2024/03/28

時代の変化と価値観の変化

現代における価値観の変化は我々の世代には非常に大きな変化が起きていると言わざるを得ない。先ず我々の認識からすれば言葉のみならずその意味する事が結構異なる事が起きている。

自身の記憶なので100%正しいと言う自信は無いが、例えば今ではサッカーと呼ばれるスポーツは自分が小学生当時に先生が呼んで居た時はフットボールだった。それがいつの間にかサッカーが一般的になり、フットボールはアメリカン・フットボールを呼ぶときに使われるようになり、サッカーはおそらく区別する目的で使われ始めたのではないか?と思うが、現在でもJFA(Japan Football Association)は日本サッカー協会と訳されている。ちなみに国際サッカー連盟 FIFAは(Fédération Internationale de Football Association)が正式名称と言う事らしい。

自分が学生時代にはアメフトは当時アメラグと呼ばれていたと記憶している。これなどもボールの形やゲームのスタイルを考えればラグビーに似ている事から容易に想像できると思うのだが、今ではアメフト(American Football)が一般的な呼び名として使われておりアメラグとは呼ばれない様だ。

この様に考えると時代の及ぼす影響は大きく世界ではどの様に呼ばれているかと考えてみる事も面白いかも知れない。日本で非常にポピュラーな野球も例外ではない様に感じる。どこの国も自国の選手の活躍には野球(MLB)での活躍で超人気選手となった大谷選手のみならず、イングランドのサッカー プレミアリーグで活躍する日本人選手も日本国内では人気選手なのだろうと想像している。

これは野球やサッカーに限った事では無い。オリンピックを含め自国選手の活躍は何処の国にとっても喜ばしい事で特に日本に限った事では無いように思う。自国選手の活躍に国を超えて人々が熱狂する事は自尊心が与える影響ではないのか?オリンピック競技で自分達の国の選手が勝つことにより自分達も同様に自尊心が満たされるからでは無いだろうか。

スポーツ競技が作り出す自尊心はオリンピックや国際試合ばかりでは無い。甲子園の高校野球でも同様の現象は国単位と言う大枠ではなく、県単位でも同様な事が起きる事は何度も見てきた。その様な観点からどのように競技を体系化するかで、それらに直接関わって居ない人々まで巻き込んだ社会全体の幸福感(自尊心)も有り得るように感じるが如何であろうか?

2024/03/01

時代と環境の変化を感じるか?

この2回は少林寺拳法と言う武道が目指してきた宗道臣の哲学と近代オリンピック(クーベルタン男爵)の哲学に照準を当ててきた。先のIOCで2028年のロサンゼルスのオリンピック種目にどの様な競技が新しく選ばれたのであろうか、検証してみるのも無駄では無いと思う。

そんな新種目競技の一つにクリケットが有る。
クリケットと言えばイギリスで生まれ現在ではコモンウエルス(commonwealth)を中心とした旧英国の植民地であった国々で幅広く愛されている球技の一つである。残念ながら日本では馴染みの少ないスポーツかも知れない。
しかし世界におけるクリケットの競技人口は野球よりはるかに多いと言われている。野球はアメリカの影響を受けた国々で広まり、クリケットはイギリスの影響が強い国で盛んになった事は事実であろう。イギリスにも野球(baseball)連盟は存在する。しかし残念ながら日本とは逆に幅広くプレーされているスポーツとは言えない。イギリスに限った事では無くヨーロッパの国ではその多くが野球を知らない人達の方が多い事も事実であろう。

そんな中にあって来年のパリオリンピックで新種目に加えられた競技を見てみると、まさしく時代の変化が如実に表れていると感じるのではないか?
東京オリンピックのスケートボード、スポーツクライミング、サーフィンに加えてブレークダンスである。我々の古い世代のイメージからすれば『これがオリンピック種目?』と首をひねりそうな競技が並んでいる。その様な観点から見ればパリの種目からは外されてしまった『空手』の方が余程世界的な普及度やスポーツと言う観点からもふさわしい様に感じる。

私が英国に来て以来1980年代初めに空手をオリンピック種目にと言う話し合いが持たれた事が有る。81年の夏頃だったように記憶している。
MAC(マーシャルアートコミッション)と言う組織が有り、柔道(すでにオリンピック種目として認知されていた)を除く英国での武道の統括組織であった。当時の予想では空手が柔道に次ぐ武道のオリンピック種目に加わるのではと言う事で、ルールや統一組織の模索が何度もなされた事を覚えている。

その様な中で世界における競技人口が最も多かった空手は次のオリンピック種目としては最有力の武道で有った。しかし結果的には空手がオリンピック競技に選ばれる事は無かった。空手と一括りに相称していた武道だが現実には組織としてはいくつもの団体が有り、それぞれが自分達の団体を中心とした競技ルールを主張して折り合うことが出来なかった事が最も大きな障害であった様に思う。

そんな事実が有り、日本武道で世界中を席巻していた空手(WUKO)はオリンピック競技として認められる大きなチャンスを失う事となり、その後のソウルオリンピックでtaekwondo(テコンドー)が公開競技として認められた事により、はるかに競技人口が多かった空手はオリンピック種目入りが2020年東京大会まで見送られる結果となった事は有名である。先の東京オリンピックの公開競技として公開されたが、来年のパリ大会では消える事になってしまった事は同じ日本の武道に携わる者としては残念な気もする。

柔道も今のIJF(国際柔道連盟)の本部はスイスのローザンヌにあり発祥の地 講道館が有る日本ではない。伝統空手グループは(WUKOからWKF)と名が変わり現在の本部はスペインのマドリッドである。空手のフルコンタクト派はWKAとなり、現在では東京大会を機にWKFルールを受け入れ オリンピックの正式競技として認められるべく共に道を歩き始めている。

この様に見て来ると日本の武道はいずれも発祥の地であるはずの日本に本部が無い事が分かる。ソウルオリンピックで公開競技として始まったテコンドーはすでにオリンピックの公式競技として認められており、同種の競技(武道として)となる空手は正式競技化が難しい事も予測される。一般に区別の難しい(似通った)競技はオリンピックで認められるには余程の違いが見られないと難しいと言われている。

柔道も1964年の東京オリンピックでの公開競技の後、1968年のメキシコ大会では見送られた事が有った。その時柔道のオリンピック入りを強力に推奨した国がイギリスとフランスだった事は有名である。オリンピックもカラーTV放送化に伴い、競技者を見分けやすい国際試合での道着が白とブルーになった事はフランスの国色(ブルー)をオリンピック種目推進の貢献が認められ使い始めたと言うのも頷ける理由であろう。

