャンスである。この機会を逃すと体調管理にも支障をきたす事にもなる。理由も分からなかった渡英直後の頃は、初夏の肌寒い様な日でも、男女を問わず太陽が出ている日には公園のいたる所で水着で日光浴をしている人達を見て驚いた経験が有る。

日照時間が日本等の国と比べれば圧倒的に少ない北ヨーロッパの国々ではこの様な機会を逃す事は無い。又日焼けした人達は健康的に見えるだけではなく、自分にはホリデーを取り地中海やカリビアンのリゾート地で優雅に過ごすことが出来るミドルクラスである、と経済的余裕もアピールして居ると感じているのかも知れない。

逆に日照時間が多く、暑い期間の長い日本や東南アジアの国々では、日焼けして褐色になる事の方が嫌がられる傾向が強いのでは無いだろうか?皮膚がんが心配と言う人も居るかもしれないが、生まれつき日照時間の多い日本や東南アジア、アフリカ等の国々で生まれた人達には、メラニン色素が白人より多い事は科学的にも証明されておりその様な心配が原因とも思えない。自分が学生の頃には日本でも日焼けした男女が幅を利かせた時期も有ったように記憶しているが、今どきの学生達にとっては色白の方が魅力的に感じて居るのであろうか。

欧米文化圏の人達から見て『?』と感じる事でもう一つ、『マスクをする人の数が多い事』が有る。欧米の社会でマスク姿は街中では見かけない。飛行機で日本からロンドンに到着した旅行者が、日本と同じようにマスクをしたまま街中を歩くと怪訝な視線で見られている事が多くの日本人には理解できないのでは無いだろうか。

欧米社会でマスクをする人は、手術をする外科医又は銀行強盗くらいの者だと思った方が良い。『花粉症がひどいので』と言う理由も、日本では理解されても欧米の社会では中々理解されないのではないか。ここロンドンでもヘイフィーバー(花粉症)で悩んでいる人は多い、しかしながらその人達がマスクをしている事は殆ど見た事が無い。飲み薬や目薬で大抵は済ませている。

口元を隠す(手で覆い隠す)しぐさも、日本人の女性にはよく見られるハニカミの文化では無いだろうか。街中で突然インタビューされた女性が、恥ずかしさを表現する時に口元を手で隠すことを普通にする事が、マスク文化につながっているのかも知れない。近頃では韓国や中国、東南アジアの国々でも空気が汚染されている事もあり、マスクをする人達が多いと聞く。日本の文化(習慣)が伝搬された結果と言えるのであろうか?

口元で気が付く欧米文化との違いの一つは、日本では八重歯の人達が男女を問わず多い事も特徴の一つではないか。口元を覆う仕草やマスク文化の人達がなぜか八重歯を堂々と見せ、大笑いしている姿は欧米人には理解できない様である。「なぜ日本人は八重歯を矯正しないのか?」と聞かれた事がある。八重歯の人にはまことに申し訳ないが、欧米文化圏でイメージされるのはあの有名な『ドラキュラの牙』だからだ。日本にドラキュラは居ないので、その様な否定的なイメージが無い事も八重歯文化(?)を残している理由ではないだろうか。

この様に見てみると改めてそれぞれの国には異なった習慣や文化が存在する事が良くわかる。何気なくやって居る習慣が異文化圏の人達には不思議な視線で見られたり、時には嫌悪感を持たれたりする場合もある。ただ日本には『郷に入れば郷に従え』と言うことわざがあり、余り海外でもめ事を起こすと言う事は聞かない。宗教観の異なる国では時には難しい判断(妥協)が必要になる事もあるが、幸いにと言うべきか多くの日本人は一神教の人が少ない事もあり、何処の国でも暮らして行けると思う。

2017/01/08

International Kempo Association(IKA) 年次予定

2017年、今年も我々IKA(国際拳法協会)にとっては希望に満ちた年明けとなった。昨年度はチェコにおいて国際大会並びに特別講習会が催され、日本やヨーロッパの国々からも多数が参加して充実した大会とセミナーが出来たことは大変喜ばしい出来事だった。

先立つ2015年の神戸で採択されたのは、IKA加盟国の中から毎年1ヶ国がIKAの公式行事として大会と同時に特別講習会を主催するという取り決めである。2016年はチェコがその役目を担う事になり主催するチェコの支部長達は非常に喜んで受け入れてくれた。

