2014/09/26

少林寺拳法は宗教団体? 宗教と言う名に潜む危険性とは

先月の40周年大会も無事終了してホッと一息付く間もなく、私に送られてくる問い合わせには色々と考えさせられるものがある。

その一つに少林寺拳法は『宗教団体』ですか?と言うものである。その様な質問は当事者の私にとって「いえ、武道団体です」と答える事にしている。 確かに日本の少林寺拳法は『金剛禅総本山少林寺』として宗教団体に属するグループも存在する。しかしながら話が一筋縄では説明のつかない複雑な事情も散見される。一般財団法人の日本少林寺拳法連盟は当然の事ながら宗教法人では無い。

学校の体育館や公共施設を使い道院として活動してきた少林寺拳法が、有る日を境に宗教法人と言う立場を鮮明にして、そこに通う子供やその父兄にまで「少林寺拳法は宗教団体です」と説明するようになったそうである。月謝や教費と言う呼び方はしない様にと指導され、お布施と呼ばなければならないとの事である。もしお布施と言う事が事実とすれば金額は当然の事ながら自由で、いくらでも良い事になる。仮に小学生のお小遣い程度の金額(どれ程か定かではないが)数百円でも文句は言えない事は明白であろう。もし金額が定められており一律と言う事であればおかしなお布施と言われても仕方がない。

少し考えてみれば分かる事であるが、少林寺拳法を習いたいと言う子供にしても、又習わせたいと願う父兄にしても、それを宗教活動と捉えて始める人達はごくまれでは無いだろうか。 私も高校生の時に開祖宗道臣の本を読んで少林寺拳法に入門した事は前にも書いた通りである。しかしながらその時少林寺拳法を宗教として認識して始めたとは思っていなかった。もしそのような事が事実であったとすれば親の承諾は得られなかったかも知れない。

昨今の道院には小学生の拳士数が圧倒的に大人よりも多いと聞く。我々が始めた頃(60年代中頃)の少林寺拳法は小学生の入門者は一人も居なかった。自分達がおそらく年齢の最も若いグループであった事は紛れもない事実である。時が移り少林寺拳法もメジャーな武道の仲間入りをした事で多くの道院ができ、拳士の幅もより広くなった事は喜ばしい事ではある。

只そこで明記しなくてはならない事は、入門希望者に「私達は宗教団体です、教義はダーマ信仰が中心となります」としっかり説明し、理解を得た上で入門を許可すると言うプロセスが当然の事ながら必要になる。「月謝は教費ではありません、お布施ですからいくらでもかまいません」と断わった上で練習に参加させると言うのであれば、問題の起きる事も無い。

残念ながらこの様な説明は一切無いものと思われる。それがある時突然に「我々は宗教団体であるから公共機関の施設は使えない」と説明され、これまで通っていた道場に通えなくなるとすれば、当事者としては文句の一つも言いたくなる気持ちは理解できる。

随分前に英国連盟の幹部拳士から次の様な指摘を受けた事がある。英国の学校教育の場では『カルト宗教』についての説明が時々なされるそうである。それは多民族国家の英国やヨーロッパの国々では当然の事ながら色々な宗教が混在する社会である。その様な環境下では様々な人達が宗教の名の下、カルト宗教の感化を受ける事件も現実に起きている。

現在世界中を騒がせているイスラム国(ISIS)にしても、イスラム教の名の下に原理主義を刷り込み、多くの若者達を戦地に送り込んでいる事はニュースでも伝えられている。原理主義なるものは言葉を変えればカルト教育と言う事が出来る。この様な現実を目の当りにすれば、如何にカルト団体を見破る事が難しいかと言う事も理解できるであろう。カルト宗教の隠された恐ろしさを、学校教育の場で実践して教えている英国においてさえ、イスラム戦士として戦場に送り込まれてしまう事は、彼等にとってどの様にカルト宗教と、一般の宗教とを区別して理解するかは大変重要な問題であると言える。