この様に見てみると日本は武道家に限った事では無く、大局的な視線が乏しく結果的に世界中での発展にも支障をきたす事例は幾つも有る。それでも先に挙げたブレークダンス、スケートボード、スポーツクライミング等 果してこれがスポーツ?と感じるのはやっぱり古い日本人が出てしまったのかと反省する昨今である。

2024/02/01

少林寺拳法とオリンピックの目指すものとは

前の投稿で少林寺拳法を発展させるには何が必要か?と言う事に触れた。その中で述べたのは、開祖 宗道臣の法話の一部分を切り取って自分達の正当性を拳士たちに印象付け、組織そのものを都合よく私物化する旗印にしてこなかったかと言う問いかけであった。

少林寺拳法がそれ以前の日本武道と何が異なったのか?なぜ短期間で多くの拳士(支持者)を得られたのか?問われる事はまさにその一点に尽きる。

宗道臣の説いた哲学『人、人、人すべては人の質にある』人々の考え方を少林寺拳法の修練を通して徐々に変える事により、この世の中に平和で豊かな世界『理想境』を実現したい。道院・支部で説かれた『教え』、哲学の部分にも共鳴した人達が多かった事がこの一武道の急速な発展に寄与したのが容易に想像が出来る。

しかるに開祖 宗道臣はその法話の中で『オリンピック選手の中には自身が選ばれる為に自分と競合する仲間でも蹴落とさなければならないと考える者もいる、その様な考え方は我々の目指すものではない』と諭された事が有る。これはオリンピックに代表されるスポーツの競争原理の間違った例として、また自分達の教えがいかに大切であるかの指標としたのでは無いであろうか?

その様な言葉の切り取りが政治的に都合よく利用され、組織としての在り方を異なった方向に導く助けとなる事は理解している。

それでは宗道臣の説いた『理想境』建設とクーベルタン男爵が説いた近代オリンピックの考え方とはどこが異なるのであろうか。前に述べた開祖の言葉の切り取りで組織としての在り方をオリンピックやスポーツから切り離そうとしては来なかったか?

私は近代オリンピックの父として語り継がれるクーベルタンの説いたオリンピック憲章に付いて今一度検証してみたい。
以下はオリンピック憲章で謳われている文面である。

『 オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。』
他にもいろいろとオリンピックの目的など書かれているが最後に以下の様な記述がある。

《オリンピズムの根本原則1》
「オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。

これをもってしても少林寺拳法の哲学とオリンピック哲学は全く違うと断言できるのか? 今一度検証してみるのも無駄ではないように感じるが、如何であろうか。

2024/01/07

BSKF並びにIKA設立の目的

合掌
 
2024年と言う新しい年を迎え新年のご挨拶と同時にこれまで自身のブログを中断していた事へのお詫びを申し上げたいと思いここに改めて記すことにしました。

先ず新年早々世界中を驚かせた能登半島での大地震で被災された多くの方々には心よりお見舞いを申し上げます。続いて2日には新たな悲劇が起きてしまいました。

被災地に救援に向かうはずだった海上保安庁の小型機と日本航空の旅客機による大変悲惨な事故を目の当たりにし、いったい今年はどんな一年になるのだろうと多くの人々は不安な気持ちになったのではと想像しています。

現在も続くウクライナとロシアによる戦火、そしてイスラエル国内のガザ地区の戦火。共に人の判断によって引き起こされたものであることは言うまでも有りません。

この様な時こそ少林寺拳法をこの世に創始した宗道臣の言葉『人人人すべては人の質にある』を思い起こすのは自分一人なのか?今一度検証してみるのも意味があるのではないかとの思いです。

British Shorinji Kempo Federation(英国少林寺拳法連盟)設立の目的はどの様な経緯と意味を持ち設立されたのか、これまでの歴史を振り返って整理してみました。

思えば小生が50年前に英国の地を踏んだのは、戦後に想起され最後発だった少林寺拳法と言う武道が破竹の勢いで組織を拡大していた時代です。その一員である誇りと同時に一助に成りたいとの願いから渡英するに至った経緯は偽りのない事実です。1974年当時にはまだ現在WSKOと呼ばれることになる組織は無く、世界に展開する少林寺拳法は数カ国だけの時代でした。

古くは柔術、そしてオリンピック種目にまで発展した柔道は言うに及ばず、空手や合気道そして剣道と言った日本古来の武道はすでに世界で紹介されており各地でその勢いを拡大している時代でした。しかしその当時においても最後発で有ったはずの少林寺拳法がなぜこれ程急速に発展できたのか?そこに少林寺拳法の持つ世界観(哲学)が多くの人々に共感を与えた事が要因ではなかったのかと考えたのです。

『単なる武道やスポーツではない!』そこに示された宗道臣の哲学、それ以前の日本武道では聞いたことも無い『理想境建設』と言う教えこそが急速に多くの支持を得たものと理解して居ます。

人々の質(考え方)を向上させることによって、この世界に平和で誰もが住みたいと思える社会を実現したい。第二次世界大戦で疲弊していた日本のみならず、世界から受け入れられる普遍性の高い哲学(教え)!が示された事が大きな要因では無かったのかと思えてなりません。

自分の思いは少林寺拳法の創設者『宗道臣』を一武道家で終わらせて良いのか? 柔道を世界中で認められるオリンピック種目にまで高め、歴史上もその名を留める加納治五郎と同等の功績は充分にあるとの強い思いです。

柔道と柔術の違いは何でしょう?
加納治五郎もかつては柔術を修練して居た事は歴史上の事実です。ではなぜ柔術は現在も続けられているにも関わらず柔道の様に世界中に発展出来なかったのでしょう、 加納治五郎の先見性と時代に即した考えがあったからではなかったのか?

