2019/08/22

IKAの指導者に求められる心構え

少林寺拳法の講習会をする都度感じる事が有る。参加する拳士の意識と目的がはっきりしている時は指導する側も比較的やり易い。

しかしながらせっかくの講習会に参加しているにも拘わらずその様な意識が希薄な人達が居る事も過去に何度か経験している。私が過去に所属していた組織での事、本部や地方での講習会等において指導員が技の実演や説明をしている最中に、何処かの道院長と思われる人達がヒソヒソ話しているところを目にした事が有る。聞く気が無くとも耳に入る言葉から、今まさに指導に当たっている指導員の技に対する批判であった。『あんな捕り方では掛からない』とか『自分が習ったやり方とは違う』と言う様な内容だった。その時感じた事は、この様な話を聞かされる拳士達はどう感じるであろうか、陰でそんな話をする指導者を見て、やる気が出るのであろうか?と言う単純な疑問だった。

一つ言える事は『万人に共通する技の掛け方などは存在しない!』個々の技を掛ける人の体力や体のサイズそして年齢等が異なり、掛けられる側も同様な条件のみならず、柔軟性や俊敏性等千差万別であると言う事を忘れてはならない。よく昔から伝えられる武道における秘伝等という物は個々の武道家の技量であり、それが普遍的に誰でも出来ると言う事とは異なると思う。

野球のバッティングにしても共通する課題は、基本をおろそかにしては上達が難しいと言う事位ではないか。基本と言うのは同様なパターンの練習をすることにより、大多数が一定のレベルに到達する為の近道と考える事が出来る。しかしながら試合の場においては自身の体力や技量のみならず、相手(投手)の体力や技術が自身それを上回ると言う事になれば、基本通りのバッティングをしても打てないと言う事は理解できると思う。

まして武道の世界であれば一握りの高段者が到達した技術一つをとっても、万人が常に同じ結果が保証されると言う訳ではない。しかしここにヒントが隠されているのではないか? 高段者の先生が到達した原則(Principle)は非常に有効なアドバイスとなり得る!しかしながらそれがすべての人に理解できると言う事ではないし、たとえ理解できたとしても先程の原理が存在する事を忘れてはならない(自身の体力、サイズ、運動能力に加え相手にも同様な条件が有る事!)

もし仮にその様な原則が理解できれば、多くの事が野球のバッティング技術と共通する事も分かるのではないか?自身に合ったフォーム、タイミング等最終的には自分で見つけるより他にはない。では少林寺拳法の技術は何でも良いのか!と言う事では無い、自身に一番合った技術を指導してくれる人を見つけると言う事になる。そう考えれば一人でも多くの指導者の技を見て、これはと言う技術(指導者)に出会ったならば、それを徹底的に追及する事が技の上達の近道かもしれない。その事が理解できれば少々個性の強い技の在り方も、個々の拳士においては大いに参考になり得る事も有ると思う。

IKAの指導者には自身の技に自信をもって指導に当たって欲しいと願うと同時に、自分とは異なった捌きや捕り方等をする指導員を批判しないで頂きたい、何故ならばそれ等が万人に有効な技では無くとも、特定の拳士には非常に参考になる事もあり得るからだ。私の経験から言える事は、自分の技も一人の先生からの技術指導だけではなく、多くの先人達の到達した技に影響を受け又アドバイスされた結果の集大成と考えるからである。

『守、破、離』まさにこの言葉の意味するところを思い出してみるのも良いのではないか。 

結手

2 件のコメント:

  1. このコメントはブログの管理者によって削除されました。

    返信削除
  2. このコメントはブログの管理者によって削除されました。

    返信削除