その様な中である支部長が「日本の少林寺拳法本部がやって居る事はカルトと共通する部分が有る」と私に言ってきた事がある。何故なのだろうと考えてみると確かにその様な一面も否定できない事実があった。 カルト団体の特徴としてあげられる事は一人の人物を神格化して、その人物の言う事は絶対で批判する事は許されない。また一旦異端者としてレッテルを貼られると、グループには居られなくなり破門したり、その後はそれらの人達との接触まで禁じてしまう。つまり自分達のグループを守る為の隔離政策がカルト宗教と共通と言う訳である。

この様な現実から目を背けることは容易い。しかし残念ながらそれは問題の解決には全く繋がらないばかりか、最終的に自分も加担者になる事を自覚しなければならない。「まさか少林寺拳法がその様な」と言う声も聞こえる。しかしそれでは日本ではこの様な問題は無いかと問えば、無いと言い切れない事は明白であろう。オウム真理教と言うカルト団体が引き起こした松本サリン事件は多くの人々の記憶にある。

カルト宗教の恐ろしさは、それに係っている本人達には全く当たり前の事実で気付きにくい事も共通している。余りにも深く係って居る事で自分達は社会に対して良い事をしていると刷り込まれているからである。又カルト宗教とはどの様な宗教であれ、それになり得る事を認識する必要がある。

少し古くはアメリカで起きたジョーンズタウンの自殺事件。韓国でも教祖を現世のメシアとして祀っていた統一教会、日本ではオウム真理教(サリン事件により世界中で有名になったが)と数え上げればきりがない。そのオウムの信者にしてもヨガを修行の拠所として信者獲得をして居た事は有名である。あれだけ大騒ぎになった大事件の後も、信者は未だ続けている事を一般社会の人達は理解できないであろう。名前をアレフと変えようとカルトの本質が変わるものでは無い。

1995年12月、フランス下院で採択された報告書『フランスにおけるセクト』は「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針の一つとされている。10項目挙げられたセクトと呼ばれる要因で、宗教法人を標榜する少林寺拳法は果たして幾つ該当する項目が有るであろうか。

1.精神の不安定化
2.法外な金銭的要求
3.住み慣れた生活環境からの断絶
4.肉体的保全の損傷
5.子供の囲い込み
6.反社会的な言説
7.公秩序の攪乱
8.裁判沙汰の多さ
9.従来の経済回路からの逸脱
10.公権力への浸透の試み

以上挙げられた項目の一つでも該当する項目があればカルトと認定されると言われている。5. 8. 10. 等は該当するかも知れない。これは私が言って居る事では無い、上に述べたとおりフランス政府が認定するカルトの要因である事を銘記すべきであろう。

この様に考えると少林寺拳法を宗教と捉える事に、どれ程のメリットがあるのか私には理解できない。武道を餌に宗教を刷り込むのであれば明らかにカルト団体の認定を受ける事だけは確かである。それでも全ての道院長は少林寺拳法を宗教団体と言い切りますか?

124 件のコメント:

  1. ご隠居拳士2014/09/27 17:21:00

    暇な隠居拳士は、教範における、「少林寺拳法の法階制度について」を読み直してみました。
    拳法教範(復刻)(初版、19頁)、正統少林寺拳法教範(昭和40年発行、135頁)には、
    武階、法階の記載はありますが、僧階の記載はありません。
    少林寺拳法教範(昭和51年発行、156頁)、及び最近の教範(上巻142頁)には
    『正式の資格や称号は、進歩の度合いを示す武階と、修養の段階を表す法階の二種類がある。』と記載されており、僧階が正式の資格や称号であると、記載されておりません。
    本文の後に、武階、法階の名称に加え、僧階の名称が記載されているのみです。
    「道院で少林寺拳法を修練する者は、全て門信徒、条件に合わない道院は廃止する」という方向は、過去の経緯とずれていませんか?
    開祖は教範を百遍読めと言われました。
    結手