今一度宗道臣の残した教え(哲学)を見直してみるのも良いのではとの思いから、自分なりに整理してみようと考えた訳です。

『少林寺拳法は単なるスポーツではない』と言う宗道臣の残した一言を切り取り、都合の良い解釈で現在の様な体系に変えてしまったのではないのか、拳士なら修練の都度 唱える道訓の最後(信条)に次のような二文が有ります。

「我等は正義を愛し、人道を重んじ、礼儀を正し、平和を守る真の勇者たることを期す。」

「我等は法を修め、心身を錬磨し、同志相親しみ、相援け、相譲り、協力一致して理想境建設に邁進す。」

この様な武道の修練を通して人の質を高める教えこそが『少林寺拳法は単なる武道やスポーツではない』と言わしめた哲学ではないのか?それこそが発展の一因である。自分にはその様に思えてなりません。

宗道臣を歴史に名を遺すような存在にしたい!偽らざる思いでBSKFが、またそのモデルを世界に広げる目的でIKAは設立されたのです。

結手

2020/11/22

日本社会のガラパゴス化とは

ずいぶん前から『日本の常識は世界の非常識だ!』と言われることを聞いた事が有る人は結構居ると思う。それはある意味 日本では特に問題なく行なわれている習慣や思考方法(常識)が世界の基準とは異なる事を意味した言葉なのだと理解している。

ガラパゴスと言えば世界中の中でそこでしか生息しない生命体や、島の中で独特の進化を遂げた動植物が多い事で有名である。他の国や環境から隔離された場所で独特の進化を遂げた動植物であるがそれにも諸説ある事は承知している。

日本社会の中で今一般的に使われているガラパゴス諸島を起源とした呼び方に『ガラケー』(スマホが一般的に普及する前の携帯電話機などを指す)がある。しかし振り返ってみるとガラケーばかりではなく、かなり多くの分野で日本独特の進化や変化をしてきた工業生産物はいくつも見られる。

70年代後期にファクシミリが世に出た時の事は現在でも鮮明に記憶している。それまでの伝達方法は当然の事ながらEメールやSNS等は無く、オフィスにおける緊急時の伝達手段は電話かテレックスが主流であった。英語圏のみならずアルファベットが主流の国では、それもある意味それ程の不都合も無かったことが主な理由であろう。

しかしながら漢字文化の日本では容易にテレックスを漢字化する事は出来なかったし、和文のタイプライターも確かに存在したがその後のワードプロセッサーの出現によりそれも意味を持たなくなってしまった。当然の事ながらファクシミリの便利さはテレックスの比ではなく、漢字の文章のみならず写真まで送信可能となればテレックスに置き換えられる事は時間の問題で有った。

3.5型フロッピーディスクと言うのも日本で発明されたと聞いた。残念ながらより便利な記憶媒体が主流となりいつの間にか消えてしまった。そのような中にあって現在も尚日本のオフィスではFaxが厳然と生きのこっている様だ。多くの欧米のオフィスから消えてしまったFaxが変わらず日本の社会の中で生き残っているとすればこれもガラパゴス現象かも知れない。

その他にも最近の日本政府が言い出した『脱ハンコ』文化、これも日本社会でしか見られない独特の習慣文化であろう。良くも悪くもこれらの習慣を変えようとすると大きな抵抗勢力が有る事は知られている。ハンコ文化を守りたい勢力にはハンコ業界と深い繋がりのある政治家や、Fax同様にパソコンやスマホの苦手世代(我々世代)が上司で居る会社等が影響していることは容易に想像が付く。

今年の大きな特徴は中国から始まった武漢ウイルスであることは言うまでもない。一年中このコロナで世界中が振り回される事になってしまった。その様な環境下でイギリスやヨーロッパではロックダウン(都市封鎖)が始まり、オフィスでの仕事をオンラインで自宅からにする会社が増えてきた。

我々の拳法活動も例外ではなく支部長達は知恵を絞りZoomなどの会議ソフトを使いオンラインでの道場を運営している。哲学のみの時間や鎮魂行の座禅だけををするクラスもあるし、普段の道場での練習に近いストレッチングや基本の技をやっているグループもある。

いまはこの様に我々指導者の思考方法の柔軟性が試されているのかも知れない。『少林寺拳法の練習がオンラインなどで出来るはずが無い!』と言う事は簡単である。ではどの様な知恵(方法)なら それを必要としている人達に届けることができるだろうか? 我々指導者が『ガラパゴス先生』化しない為に!

2020/07/02

少林寺拳法とBlack Lives Matterについて

5月25日 アメリカはミネアポリスにおいて黒人のジョージ・フロイド氏への白人の警察官による過剰な逮捕映像が世界中に拡散されることになり、その事が人種差別によって引き起こされた事件との非難の声が上がる事となった。

その後 該当の警察官は殺人罪で逮捕され起訴されることになったが、同時にその場にいた3名の警察官も解雇され訴訟が起こされているようである。この事件はその後アメリカ大統領のSNS等の投稿が切り取られて表沙汰になることで、益々その問題の根深さが改めて市民の間で話題になっていることは多くを語るまでもない。これはアメリカ社会のみならず世界中の至るところで人種差別に反対するデモが Black Lives Matterとして取り上げられている事をテレビニュースからもうかがうことができる。

アメリカの都市のみならず、イギリスは元よりヨーロッパの多くの街や日本においてもBlack Lives Matterのデモは起きている。私が住んでいるイギリスでも奴隷貿易に関わった当時の貴族や貿易商人の銅像がデモの群衆により倒されたりするニュースが登場している。

日本ではこれまで比較的 人種差別による社会問題は起きた事は記憶に無いが、欧米には一時期において植民地政策がとられ、その事により奴隷貿易や砂糖、紅茶等の取引で巨万の富を築いた人達がいることは歴史上の事実である。

その様な中でBSKF(英国少林寺拳法連盟)は連盟としてBlack Lives Matterを支持する事を表明した。もちろん私にも連盟理事からそれらの決定に至る経緯の説明があったことは言うまでもない。その時 私が彼らに伝えたことは『私も個人的に理念には賛同する』だが同時に『偏ったプロパガンダや過激な組織に乗せられたりしないように』という二つの事である。

自分の人生でも経験した1960年の日米安保条約反対と、学生だった70年の大きな出来事を今でも記憶している。当時の私はそれらのデモに参加した事はなかったが、殆どのキャンパスには立て看板が立ち並び、連日のように学生達によるデモやアジテーションが繰り返されていた。現在ではその様な過激なデモは想像もできないであろうが、当時の日本で現実に起きていた事は紛れもない事実である。

開祖は『若者は純粋でエネルギーは有るが、時に物事の本質を見失う』と言う事を指摘されていた。 当時の自分は毎日が少林寺拳法で明け暮れていたノンポリ(Non Politicsの略、死語だね)の代表格で政治には全く興味がない(知識不足の)学生であった為、その様なデモ行進に参加することも無かった。

ある時 本部での指導者講習会で開祖の法話にそれが話題に上がった。全学連と呼ばれていた当時の安保条約反対のデモを組織していた学生団体について、『誰によって資金が提供されていたか』と言う裏話を披露された事がある。開祖の話では共産党の思想を理想として掲げる全学連に裏で資金を提供していたのは『アメリカのCIAである』と言うショッキングな内容であった。誰もが最初は『まさかその様なバカな事が』という反応だった。どこで仕入れた情報かは言われなかったが、その時の記憶では『安易に信念もなくその様なデモに加わってはいけない』と言う内容であった様に記憶している。しばらくして諸々の情報が明らかにされる時代になり、開祖の話が根拠のない作り話では無かったと言うことが理解できた。