世界遺産の修道院
思えばチェコに少林寺の支部が出来る過程では、以前にも紹介したが、WSKOから受けつけられなかったカルロイバレーの現支部長が私に問い合わせてきた事がきっかけであった。彼は現職の警察幹部であるが、宗道臣の本を読み、それまで指導者として教えていた空手を辞め入門を問い合わせてきた。

当時の私はWSKO理事であり、自然の流れとしてWSKOを紹介した。その後本部に問い合わせた本人から再び連絡を受け、「WSKOとしては指導員を派遣する事は出来ない、近隣の支部(ドイツ又はフィンランド等)に入門して始める様に」と言われたそうである。その上で本人からは「国外の支部に行き修練するのであればロンドンまで通いたい」と言う申し入れだった。

そうは言ってもチェコからロンドンは飛行機でも2時間近く掛かる事になる。後に分かった事ではあるが彼の住む町、カルロイバレーは首都プラハから車で2時間半近くも離れた場所である。いつまで続けられるのか私にも分からなかったが、本人は実に真剣に取り組んでいた。初段になり黒帯を締めるまでは指導し始めて5年程の歳月が流れたが、大変うれしかったようである。

 カルロイバレーの街
その後地元で支部を開いた彼が、毎年BSKFの合宿や講習会には欠かさず参加して、技術や哲学の習得に努める姿は印象的だった。その後ロンドンのインペリアル大学で博士課程を学んでいた別の拳士(合気道三段)が有段者となり、帰国して首都プラハで支部を開設する事になり二人は共に協力してチェコの活動には大きな弾みとなった事は言うまでもない。

そんな歴史を持つチェコの道場には数多くの青少年達が集まる事になり、益々活発にIKAメンバーとして発展している。 2年前にはスロバキアから新しく支部を開きたいという者が現れた。彼も以前少林寺拳法を習ったことが有り、現在は柔術を指導しているとの事であった、講習会に黒帯で参加していたので、何処で少林寺拳法を習ったのか本人に詳しく聞いてみた。

その結果は、柔術を指導していた日本人の指導者が、少林寺拳法の技も出来ると言う事で指導を受けたと言う内容であった。何十年も前に少しだけ習った技は、残念ながら面影は残すものの随分崩れていた。そこで私が「君は真剣に少林寺拳法を始めからやり直す気持ちがあるのか?」と質問すると、「是非やりたいので指導してほしい」との返事だった。そこで私が「では白帯をして初めからやりなさい」と言うと、すぐにチェコの支部長から白帯を借りて練習し始めた。

大会記念のケーキ
その彼が昨年と今年2回の昇級試験を受け、現在3級となり頑張っているとの報告を受けた。彼がどの様に成長して行くのかは、現段階で私には何とも断言できないが、チェコの支部長達の成長を見るにつけ将来が楽しみな事でもある。特別講習会の折には参加しており、昨年のカルロイバレー大会にも参加して、講習会では一生懸命技術の習得に汗を流していた。

この様に見てくると、将来のIKAの前途には現時点では未知数ながら、大変将来性のある人材が育ってきて居る様な気がしている。今年はスペインがIKAの開催国として大会と特別講習会を取り仕切る事が決まっている。4月の大会には日本からの参加者も含め私達BSKFも大会出場や講習会に駆け付ける所存である。その他のIKA加盟国も近隣と言う事もあり多数が参加すると聞いている。

古代遺跡にて
その他には毎年秋に恒例のIKA指導者講習会がサイプロスで催される。指導者講習会と銘打って有段者を対象としたセミナーを初めて今年で8回目になる。毎年通い続ける拳士達は大変熱心な拳士である事は疑う余地もない。1週間の講習会では毎日午前と午後に3時間の技術指導が有り、参加者は国を超え毎年の再会を喜んでいるようにも見える。昨年度は日本からも指導者が駆け付けてくれ、参加した拳士達には指導内容も大変好評だった。

今年も未だ1月だと言うのにすでに参加したいと言う申し込みが届いて居る、嬉しい限りだ。昨年日本から参加して頂いた指導員の先生にも彼らの熱心さは伝わった様で、参加した事で指導する側にも彼ら拳士の拳法に対する取り組みが伝わった事を知り嬉しかった。