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  2. ご隠居拳士様 投稿有難うございます。

    経験豊富なご隠居拳士ならではのご指摘です。現在のシステムになってから入門された現役拳士や道院長の方々には、これ等の事実は大変貴重な指摘だと思います。これらの事実がどの様にして現在のシステム(武階、法階、僧階)に組み込まれてしまったのか、明確にする事も非常に大切な事ではないでしょうか。

    私は宗教そのものを否定する立場をとりません。しかしながら自分達の知らないところでいつの間にかルールが変えられたり、認識もしていないのに拳法を人集めのツールに利用され、気が付いた時には加担者となっていたと言う事ではあまりにも残念でなりません。

    私は現役指導者の人達が少林寺拳法を武道として誇りを持って指導したいと考えていると思います。あえて宗教にしたい道院長の方が少数派ではないでしょうか。その様な思いから今回の様な指摘をしたのです。少なからぬ問い合わせが届いている事からもその様に感じています。

    又ご隠居拳士さんならではの投稿期待しております。 結手

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  3. 水野先生、記事を寄せていただきありがとうございます。
    水野先生の書かれた文章から察しますに、現況の彼の団体は初代の頃からかなり変遷したということになるように思います。
    宗教に属したとすると、事実、ほとんど他の宗教に属している日本人がまた、ダーマを信仰する他の宗教に武道をやるために属さないといけないという事実になろうかと思います。
    研究者の間では達磨禅師の実在はないと言われていますが、彼の地の教えは達磨禅師が基本なので
    教えつづけるのも宗教臭さはいなめず、普通の感覚の方たちを遠ざけてしまっているのではと思っています。

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  4. Empty様 引き続いての投稿有難うございます。

    今回の引用は少々刺激的な部分もあろうかと思います。このところの組織が示す方向に疑問を感じている人達が、Emptyさん以外にも多くのリーダーが同様な感覚を共有していると思ったからです。

    私達のBSKFにとっても日本の少林寺拳法と言う組織が、カルト団体の認定を受けて欲しくないと願う気持ちは同じです。なぜならばその評価は我々にも直接的に関係してくる事は避けられないからです。しかしこれらの危機感は日本国内の指導者達には中々伝わりにくいのも事実です。

    少しでも多くの方々が現在の方針に危機感を感じ、内部からの方向転換が起こる事を願うものです。大きな変革には厖大なエネルギーが必要です。誰も火の粉をかぶってまで行動を起こしたくない気持ちは分かりますが、全員が傍観者であれば燃える城の火を消す事などかないません。あるいは燃え尽きた後に新たな城を築く事を考えているのでしょうか。

    決して皮肉で申し上げて居る訳で無い事だけはご理解頂きたいと思います。 
    又の投稿を期待しています。 結手

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  5. 開祖の本を何度も読み感動して、私にもお手伝い出来るのではと思いで始めた少林寺拳法、仕事と家族の時間を惜しんで練習に励み道場では支部長から開祖の法話と初め楽しい時間が私には夢のようでした。

    先生が書かれた宗教団体とすれば私も同感です、一度離れて外から見れば良く分かります
    私が習っているのは護身術である拳法です、技を通じての人のつながりです。宗教では特定の人しか付き合いできないでしょう。少林寺拳法は意見の述べる組織ではなかったでしょうか?

    40年近く地域の青少年育成に努力してきた道院支部長を宗教的活動と理解が少ないとの事で突然,閉鎖を命じられたそうです、今の責任者ではなく開祖の思いを実行してきた自分は何だったでしょう、そのような道院支部長を見てきた奥様や家族はどの様な思いでしょう!