翻って今回のBlack Lives Matter問題は日本国内で生活する人達や拳士には中々理解できない事なのかも知れない。少林寺拳法が掲げる『理想境建設』や『半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを』を挙げるまでもなく、社会正義に反する犯罪や差別には声を上げる事は大切な時ではないかと思う。日本の協調社会は世界でも例を見ない程に羨ましい国であることは多くの例が示している。ただ同時に行き過ぎた協調(同調)で他人の評価や眼差しを意識しすぎて行動に移せない人が多い事もまたその特徴かも知れない。

開祖が我々に伝えたかったのは『自己確立』、『良いと思ったら先ず行動せよ』と言う事ではなかったのか? 欧米社会には確かに日本より大きな人種に対する偏見や差別は存在する。私自身も英国における生活の中で経験もしたし目撃もした。故にBlack Lives Matterは黒人社会のみならずあらゆる人種に対する差別と社会正義の必要なことを我々に突き付けているのではなかろうか。であるならば私は今回のBSKF理事会には賛成である。人種差別に乗じた破壊活動や略奪などは全くの論外であることは言うまでもない。

支部長がんばれ!拳士がんばれ!『良い社会は君達の双肩にかかっている!』



以下にBSKF理事会が出したコメントを掲載しておきます。

Gassho We hope you are all staying safe and well.

The BSKF has rarely spoken out publicly on political matters. However we feel it is important to directly address recent events, as they have no doubt had an impact on all of us.

"I can't breathe"

On 25th May, George Floyd, an unarmed black man, was killed by a former Minneapolis police officer during arrest. The officer has since been charged with murder. His death and last words have become a catalyst for renewed momentum behind the Black Lives Matter movement around the world, and led to much needed dialogue and introspection on the subjects of race, discrimination and privilege.

The BSKF supports Black Lives Matter. We aim to be an inclusive organisation that welcomes everyone regardless of gender identity, race, background, ability or sexual orientation. We have always and will continue to stand against discrimination in all its forms. However if current events have taught us anything, its that it's not enough to simply take an inclusive standpoint. We all need to actively seek to understand, challenge and change bias, privilege and prejudices at personal and institutional levels. Shorinji Kempo's philosophy is one of personal responsibility and positive action, of self-awareness and respect for others. Equally the BSKF's leaders and branch masters are constitutionally bound to challenge discrimination or discriminatory behaviour within our organisation, wherever it may exist. As an organisation and as leaders we can always do better. We would also encourage all of our members to reflect on these events, and reflect on our philosophy, and ask yourselves what you can do differently too.

If any of our members have been affected by recent events and would like to talk, have feedback for us on what we can do to better address diversity and inclusion within our organisation, or have experienced discrimination within your own dojo, we encourage you to get in touch. You can talk confidentially to the directors (Kat, Ben and Michal), speak to your branch master, or message us via the BSKF website.


以下 Google翻訳

BSKFが政治問題について公に発表することはほとんどありません。しかし、最近の出来事は私たち全員に影響を与えたことは間違いないため、直接対処することが重要だと感じています。

「息ができない」

5月25日、武装していない黒人のGeorge Floydがミネアポリスの元警察官によって逮捕されました。その警官はその後殺人罪で起訴された。彼の死と最後の言葉は、世界中のBlack Lives Matter運動の背後にある新たな勢いのきっかけとなり、人種、差別、特権についての必要な対話と内省につながっています。

BSKFはBlack Lives Matterをサポートしています。私たちは、性同一性、人種、経歴、能力、性的指向に関係なく、すべての人を歓迎する包括的な組織を目指しています。私たちは常に、そしてあらゆる形態の差別に立ち向かい続けます。しかし、現在の出来事が私たちに何かを教えてくれたなら、それは単に包括的な立場を取るだけでは不十分です。私たちは皆、個人的および組織的なレベルでバイアス、特権、および偏見を積極的に理解し、挑戦し、変更することを求める必要があります。少林寺拳法の哲学は、個人の責任と前向きな行動、自己認識と他者への尊重の一つです。同様に、BSKFのリーダーと支部長は、存在する場所にかかわらず、組織内で差別または差別的行動に異議を唱えることが連盟規約上 義務付けられています。組織として、またリーダーとして、私たちは常により良いことをすることができます。また、すべてのメンバーにこれらの出来事を振り返り、私たちの哲学を振り返り、自分に何が違うのかを自問することをお勧めします。

2020/04/09

中国武漢ウイルスについて(おまけ)

昨日TVニュースで映し出された中国武漢からのニュースには驚かされた。

それは明らかに何らかの意図を感じずにはいられない異様な光景であった。

単純に見れば今度の新型コロナウイルスに打ち勝った!と言う喜びを世界に向けて発信したかっただけなのかも知れない。

一方で現在もなお、多くの国々で悲惨なウイルスとの戦いが続いて居る事は、中国政府も分かって居ると想像していた。いま各国で続けられるニュースの8割近くはこの武漢発祥のコロナウイルスである。

ヨーロッパ各国やアメリカでも、危機的な映像と共に紹介される現実を鑑みれば、いくら武漢での感染が終息したとは言え、あらゆるビルにネオンサインを輝かせて、花火まで打ち上げ祝福する映像に、素直に納得の出来ない感情が芽生えた事も正直な感想である。

長い時間ロックダウンで都市封鎖が続き、沢山の人が亡くなった事から感情として終息した事を喜びたい気持ちは、分からない事も無い。しかし元を正せば今回の新型コロナウイルスは当の武漢から発症したものである事も事実ではないか。そしていくら自分達の都市で、その問題が終息したとは言っても、現時点でも同じ問題で多くの感染者や死者が増え続けて居るニュースを、毎日目の当たりにしている人々にとって、あのようなお祭り騒ぎは中々単純には受け入れられない気分だった。

勿論これらの行事も『中国政府がウイルスに打ち勝った!』と言うプロパガンダである事は容易に想像が付くが、あまりにもド派手な演出で中国共産党が目的とするプロパガンダの効果が有ったとは思えない。この様なお祭り騒ぎの様な映像がもたらす結果が、今回のコロナウイルスでいま現在も戦っている多くの国の医療従事者や国民から、逆に反発が出る事は考えなかったのであろうか? 適切なアドバイスができる軍師(宰相)が、かの国のリーダーには居ない事が良く理解できた一幕だったのではないか。

