6月中旬はアイルランドのディングルと言う場所で講習会が催された。その2週間後の6月最後の週末にはチェコの講習会があった。日本から応援に駆け付けてくれた指導員と一緒にチェコに飛び、講習会を無事乗り切る事が出来た。
この季節のヨーロッパは一年でも最も快適なシーズンを迎える。日本の様な梅雨は無く、日照時間も長く 午後の10時近くまでも明るいので一日の長さを有効に使うことが出来る。 イタリアから始まった今年の海外講習会も7月に入り山を越える事となった。アイルランドのディングルは大西洋に面した簡素な町である。その様な町にも日の長いこの季節、ヨーロッパのみならずアメリカやカナダ等からも観光客が訪れていた。
アイルランドと言えば世界記録のギネス・ブックで有名なギネス(黒ビール)の原産国である。ロンドンのパブで飲むギネスとは一味違ったドラフトのギネスが味わえるので、呑兵衛の小生には嬉しい場所でもある。練習後のパブではギネスを酌み交わしながらの食事となるが、地元のミュージシャンによるアイルランド民謡を聞きながらギネスのグラスが重ねられていく。昨年の講習会では地元のゲーリック語(アイルランドの言葉)専門のTVチャンネルが取材に来ていた。少林寺拳法の事を拳士や支部長が説明していたのだが、私には全く理解できなかった。
アイルランドの講習会から2週間が過ぎ、今度はチェコの講習会である。日本からの応援もあり今年も充実したセミナーとなった。 チェコはEU加盟の国ではあるが通貨はユーロではなくチェコ・クローナと呼ばれている。 1993年まではチョコとスロバキアは一つの国であった、現在では2か国に分裂し、それぞれが別の国家として国連にも加盟している。

今回のセミナーにはスロバキアから新たな参加者があった。元々は異なった武道をやって居たらしいが、少林寺拳法も少し習った事があるとの事で、今回の主催者に参加を申し込んだ様だった。その彼が当初 黒帯を締めて練習に参加して居たので、私が「君は何処で少林寺拳法を修行したのか?」と聞くと、「デンマークで武術を指導している日本人から少林寺拳法を習った」と答えた。
技の名前もいくつかは理解出来た様だが、天地拳第一をやらせてみると少し形が崩れて居る事が分かった。そこで「君は真剣に少林寺拳法をしたいのか?」と聞くと、「ここに参加してみて、もう一度最初から始めたいと思った」と言う答えが返ってきた。「では白帯に変えて参加しなさい」と言うと、翌日の練習には白帯を主催者から借りて練習に参加していた。今後 彼が少林寺拳法に対してどの様に取り組むのか、私もしっかり見守りたいと思う。

彼は警察の幹部であると同時に、空手指導員の資格も有していた。そのまま続けていれば今頃は5段くらいの資格(実力)は充分に考えられた。しかし宗道臣の本(「思想と技法」)との出会いから、少林寺拳法を修行したいと私に連絡をしてきた事がきっかけである。丁度自分がカッパ・ブックスの『秘伝少林寺拳法』を読んで少林寺拳法にのめり込んでいった事を思い出させる。その後は講習会や合宿の都度、チェコからロンドンまで練習に通ってくる生活が始まった。初めの頃はいつまで続くのかと、半信半疑で見ていた英国連盟の拳士達も、講習会の都度見かける彼の姿に次第に共鳴するようになり、ホームステイ等の協力を申し出る拳士も出てきた。
合気道3段の資格を持っており、チェコでは合気道の道場を続ける事も可能であった人物である。ロンドン滞在中はインペリアル大学の拳法部の練習に参加していたがそれだけでは物足りず、私の指導するメイフェア支部やシティ大学の拳法部にも参加する様になり、ほぼ毎日が少林寺漬けの生活であった。プラハへ帰る直前に初段に合格してからもBSKFの講習会や合宿には毎回顔を出すと言う熱心さである。ロンドンでの練習においてチェコ人二人の出会いがあり、首都のプラハでも支部を開設する運びになった。その後も事ある毎に協力し合いチェコでの少林寺拳法発展につながっている。