    考えるとやり切れません。

    少林寺拳法と名乗らなくても地域での活動はできるはずです。一歩前に出て違った形で開祖の思いを実行します、やらなければなりません。

    (人の難を救い教えを垂れて人を導く)

    結手

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  6. 友人に教えてもらってから読まさせていただいています。「単なる武道やスポーツではない」と言っていたのに気がついたら「ただの宗教」になっていたと言うことなのでしょうか。友人は携帯仏壇を持って修行場所に行く自分の姿を思うと「なぜこうなるのか。」といつも思うと言っていました。そもそも都会では専有道場など持てる者は経済的に恵まれたものに限られ、長く使用してきた公共施設から使用料が高いうえ狭いところで携帯仏壇を飾って練習している自分がなんとも寂しいと自嘲気味に言っていました。いったい誰がこんなことを言い出して誰が進めたのか憤っています。後ろで糸を引いているものがいるのではと思っています。なぜなら出てくる施策はすべて現場の経験がないようなものばかりです。何が何でも宗教、絶対宗教、少林寺拳法は宗教であると叫んでいる姿を愚かしいと思うのは私だけでしょうか。
    ここで一句
    宗教の中身も知らず声高に
         叫ぶ姿の愚かしさ
           釈迦と達磨の違いも知らずに
    かつては学会でも、キリスト教でも、だれでも修行ができた少林寺拳法も、ご本尊が達磨とはっきりすれば、宗教の二重のご本尊など信じれるものではないことをご存知ではないようです。思うところを書きましたが、こんな私でもしっかり頑張っている指導者です。このままでは矛盾を抱えて小さく弱体化していくか、組織の細胞がいくつかに分裂して形が出来ていくか、いずれかを見ることになるのではないでしょうか。いつまでもおとなしく言うことを聞く者ばかりではないことを知るべきです。
         


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  7. 最初の投稿者様へ

    投稿有難うございました。何処へもぶつける事の出来ない失望感良く分かります。自分達が人生を賭して開祖の思いを実現するべく努力してきたと、自負している指導者こそ現在の有り方に疑問を抱く事は当然の帰結でしょう。

    何度も私の見解を述べましたが、少林寺拳法は武道として認められたからこそ現在の組織や立ち位置が有るのでは無いでしょうか。もし宗教が正規の立ち位置であったとすれば今日の様な組織たり得たでしょうか?

    指導者であれば今一度自分の心に正直に向き合い、何を拠りどころとして今日まで少林寺拳法を続けて来られたのかを自問してみる時にきていると思います。 その整理を付けないまま只此れまでどおり少林寺の指導を続けていれば、今度は自身に火の粉が降りかかると思います。

    又の投稿を期待しております。  結手

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  8. 二番目の投稿者様へ

    投稿感謝致しております。
    厳しくも自身の信じた道を貫きたいとの思い文面から拝読しました。ここでこのブログにではなく私個人のメールに送られてきた拳士からの感想を、ご本人の承諾を頂きましたのでご紹介したいと思います。

    『先生のブログ拝見しました。
    まったくおっしゃるとおりで、現在の日本の少林寺拳法は宗教団体どころか、営利追及のブラック企業とあまり変わらない姿勢を、宗教団体としての美味しいところだけ残していきたい根性がいやな感じにのこっています。
    同時に、カルトのレッテルを忌避するあまり、宗教的もしくは教育的側面からも忌避してしまうことに対しては躊躇したい思いがあります。 
      
    運営上の利便性から宗教団体であり続けることを優先するあまり、武道としての支部活動を持続させられないようになってしまうのは本末転倒で、それなら宗教団体とは決別して武道としての活動を持続させるのが筋であると思います』全文ではありませんが上記の感想を寄せられました。

    同時に傍観者としての指導者には「明日のニーメラーになる可能性もありますよ」と注意書きが添えられていた事も付け加えたいと思います。

    私から他に付け加える事はありません、願わくば真面目に続けてきた少林寺拳法の指導者がマルティン・ニーメラーの境遇を味わう事が無い事を願うのみです。

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  9. 投稿してるだけでは何もしない事と同じだ!

    その様な思いから、少林寺拳法で習った技術をさらに変化を加えた〇〇拳法を始めます。各地で多くの拳士が少林寺拳法から離れて修行をしていると聞きます、私と同じ思いをする人が多くいるはずです。開祖の思いは私の体の中にくすぶり続けています。

    上杉鷹山公は小さい火種から改革を始めました。
    限られた時間ですが、私にも出来るはずです。
    また熱い炎にして輝きを見せます!