そう言えば近隣のどこかの国でも、お友達で周りを固め、忖度政治で良識ある声が届かない環境をエンジョイしているリーダーにも同じ事が言えるのかもしれない。

2020/04/07

新型コロナウイルスがもたらしたロックダウンとは

先のブログに引き続き新型コロナウイルスについてである。

閑散な道路
現在私の住むロンドンは武漢から発した新型ウイルス感染者の激増により、ロックダウン(監禁状態)が数週間に及び続いている。この様な事はこれまで誰も経験した事の無い厳しさである事は言うまでもない。

大英帝国のモナーキー(王族)のチャールズ皇太子や、時の宰相ボリス・ジョンソン氏までもが感染して隔離される事態となった事で、ロックダウンは必然だったと理解される様になった。

先にヨーロッパで感染爆発を引き起こしたイタリアやスペインでは、さらに悲惨な状況となって居る事を考えれば、これらの決定は仕方がない選択肢なのかもしれない。その後事態はより深刻な状況となり、大西洋を挟んだアメリカ大陸でも同様な感染爆発が起きてしまい、ニューヨークでもロックダウンと言う措置が採られている。

ロックダウンと聞かされても実際にはどの様な状態かは中々イメージする事が難しいかも知れない。より一般的に言えば都市全体を封鎖すると言う状態である。多くの人達が自宅勤務となり、個人事業者等もスーパーマーケットやコンビニ、薬局を除いて全て閉まっている。

政府が出した命令である為、勝手に外出も出来ない。散歩やジョッギッング等は可能ではあるが、日に1回30分程で家の近所に限る。複数の人間が集まる事は家族であっても普段別の場所に住んで居れば許されない。等々非常に厳しいものである。勿論これらの事に違反すれば罰金や場合によっては逮捕される事もある。

この様な状況は自分の過去を振り返っても、日本、英国ともに経験がない。勿論私ばかりでなく殆どの人達には初めての経験であろうと想像する。

こんな状況になると一番心配になる事と言えば、生活する上での必需品の確保であろう。食料品は言うに及ばず薬やマスク、トイレットペーパーが買い占められると言う状況も見られた。

当然の事ではあるが、それらの必需品を手に入れる為にもお金は必要になる。英国政府はロックダウンを宣言した時に中小の事業者に対して、従業員を解雇させない為に休業手当分(給与の80%)を負担することを約束した。今回の新型コロナウイルス問題では世界中の経済が落ち込むことを想定して過去に例を見ない大規模な財政出動も明記されている。

今のロンドン市内は閑散とした状況下にある。街の通りには車の数も少なく、人通りもまばらである。息抜きのためにレストランやパブに行く事も出来ない(全て閉店)。この武漢ウイルスが何時収束するのか先は見えないが、今回の感染がもたらした変化と言えば、街中でマスクをする人が増えたと思う。『マスクは銀行強盗や手術医だけが付けるものでは無い!』と言う新しい文化が生まれたと言えるのかもしれない。早く終息宣言が出されることを期待したい。

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2020/03/28

新型コロナウイルスがもたらした世界の異変

現在世界中の話題を独占している大問題がCovid-19(新型コロナウイルス)である。中国 武漢から発症したウイルスは今や世界中に感染が広がり世界中のニュースは連日この話題に翻弄されている。

当初は中国から1月中頃にこの様なウイルスが武漢の市場で食用として取引される野生動物が原因で広まっていると紹介された。その時点ではその後これ程までに大きな問題になる事を指摘した論調は見られなかった。

しかるに中国の正月である春節辺りから東アジアでも話題になり始めた。後で分かった事は武漢の医師からこのウイルスの感染が昨年末には中国政府に報告されており、その後その医師は拘束され逮捕された事もニュースで知る事となった。2月にその医師が亡くなった事が知れ渡ると、今度はそれらの事実を隠ぺいした中国政府や共産党幹部に対する批判がSNS等で大きくなっていった。

2月に入り日本でも新型コロナウイルスの問題が取り上げられ始めた。中国はこれに先立ち武漢からの団体旅行を禁じる措置にでた、航空機や船舶でも中国からの団体旅行はそれを境にピッタリと止まってしまい、春節のインバウンドを期待していた日本の旅行業界からの悲鳴ともいえるニュースが伝えられ始めた。

イギリスに限って言えばそれまでの数か月はブレグジットが一番の話題であり、『今年の末までにEUとの交渉をまとめる事が出来るのか?』と言う様な論調が主なニュースであった。ところが武漢のウイルス問題が騒がれ始めると、この問題(ブレグジット関連)のニュースは消えてしまった。

イタリアの北部(ベニス、ミラノ等)で最初のアウトブレイク(集団感染)が伝えられると、瞬く間に患者がイタリア全土に広がってしまう事になり、その勢いはフランスやドイツそしてイタリアに次ぐ感染者を出すことになるスペインにも強烈なスピードで蔓延してしまった。当然の事ながら英国でもBBCのみならず全てのニュースメディアのトップは新型コロナウイルスで占められることが連日繰り返されるという前代未聞の状態となってしまった。その大きな原因の一つが、ヨーロッパの首脳達のみならずアメリカの大統領にまで『ウイルスとの戦争状態に入った』というフレーズが何度も聞かれた事である。

この様な状況は今年の初めには誰も想像すらつかなかったと考えられる。先程も少し触れたがこの武漢からのウイルスによりブレグジット問題は何処かへ吹っ飛んでしまった。 加盟国間の人、物、サービス、資本の自由な移動はEUの大きな理念(理想)であったはずだが、今回の新型コロナウイルスの拡散でいち早く各国が国境封鎖を始める事となり、自国民を除く人達は入国すら認められない!と言う国が殆どと言う状態になってきた。

只一つ今回のウイルス問題で救われたと解釈できることが有るとすれば、1月末にEUから離脱した英国には国内政策がいち早く実行できるようになったことが挙げられるのかもしれない。 首相のボリス・ジョンソンが表明した政府の方針『外出自粛・営業自粛を要請という「責任の曖昧なお願い」ではなく,営業禁止という政治的判断』をし,その責任として80%の給与保証をするという決断をしたことはのちには評価される事になるのかもしれない。

武漢発祥の新型コロナウイルスにより各国が抱える問題はこれからもしばらく続くことが予想される。くしくも先日『東京オリンピック2020』が延期される事が発表された。アメリカでも過去に例を見ない景気対策費として2兆ドル(220兆円)もの予算が民主、共和の党派を超えて採択される等と言う非常事態は、年初めには誰が予測できたのであろうか。