講習会の様子
今年も未だ始まったばかりである。この一年どの様な年になるのか?くしくも今年は宗 道臣が少林寺拳法を創始して70周年の記念すべき年でもある。私達の拳法は少林寺拳法の創始者『宗道臣』から出た武道であり、空手や合気道では無い。空手や合気道も流派は異なっても船越 義珍や植芝 盛平の流れを否定する空手家や合気道の指導者はいないと思う。それら日本の武道は結果として枝分かれしたとしても、創始者の偉業が傷つく事は無いはずである。我々のIKAグループもより切磋琢磨して日本武道の一担い手として今後とも社会に受け入れられるべく努力を惜しまぬ所存である。

修復された古代遺跡シアター

2017/01/04

国際拳法協会(IKA)年始のご挨拶

金明竹
年が明け、新たな一頁が始まりました。

これと言う理由もなく何故か嬉しい年明けの予感がしています。 WSKO(世界少林寺拳法連合)から離れすでに久しい年月が過ぎました。その様な環境下でも私達の活動に共鳴して協力を申し出てくれる人達が途絶える事がありません。

元々は開祖 宗道臣の考案した武道(少林寺拳法)とその教えに心身共に共鳴した人達なのです。その様な信念の有る人達が簡単に自身の考え・生き方を翻す訳が有りません。何年も悩み葛藤の末たどり着いた結論から導き出された選択なのです。

今年も私達国際拳法協会(IKA)は前進します。
志を同じくする拳士達とは努めて協力し、宗道臣の目指した理想境建設(平和で豊かな社会造り)を目指す覚悟です。
同時に私達は武道としての強さ、そして護身の技術としての有効性にも、当然の事ながらこだわり続けたいと考えております。
宗教法人、宗教活動という形に囚われず、日々の拳法の修練を通じて、社会に貢献できる人材育成が可能であることを追求(証明)したいと思います。

本年も私達International Kempo Association (国際拳法協会)の歩みにご理解とご協力を賜わります様お願い申し上げますと共に、新しい年が拳法関係者の皆々様にとりまして益々のご発展と成ります事を祈念致します。

結手

2017年の夜明け


2016/08/25

応援団に正坐して礼をしたブラジルの柔道選手

リオデジャネイロ・オリンピックが終わった。ほとんど何処の国でも自国選手の活躍に最も関心が高い事は当然の現象ではあるが、その様な中で私が大いに感心させられた柔道選手がいた。残念ながら日本人の選手ではないが、開催国ブラジルのラファエラ・シルヴァと言う黒人女性の柔道選手がとった金メダルだった。

彼女はリオ郊外のスラム(貧民街)に生まれ育ったと紹介されていた。その様な環境の中で育った女性が、地元開催のオリンピックで金メダルに輝いた事はブラジルのみならず、柔道と言う文化を伝えた日本にとっても非常に素晴らしい出来事ではないだろうか。金メダルが確定した試合の後、脱力した様にゆっくり正座して応援者に礼をする(頭を下げる)姿は、欧米や地元のブラジルでは見られない文化である。

経済的にも貧しい環境では犯罪に走る若者も多いと聞く。社会格差と人種差別の困難を柔道で乗り越えたとすれば、ブラジルのみならず貧富の格差に苦しむ途上国の人々に希望を与える『努力すれば報われる』と言う、大きな貢献をした事になったのではないか。一方で五輪の輝かしい実績を持ちながら虚偽の事件を騙り、自国に戻った後も国内外から批判される選手も出た。経済的な富や名声も十分にありながら被害者を装い、ブラジル国民のみならず自国民のアメリカ国内からも糾弾されるに至った水泳の選手には同情の余地もない。

同じ金メダリストでありながらブラジルの柔道選手と真逆の結果を招いた選手が出た事は、ドーピング問題も含めて今後の五輪が解決しなければならない人間教育と言う重い課題であろう。オリンピックで金メダルを捕った選手にも称賛ばかりではなく、社会正義に反する行為には厳しい社会的制裁も当然の事ながら避ける事は出来ない。オリンピック選手である以前に一社会人としての規範が問われる事になる。

『平和な社会造りに貢献できる人材を輩出したい』とする団体は少林寺拳法ばかりではない。オリンピックの抱える否定的な側面にのみフォーカスを当てるのではなく、そこにこそ『人、人、人すべては人の質にある』と言う少林寺の掲げる哲学が生かせるのではないだろうか。オリンピック競技に批判ばかりで背を向けて居るだけでは何の進展もない。自分達が少林寺拳法と言う武道を通して描く未来の姿も、これを機会に立ち止まり今一度考えてみる事も無駄では無い様に思う。