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  10. 投稿有難うございました。

    「投稿しているだけでは何もしない事と同じだ」確かに仰せのとおり、行動の伴なわない言葉遊びであれば確かにそうかもしれません。しかし貴方は少なくとも声を上げ、何とかして現状を打開したいと言う気持ちを表現されました。

    決意の程は充分に伝わってきます、簡単な決断では無いと思います。その思いは現状を異常な状態と感じる人達には伝わるような気がします。開祖の教えを胸に少林寺拳法を次世代に残すべく活躍されんことを祈ります。

    日本国内でも貴方の様に感じて行動を起こす人が居る事は新鮮な驚きです。 正直な印象として個々の不満はあっても、日本の道院長が行動を起こすとはこれまで考えて居ませんでした。 この様な現実を知ればWSKOから離れた海外の拳士達は随分勇気付けられる事とでしょう。彼等の中にも少林寺拳法を名乗る事によりWSKOからの報復(訴訟)をおそれ別の名称で続けているグループが数多く存在しています。時々それらのグループからも問い合わせが来る時がありますので、その折には投稿者さんの様な人達が日本にも居る事を紹介したいと思います。

    もし新たなグループを立ち上げられましたら、その時は堂々とこの場に書きこんで下さい。応援したいと思います。 結手

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  11. ご隠居拳士2014/10/02 2:21:00

    昔(50年ほど前)の入門者は、格闘技経験者が多かった。
    一癖も、二癖もありそうな、人が、新人として入門してきた。
    そして、個性豊かな少林寺拳法が育っていった。
    今の入門者は、(お子様が多く)皆さんおとなしく、
    格闘技の経験者は、ほとんどいない。
    少林寺拳法だけで育った場合、技の深さには限界があるし、
    少林寺拳法はプロを認めないため、
    全てを投げ打って、技に打込む環境ではない。
    武術として、あるレベル以上を目指すのであれば、
    他武道に道を求めることは、当然の帰結だと思う。
    少林寺拳法経験者で、他武道で活躍する人も多いと聞く。
    少林寺拳法を名乗らない(今では自慢にならない)ため、
    表面化しないのだと思う。
    出来る人は、少林寺拳法を踏み台に、ドンドン飛躍してほしい。

    少林寺拳法の技は、100人に教えた場合、95人が理解できる。
    他武道では、ありえない、100人に教え、理解できるのは5人だ。
    理解者を増やすことが目的の少林寺拳法と、
    才能ある精鋭を残そうとする他武道の違いだ。
    少林寺拳法拳法の科目表には、250の技があるが
    多くは、古典物理と簡単な東洋医法で理解できるものであり、
    100人中、95人が理解できる技で、構成されている。
    「誘導法で指導する」等は、所作が出来れば、
    技がかかると誤解を招く。 虚実等の、術の世界を無視している。
    マス指導ができない技法は、指導しない。(指導できないのかも)
    武術の深さにめざめた拳士は、少林寺拳法に限定せず、
    さらに奥義を探って欲しい。

    武術は日本の文化です。外国の人に、技を語り、
    実際に掛け示すことができれば、あなたは尊敬されます。
    カタコト英語ができるよりも、はるかに尊敬されます。
    感激した外人が、日本びいきになってくれれば、
    あなたは、将来に亘って、日本外交をサポートしたことになります。

    今の、矛盾は、少林寺拳法を続けたいのに、続けられない人がいる事だ
    なぜ、宗教を前面に出さなければならないのか、理解できない。
    日本人(拳士)の高齢化が進み、信仰の方が受けが良くなった?
    冗談でしょ!  高齢化した団塊の拳士は、「あざ」を「受け位置を確認する印」と思い、「関節の締上げ」を「柔軟体操」、「圧法」を「指圧」と感じる連中です。(笑い!)