前代未聞の決断が要求される新型コロナウイルスが生んだ状況に日本のリーダーはどの様な決断を下すのであろうか?真価が問われている。

2020/02/29

課題を決めて練習するNo.3

今回は突技に対する練習方法である。

これまで蹴技に対しての方法を紹介してきたが、今回は相手の攻撃が少し近間で突技が出された時に対しての課題克服の為の方法を試してみたい。

この方法は以前の蹴技と同様に自身のカウンター攻撃と受技をある程度決めておく事により迷いなく技が出せると言う事になる。今回の受は外受だけを考えてみる事にした。受け側は順手、逆手どちらの手で外受をしても良い!それにより繰り出すカウンター技は蹴に限定してやってみる。蹴返しの技は順蹴でも逆蹴でも可とする。

布陣が対構でも開構でも両方対処は可能である。外受に限定されているので守者側は上受や内受等と迷う必要は無くなる。それが結果的によりスムーズにカウンターを繰り出すことが可能となり、相手の連攻撃を防ぐこともより簡単に出来る様になる。

一番難しい状況(攻防)とは、相手の連攻撃が始まった後でそれらの状況に対処(対応)する事を想像してみれば理解できると思う。


2020/02/24

文化の違い、護身の解釈

殆どの日本人は法を良く守る、これは多くの場合 美徳と言っても良いはずである。しかしながら護身(自分の身の安全を自分で守る)と言う場合を考えてみると海外とは少々異なった実態が見えてくる。

法律を守る事で身の安全が守れるか?と言う事を考えるとどうであろうか。確かに法を犯してまで他人に危害を加える事は一般的な人々はしないはずである。しかしながら犯罪者がそのカテゴリーに含まれない事は結果を見れば明白である。

自身の身を守ると言う事は、法律を守って居れば他者からは危害を加えられる事は無い、と言う事とは全く違うと言う事を認識しなければならない。『法律を守ってさえ居れば暴力を振るわれたりする事が無い!』と完全に保証されると言う事であればこの世の中で問題は起きない事になる。犯罪者は法に従わない、あるいはその様な事を無視する事が出来る者が犯罪者なのである。

よく日本の路上で見られる光景の一つに、歩行者が赤信号が緑に変わるまで忍耐強く待っている事を知って居る。これらは日本人社会の良い習慣である事には違いないが、ともするとこの様な認識は性善説が深く根付いている事がその一因の様な気がしてならない。この場合の信号機は法であり、『それを守る事により自身の身の安全を守る事が出来る』という考えは確かに一面においては真実である。しかしながらそこには自分で身を守る為の意識が箕臼と思えるような印象も感じてしまう。

ロンドンやパリではこの様な状況をあまり見かける事はない。警察官が居る前でも全く変わる事はない!東京や大阪で同じ事をしたら即座に警察官から注意をされるか、逮捕されるかも知れない。基本的な事実として『自分の身は自分で守る』あるいは『他者を信用しない』と言う事が根底にあるのかも知れない。法の解釈でも雲泥のさがあるのでは無いだろうか。即座に注意をする日本の警察官においても、目の前で歩行者が法(赤信号)を無視する事に対して注意する事は理解できるが、それにより歩行者が確実に守られると言う保証ではない。

決してロンドンやパリの歩行者を肯定している訳では無く、日本の信号に従う歩行者を揶揄している訳でもない。根底に流れる『自身の身は自分で守る』と言う意識が根底にあるか?無いか?と言う事を考える上で、一つの現象を指摘してみた訳である。

昨年の春ごろと記憶しているが、幼稚園児が道路わきで交通事故に巻き込まれ多数の子供が被害者となる痛ましい事故が有った。この様な状況では子供たちや保育士達に責任が有るとは思えない。しかし若し保育士達の中に、『万が一車が突然に突っ込んできたら』と考える人が居たら子供達を信号で待たせる時の場所(位置)も変わっていたのかも知れない。

基本的な意識の中に法が守ってくれる、と言う気持ちが無意識のうちに働いてはいないか。路上における自身の身(意識)の置き方のみならず、法が自分達を守ってくれる、と考えて居る人が多いのであればこの様な事故は今後も起きるかもしれない。逆に赤信号で渡っている人達の場合には警察官ではなく車を見てから道路を渡る習慣が付いて居ると言えなくもない。

国の安全もしかり、国際法を守らない国が攻め入ってきた時に、同盟国(警察官)や国際法が確実に守ってくれると信じている人達が大半であるとすれば、残念ながらノー天気国家と言われるかも知れない。この様な国の情勢(紛争や戦争)が世界の至る所で現実に起きている事を考えれば『法は必ずしも個人や国の安全を保障してくれるものでは無い』と言う事が理解できるのではないか。

2019/12/31

2020 新年のご挨拶

皆さん明けましておめでとうございます。

年が改まり令和二年です。私達の国際拳法協会(IKA)も6か国で立ち上げた2015年の結成以来5年目に入りました。

その間にもIKAには参加する国が増え続け、昨年末に新しく加わったマレーシアを含め、現在では10か国が参加する組織にまで発展する事が出来ました。


これもIKA指導者の献身的な努力と、そこに参加する拳士相互の協力がもたらした結果ではないかと信じます。

私達IKAはこれからも発展して参ります。その精神は『伝統を継承しつつも、時代に合わせて進化していく!』と言う思いです。

旧年にも勝るご尽力とご協力をお願い申し上げます。

合掌


2019/11/26

返し技を理解する事で分かる事

少林寺拳法の技を理解するうえで重要な要因がある。複雑な技であればなおさらの事、これらの要因は無視できない。技の指導をする場合、個々のポイントで最初から一つ一つ止めて解説しながら説明している指導者を見た事が有る。これらの方法はともすると誤解を受けやすい。習った側は技を掛けられる側が抵抗する事を考慮する事なく練習するからである。

究極的な護身の技を行使する時には、考えたり止まったりと言う状況は考えにくい。少なくとも指導する場合においては、初めは説明では無く一気に技を掛ける必要がある。その後でポイント毎に説明を加える事は大切ではあるが。

技の流れが止まる事によって考えられるリスク(相手のカウンターアタック、返し技)が有る事を無視して練習すると、現実の護身の時には使えない技になってしまうと言う事もあり得る。このビデオはサイプロスの指導者講習会における解説である。腕十字や片胸落と言う様な比較的に初期の段階で習う技でも、同様のリスクが存在する事を認識する必要がある。

また返し技を知る事で如何に正確な技が大切か!そしてどの様な事に注意しないと相手から返し技を掛けられるリスクが生じるのか、と言う事を説明している。カウンターアタックのリスクを認識した上で腕の位置、持ち方、技の方向や角度と言った個々のポイントを認識して練習する事で、より正確な技の修得に繋がると考える所以である。

(サイプロス指導者講習会の映像)