何処の国でも自国の選手に声を枯らして声援を送る。金メダルを取った選手が見せる涙には国を背負って戦った者でなければ理解できない重さがある。私は日の丸をまとい喜びを爆発させる選手には思わず拍手を送ってしまう。アスリート達が見せる涙や、関係者に寄せる敬意の言葉にも心を揺さぶる力が有ると感じた。

今年のリオ五輪では日本人選手の活躍が数多く見られ嬉しかった。ロンドンでのテレビ放映では残念ながら、日本人選手の活躍が生中継では見られるチャンスは非常に少ない。どこの国でも自国選手の活躍が最も重要なニュースソースである事は洋の東西を問わない。そんな訳で翌日の日本から送られてくるTVニュースに毎日一喜一憂した2週間でもあった。

2020年に開催される東京オリンピックでは日本の得意な野球やソフトボールに加え、永年の念願だった空手も新しく種目に加えられることが決まった。勿論それらの代表選手達には世界中から声援が送られる事であろう。国を背負ったアスリート達の熱い戦いには、理屈を超え見るものを魅了する力がある。これからも日の丸を背負って戦う選手達を私は応援したいと思う。

2016/05/23

三菱自動車と東芝、組織の抱える悪しき文化

三菱自動車が起こした燃費偽装事件は会社の存続にまで係る様な大きな事件である。三菱自動車と言えば過去に2度もリコール隠しで非難を受け、当時も提携関係にあったダイムラー・クライスラーが提携を解消してしまった事は多くの人々の記憶にあるはずである。

しかるに今回も又同様な信頼を裏切るような事件を起こしてしまったことは、この会社の持つ企業文化と言われても仕方がない。事件が発覚してから三菱自動車の存続自体も危ぶまれ株価も暴落していた。

三菱自動車のみならず現在も経営再建中の東芝や、鴻海の傘下に入ったシャープも少なからず企業の持つ体質が影響していた事が共通の現況を招いたようにも思われる。

これらの世界に名の通った大企業でも、組織内の風通し(意見を言える体制)が良くない会社程、問題が起きた時の結果は悲惨である。創業者から引き継がれてきた企業文化であっても、会社が成長する段階で幾つも脱皮しなければならない事は数多くあると思う。第二次世界大戦以前から存在する東芝や三菱等と言う大企業であればその過程は学習していると思うのが普通ではないか。

しかしここで見落としてはいけない事がある様に感じる。これは日本社会が抱える一つの共通する問題点かも知れない。それは会社(組織)の上層部に対するものが言えない(言い辛い)社会構造かも知れない。勿論すべての会社がそうであると言っている訳ではない。ここでも言える事は組織の上に立つ人の質ではないだろうか。トップの考え方如何でその組織の風通しが良くも悪くもなってしまう。

三菱自動車の例からは、上からの命令には逆らえない体制や、無理な目標の達成には不正な方法にも目をつぶる。東芝の件も同様に企業経営者が自社の業績を良く見せたいと思う気持ちは、自身の評価とも相まって普通の心理だと思うが、それでも東芝の様な大企業であれば企業ガバナンスが働き、粉飾決算に至る前に何らかの社内メカニズムがそれらを防止出来てもよさそうなものである。

歴代社長3人が同様な手法で企業の業績を上方修正して、粉飾して居た事がニュースで世界中に配信され、株主の集団訴訟も動き出している様な報道もあった。言い換えると日本企業は世界で名の通った大企業でも、真っ当な企業ガバナンスが機能しない国なのではないか?と海外投資家の目に映っても不思議では無い。

もしそうであるとすればこれは東芝と言う一企業がこうむる評価ではなく、日本の企業全体にとって大きな信用の損失と言う事にもなる。そしてその結果として最初に影響(被害)を受けるのは、そこで働く末端の社員であることは言うまでもない。この例は三菱自動車や東芝に限った事ではなくすべての組織に言えるのではないか。上層部(企業経営者や組織のトップ)に組織の風通しを良くして、末端の社員からも重要な提案には耳を貸す度量が有れば、三菱自動車や東芝の様な結果は免れたであろうことは容易に想像できる。