    私は、9月より、四国遍路を始めた、しかし、これは信仰ではない、
    熟年離婚回避のためのレジャーであり、
    長年苦労をかけた、妻へのサービスである。(苦笑い!)
    結手

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  12. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    彼の地の宗教が逆に宗教なのかというのは許認可を認める当局が疑問視しているところだと
    思います。疑問視しているから、祭壇の設置、公共施設からの撤退になったと思われます。
    彼の地の考え方として仏教としていますが、ダーマ信仰は全く仏教にみられない特徴で、金剛禅は禅の範疇に含むのかどうかと問えば、既存の禅宗の方々は違うと答える方が多数ではないでしょうか。この辺りは初代の方の考えが独自すぎるからだと思いますが、ダーマ信仰、金剛禅というものに違和感があるかたも多いのかなと思います。

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  13. ご隠居拳士様 長文の書きこみ有難うございました。

    いつもながら鋭いご指摘恐れ入ります。ご隠居拳士さんは長い拳歴がおありの様で少林寺拳法の本質を鋭くついておられます。確かに我々団塊世代が始めた頃の少林寺は実に質実剛健な拳士であふれていました。それだけに少林寺拳法に掛ける情熱も今では考えられない程強いものでしたね。

    時が移り少林寺拳法の入門者が大きく様変わりした事も事実です。少林寺拳法経験者が他武道はじめ、いろいろな分野で活躍される人も数多く居る事は事実だと思います。しかしそれを表明する(経歴を誇れない)意味も無い団体になってしまった事を残念に感じるのは私だけではないと思います。

    海外における武道団体としての少林寺拳法は、これからも発展の余地は大きなものが有ると思います。只それには日本の少林寺拳法がカルトの宗教団体として評価される様な事になれば全く発展は望めません。

    今一つ、海外で少林寺拳法が評価を受ける為には、武道として技術面でも熟成されたものが大切である事は言うまでもありません。少林寺発足当初の力(武術としての)による指導は、言葉の通じない世界であればなおさら必要になる事はご理解頂けると思います。

    襟を正すべきは、武道としての少林寺拳法を今もなお情熱をもって伝える努力をしている指導者ではなく、それら指導者の情熱に水を差す宗教としての少林寺拳法を押し進めている一握りの人達ではないでしょうか。

    奥様思いの心優しいご隠居拳士さんには、現代の拳士には中々イメージしづらい1960年代の少林寺拳法が、武道団体の中でもひときわ輝いていた時代の生き証人として、今後共メッセージを発信して頂けることを期待しております。   結手

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  14. Empty様 引き続き投稿をお寄せ頂き有難うございます。

    私が前のコメントで紹介したEメールからのコメント「営利追及のブラック企業とあまり変わらない姿勢を、宗教団体としての美味しいところだけ残していきたい根性がいやな感じにのこっています」これこそが多くの拳士が感じている違和感ではありませんか?

    そして別の投稿にもありましたように「長く使用してきた公共施設から使用料が高いうえ狭いところで携帯仏壇を飾って練習している自分がなんとも寂しいと自嘲気味に言っていました。いったい誰がこんなことを言い出して誰が進めたのか憤っています」とも書かれて居ます、悲しい現実ですね。

    続けて又、「出てくる施策はすべて現場の経験がないようなものばかりです。何が何でも宗教、絶対宗教、少林寺拳法は宗教であると叫んでいる姿を愚かしいと思うのは私だけでしょうか」、この様な厳しい言葉が発せられているのに無関心な組織とはいったい誰の為の組織なのでしょう。

    私が5月2日のこのブログ『何処へ向かう少林寺丸』の中に書いた『「少林寺拳法連盟は拳士の利益の為にのみ存在するが、少林寺拳法連盟の利益の為に拳士が存在しているのではない!」これがあたりまえの姿である』、と言う見解は今も変わりません。

    今一度拳士自らがどうありたいのか、自分で答えを見つける時にきていると思います。
    結手

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  15. 携帯仏壇なんて。。。声も出ません。。。

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  16. 投稿有難うございます。

    最初に携帯仏壇の話を聞いた時には信じられませんでした、「冗談デショ!」と。

    少林寺拳法は何処へ向かって何をしようとする団体になったのか?、私も同感です、声が出ません。

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  17. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    彼の地の本部は道院のホームページは認可制で、個々人がブログなどで技法のことを書くのも
    知財の見地からなのでしょうが、不可という見解ですが、この統制の強さが不可思議です。よろしかったら見解をお伺い出来ればと思いました。