2019/11/10

課題を決めて練習するーその2

順蹴りが今回の課題である。

理由は前回と同じで、課題がある事で迷いがなくなる。その事で相手の蹴り・間合いに対するリアクション(反応)がよりスムーズに行えると言う理屈である。

相手との間合いの取り方は、それぞれの身長や手足の長さにもよるが、相手から蹴りの間合いの取り方(測り方)は、相手が差込み足や差替え足等で間合いを詰めないと攻撃出来ない間隔を言う。ある程度の経験は必要ではあるが、突の間合いよりも広くとる事で相手に蹴りの攻撃させやすくする事が可能になる。

(スイス講習会での記録)

2019/10/25

課題を決めて練習するーその1

格闘技の練習の中で一番難しいのが相手の動きに対する的確な対応ではないか。何故ならば相対した時に相手の動きが直ちに読めると言う訳ではない、通常は攻防の中で少しづつ相手の特徴が分かり始める。その様な状態で相手がどの様な攻撃を仕掛けて来るのか分からない時、自身がすでに頭の中を整理しておく事により、ある程度は迷いが無く反撃の技が出せると言う事である。

先ず相手に対しての間合いを整理する必要がある。突きの間合いなのか、蹴りの間合いなのか。初めに自分がやろうとする技を限定しておくことにより迷いがなくなる!それを効果的に使う事により、全くプランが無い状態よりもより効果的な反応が出来ると言う練習方法である。

先ず我は『逆蹴りのみ』と言う結論を出す。技としては払受蹴り、十字受から逆の下段蹴り。この2種類のみのカウンター攻撃と言う事を決めて練習する事で他にあれこれと考える必要がなくなる!この事によりよりシンプルにカウンターの反撃に入る事が出来ると言う理屈である。自分がやる事を決める事により迷いを消すことが今回の目的であると言う事を理解して練習してみたらどうであろうか。簡単に反撃が出来たと言う人は目的が達せられたことになる。

(スイス講習会での記録)

2019/10/11

切小手の捕り方

少林寺拳法の指導者として過去にいろいろな場所で指導してきた。

私より身長の低い拳士が一人も居なかったスウェーデンやフィンランド等のスカンジナビア半島の国から、標高1000Mを超える空気の薄さを感じる国や、環境から来る身体能力の非常に高いアフリカのケニア、タンザニア等と言った国々まで指導する機会を得た。

そこで分かったことがいくつか有る。自分達の現在やっている技に対する研究と進化の大切さである。研究心が足りなければ進化も適わないのみならず、より強大な者には技が通じない。その時に役立った事は図らずも先輩指導者による知恵だった。

ここで紹介する技にもそれら先輩諸氏の血の滲む様な研鑽と努力の跡が見て取れる。正直言って切小手と言う技は自分が指導者になった後も全く自信が持てなかった。言葉の通じない場所での指導であれば説明して倒すことなど不可能である。そんな悩みをぶつけた時に偉大な先人達は少しも隠すことなく指導してくれた。

そんな一人が柔法で名を馳せた森 道基先生であった。切小手で悩む私に『小指丘で切る!』と教えてくれた。その後また別の問題が生じた、握っている相手が危険を感じ、あるいは痛みを感じて離そうとして技が掛からない。この対処法も奥村正千代先生のアドバイスがぴったりと当てはまり解決を見た。この様に自身が心底悩んで居る時には大先輩の先生方が授けてくれた対処法は大いに役に立ち、自信が持てる様になった。

それ以後、それらの技を指導する時には心してそれを授けてくれた先生の名を出して指導に当たるよう心掛けている。現在の自分が有るのは偏にこれらの知恵(技)を授けてくれた先生に報いる為と心して指導に当たっている。

(サイプロス指導者講習会での記録)

2019/09/30

鈎手の誤解

少林寺拳法の柔法を習う時、最初に教えられるのが『鈎手守法』である。5指を張って肘を脇に付ける事で、態勢が安定して相手から崩される事なく技を掛けられると言う理論である。これは多くの指導者が同じ様な理論で技を指導していると想像する。

しかし残念ながら鈎手守法ですべてが解決するわけではない!鈎手はあくまでも技の過程の一部である事は言うまでもない。問題は最初に習った『5指を張って、肘を脇に付ける』と言う事を過剰に意識する事で、その後の技に対する動作(練習)が誤った結果を招く事を何度か見ている。

鈎手とは腕を固める事が目的ではない、逆に固める事によりその後の動きが相手に悟られ技の流れが途切れてしまう事になる。合気道などの他武道には、鈎手で自身の体制が崩されるのを守ると言う概念は無い。この様に考えると鈎手は初期動作として5指を張り、肘を脇に付ける動作ではあるが、一瞬の動きであり1秒も2秒も鈎手を続ける(固まる)と言う事では無い。

鈎手はセンサー(感知装置)である。最初に手首等をつかまれた時、崩されないように守る事ばかりに意識が行くと固まってしまう。 これでは相手の動きが分かるはずもない。センサーと考えれば相手の意識(目的)も感知しやすくなるはずである。相手との貴重な接点と捉えれば鈎手の意味も少しは理解できると思う。

ではどの様な鈎手が有効なのか? 相手に捕られた手首は瞬時に5指を張り鈎手の態勢に入るが、ほとんど同時に脱力する事で相手の目的や力の加わり方が感触として分かるようになる。また脱力で相手にも自身のその後の力の入る方向(目的)を悟られる事を防ぐことが出来る。相手が気付いた時には技は決まっていることになる。

(スイス講習会での記録)

2019/09/18

日本と英国の共通点

日本と英国はどの様な共通点があるのか?
両国とも海洋国家(島国)である。大陸は間近な距離ではあっても繋がっては居ない。

明治維新後の日本は西欧の国々に多くの事を学び取り入れてきた歴史がある。

その様な中で面白い現象が有る。日本と英国は共に自国語で外国の地名や人名を語る。日本では中国の事を『チュウゴク』と呼ぶ。北京は『ペキン』習近平は『シュウキンペイ』現在世界が注目している香港行政府の長は林鄭 月娥『リンテイゲツガ』つまり漢字文化の中国は地名、人名等も日本読みが普通である。

イギリスでは漢字文化の国をオリジナルに近い発音で呼ぶことが普通である。中国は『チャイナ』北京は『ベイジン』そして習近平は『シージンピン』林鄭 月娥は『キャリー・ラム』と言う具合である。

逆にアルファベット文化の国に対して日本と英国では上記と逆になる。つまり日本がオーストリアの首都を言う時『ウィーン』、我々が指導者講習会をやった国は『キプロス』、チェコの首都は『プラハ』、ベルギーの首都は『ブリュッセル』と言うはずである。

ではイギリス人はオーストリアの首都を『ヴィエナ』、キプロスは『サイプロス』、チェコの首都は『プラグ』そしてベルギーの首都は『ブラッセル』と言う具合で若干ではあるが違っている。初めて聞いた時『ヴィエナ』が『ウィーン』だとは想像すらつかなかった。

日本はアルファベットの文化圏ではオリジナルに近い呼び方をとり、逆に漢字文化圏の地名や人名では、他国の人には通用しない意味不明な日本語読みになる。英国も漢字文化の国はオリジナル・アクセントに近く、逆にアルファベットが使われる場合には外国人には分かりづらい呼び方と言える。

それ以外の言語における特徴は分からないが、ともに島国の日本と英国は面白い共通点と言えるのかもしれない。

次の呼び方は何だか分かるかな?