少林寺拳法の指導者が幾度も耳にし、同時に拳士にも伝え自分達の教えの中核としてきた哲学がまさにこれである。『人、人、人すべては人の質にある』三菱自動車や東芝には世間の人々の目も厳しく注がれると思う。それによりそれらの企業が立ち直り再び信用を取り戻すことが出来るのかも知れない。もしそれでも同様な事件を繰り返すことになれば、大会社と言えども倒産は免れ得ないであろう。

企業には社会やステークホルダー(利害関係者)等の厳しい耳目が注がれる事になる。社外取締役や監査の導入も必然的に導入される事は珍しくない。それにより企業は立ち直り発展に繋げることも可能となる。言い替えれば何処かの組織の様な社会の目やステークホルダーが働かない組織であれば、内部(その組織に関わる)の人達以外にそれらを変える方法は無いであろう。『己こそ己のよるべ、己をおきて誰によるべぞ』今一度この言葉を噛み締めてみる事も無駄では無い様に思う。

2016/03/18

人類の発展(幸福追求)がダーマへの挑戦であってはならない理由

春先になりスギ花粉の飛び交う季節ともなると、マスク姿の人達が町に多く見られるのも日本の特徴であろう。

このところ中国の大都市においても公害が発生してマスクをする市民が多くなっているようではあるが、日本がこの様な公害問題を経験したのは1960年代から70年代における高度成長期であった。光化学スモッグや水俣病と言った現象は現在の中国と同様、世界に知られる公害であった事を記憶しておられる人も多いと思う。中国のPM2.5とスギ花粉では少々異なっているとは言え、双方共に人間が自分たちの利益の為に作り出した現象には違いない。

第二次世界大戦後、焼け野原となった日本各地で建築ラッシュが起きた。その当時は木造建築が中心であった事から、木の需要を見越してスギの苗木が全国いたる所で植樹される事となった。スギやヒノキは木造建築にとって使い勝手の良い便利な部材である事が主な理由であった。しかしながらその事がやがて一般市民に花粉症と言う新たな問題を引き起こす事になろうとは、当時予見出来なかった。高度成長を遂げた日本は木材等もより生産コストの安い海外に求める事になったが、残された国内のスギやヒノキが成長すると共に、人間にとっては有り難くは無い花粉をまき散らす現象が日本中で起きた。

言うまでもなく常緑樹のスギやヒノキは広葉樹とは異なり果物やナッツ類を実らせる事は無い。これらの人によって人工的に植えられた常緑樹により苦しんで居るのは人のみならず他の動物も同じであろう。ドングリやクルミと言った実をつける木がスギやヒノキに代えられた事により、それまで人間社会とは距離を置いた環境で、住み分けが出来ていた野生動物の熊やイノシシ、サルやシカまでが人里近くに餌を求め現れるようになった事は、彼らのせいばかりでは無いはずである。

人が花粉症で苦しむ事は自業自得で致し方が無いかもしれないが、自然環境の変化がもたらした人間以外の動物たちにしてみれば、いい迷惑に他ならない。

自然環境の破壊は、人も含めてこの世に生を受けた全ての生命体にとっての危機を意味して居るように思われる。人間だけの利益などと言う都合のよい論理が成り立つはずが無い。人も動物もウイルスさえも地球環境が生み出した生命体であれば、それぞれの種の絶滅はその生き物以外の生命体にとっても、同様な危機をはらんで居る様な気がしてならない。

その様なおりアメリカでは今年アーモンドの受粉を助けるミツバチが死んで問題となった。農薬散布が原因らしくアーモンドの木を守るはずの農薬が、受粉に必要なミツバチまで殺す結果となった事は皮肉と言わざるを得ない。ミツバチが死んで行く様なアーモンドの花を、仮に人工的に受粉させて実がなったとしても私は食べたいとは思わない。GMフードと言われる遺伝子操作により作り出される食材も、言ってみれば人類が自分達のみの利益追求の為に作り出した不自然な食べ物であるように感じられてならない。

我々はダーマと言う言葉を『宇宙の真理』とか『この世の全てを司る大霊力』と教わってきた。地球を含めた宇宙全体を動かす大自然の力をダーマと呼ぶのであれば、人類を含めた全ての生命体のバランスを伴わない科学技術や、人間の欲望に根差した他の生命体を無視した利益の追求には、人類が発展出来る道理が無い様に感じるが、拳士の解釈(自他共楽)はどうであろうか?