1. コジェット  Courgette
2. ヴィークル  Vehicle
3. フローレンス Florence
4. ヴォラディヴォストック Vladivostok
5. ズーリック  Zurich

2019/09/09

少林寺拳法の『技』過去と現在

少林寺拳法で初期の科目表にはあったがある時期から外れた技がいくつかある。その一つに二人抜きと言う護身の技術としては有用な技を見てみたい。( BSKFの初段科目には含まれて居る)

この二人抜きと言う技は、複数の抜き技を組み合わせた総称である。『諸手突抜』や『三角抜』又は『諸手巻抜』『諸手輪抜』と言う技等で如何にうまく相手の力を利用して複数の抜き技を使い、最後は剛法で決める技とも言える。

この様な護身術としては非常に有効な、また現実味のある複数の敵に対しての対処法としての抜き技なのだが、現在の演武競技を対象とした少林寺拳法の練習では多くの指導者にとって関心の薄い技なのかもしれない。

武道としての技術を考えてみれば護身の意味するところは非常に重要だと思う。我々が教えられてきた少林寺拳法を修練する事によって得られる三徳『護身練胆、精神修養、健康増進』を考える時、護身の技術が忘れ去られて良いと言う事にはならないと思う。

その様な理由から今回は二人抜きを選んでみた。順序として技の組み合わせで使われる諸手突抜や三角抜そして諸手輪抜、巻抜を理解しておく必要がある。

最初の足捌きは両側から引っ張る二人の相手に対して、より力の強い方に寄る事。これはそれ程難しくはない。(力の弱い方に寄る事は難しいが。)

何故ならば合わせて2人の力で弱い相手を引っ張る形になる。足捌きと同時に寄った側の腕が鈎手になる事も重要な要件である。

次に素早く鈎手を解き(腕を伸ばし)逆側の相手に諸手突抜又は三角抜で抜くことが可能となる。最初の鈎手で自由に動ける範囲(腕が伸びる距離)を利用する事が可能となるからである。(詳しい動作は下の動画を参考にしてほしい)

最初に突抜又は三角抜で抜いた手で金的打ちを加え、もう一方の相手に寄足でより、諸手巻抜をして連攻撃を掛けると言う一連の動作である。確かに組演武ではやる事も無い技なのかもしれない(?)が、武の要諦としては面白い技では無いかと考える。

(サイプロス指導者講習会の映像から)

2019/08/22

IKAの指導者に求められる心構え

少林寺拳法の講習会をする都度感じる事が有る。参加する拳士の意識と目的がはっきりしている時は指導する側も比較的やり易い。

しかしながらせっかくの講習会に参加しているにも拘わらずその様な意識が希薄な人達が居る事も過去に何度か経験している。私が過去に所属していた組織での事、本部や地方での講習会等において指導員が技の実演や説明をしている最中に、何処かの道院長と思われる人達がヒソヒソ話しているところを目にした事が有る。聞く気が無くとも耳に入る言葉から、今まさに指導に当たっている指導員の技に対する批判であった。『あんな捕り方では掛からない』とか『自分が習ったやり方とは違う』と言う様な内容だった。その時感じた事は、この様な話を聞かされる拳士達はどう感じるであろうか、陰でそんな話をする指導者を見て、やる気が出るのであろうか?と言う単純な疑問だった。

一つ言える事は『万人に共通する技の掛け方などは存在しない!』個々の技を掛ける人の体力や体のサイズそして年齢等が異なり、掛けられる側も同様な条件のみならず、柔軟性や俊敏性等千差万別であると言う事を忘れてはならない。よく昔から伝えられる武道における秘伝等という物は個々の武道家の技量であり、それが普遍的に誰でも出来ると言う事とは異なると思う。

野球のバッティングにしても共通する課題は、基本をおろそかにしては上達が難しいと言う事位ではないか。基本と言うのは同様なパターンの練習をすることにより、大多数が一定のレベルに到達する為の近道と考える事が出来る。しかしながら試合の場においては自身の体力や技量のみならず、相手(投手)の体力や技術が自身それを上回ると言う事になれば、基本通りのバッティングをしても打てないと言う事は理解できると思う。

まして武道の世界であれば一握りの高段者が到達した技術一つをとっても、万人が常に同じ結果が保証されると言う訳ではない。しかしここにヒントが隠されているのではないか? 高段者の先生が到達した原則(Principle)は非常に有効なアドバイスとなり得る!しかしながらそれがすべての人に理解できると言う事ではないし、たとえ理解できたとしても先程の原理が存在する事を忘れてはならない(自身の体力、サイズ、運動能力に加え相手にも同様な条件が有る事!)

もし仮にその様な原則が理解できれば、多くの事が野球のバッティング技術と共通する事も分かるのではないか?自身に合ったフォーム、タイミング等最終的には自分で見つけるより他にはない。では少林寺拳法の技術は何でも良いのか!と言う事では無い、自身に一番合った技術を指導してくれる人を見つけると言う事になる。そう考えれば一人でも多くの指導者の技を見て、これはと言う技術(指導者)に出会ったならば、それを徹底的に追及する事が技の上達の近道かもしれない。その事が理解できれば少々個性の強い技の在り方も、個々の拳士においては大いに参考になり得る事も有ると思う。

IKAの指導者には自身の技に自信をもって指導に当たって欲しいと願うと同時に、自分とは異なった捌きや捕り方等をする指導員を批判しないで頂きたい、何故ならばそれ等が万人に有効な技では無くとも、特定の拳士には非常に参考になる事もあり得るからだ。私の経験から言える事は、自分の技も一人の先生からの技術指導だけではなく、多くの先人達の到達した技に影響を受け又アドバイスされた結果の集大成と考えるからである。

『守、破、離』まさにこの言葉の意味するところを思い出してみるのも良いのではないか。 

結手