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  18. 昨日(ヤフー知恵袋)見ていると少林寺拳法四段の拳士が、宗教法人はどうも納得いかないとの書き込みがありました。

    やはり今のシステムには納得がいかない拳士が多く増えていますね、宗教法人の信徒にはなりきれませんし、東北の見舞いの義捐金でも全国の拳士一同ではなくて、少林寺拳法として寄付をした、全国拳士一同ではないんでしょうか?私たち拳士はなんでしょうね!

    やはり、意見をはっきりという時が来たようですね!

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  19. 上手く返信をだせません。12日以後に返信します。
    Skmizuno

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  20. 済みません、キプロスの指導者講習会に来ておりますので上手く返信できず申し訳なく思います。
    12日過ぎには全員に返信致します。
    Skmizuno

    返信削除
  21. 少林寺拳法を習うには金剛禅総本山少林寺に入門する必要があります。で始まる入会案内に少し驚きました。35年前にはそのようなことが書いてあったのでしょうか?
    覚えていませんが、当時は道院長の青少年育成の素晴らしさに、その道院長通じての開祖の教えに感銘して道場に通いました。
    宗教法人(団体)なぜ変わる必要があるのでしょうか、もっと全国の道院・支部・監督の意見を聞くべきですよね!
    最近はいいことばかりが聞こえてきて、本来の姿が見えなくなってきているようです。
    拳士の事を考えるような責任者になれよ!
    この言葉ばかりが浮かんできます。
    この言葉を本部役員に投げかけたいです。
    自分の目で各道場を見て声を聴くべきです。

    返信削除
  22. 小学生です。最近何か変です。少林寺の本部で何があったのかは知りません。私は強くなり、宋道臣先生の言われるように、身を守り・弱い人を助ける人間になりたくて練習を始めたのです。でも、最近は練習よりも金剛禅の話だけがやたらに多くなって、武術面の練習はあまりなくなりました。この間も練習時間の全てが金剛禅の話でした。今は少林寺をやめようかとも考えています。強くなってこそ、人を助け、金剛禅も理解できるのではないでしょうか。弱いまま、練習量も少ないままで、いざというときに、口先だけで困っている友達を助けることはできません。本部の方、あまりにも少なくなった練習をどうにかして下さい。私はできれば練習を続けたいのです。家の両親もがっかりし、怒ってさえいます。

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  23. ゆめまりお2014/10/11 15:04:00

    初めまして。息子が武道をやってる母親です。色んな武道を検索していたところ水野先生のブログに出会いました。
     少林寺拳法が宗教団体? 私は少林寺拳法ってまっすぐで清い志を持って集中力強く己を鍛えるってイメージ持ってました。しがらみにとらわれず自己を鍛える・・・・それが宗教団体って聞くと一つの組織の中で思想も同じ方向に向けられ拳法二の次って思ってしまいます。少林寺拳法って名の宗教団体に入らされ、他の習い事では月謝とよぶのをお布施とよぶことにすごく違和感を感じます。もし知人が少林寺拳法に興味持っても私は進められません。泣きをみるのは見えてます。うまくは言えませんが水野先生のブログ読ませていただいて感じること、日本少林寺拳法のトップの方って今のスポーツ世界では時代遅れの上から目線営業って思います。自己犠牲をしてでも少林寺拳法の素晴らしさを訴えるってことが全く感じられずとても残念です。       

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  24.  11日のコメントを見て愕然(がくぜん)とした者です。まさかとは思いますが、本当ならもはや何の活動をしているのか理解できません。口で不正な暴力を止められないことは当たり前です。正義のない力の行使は暴力、力のない正義は無力と言われた言葉は私の少林寺拳法を始めるきっかけになった言葉です。小学生でもしっかりした文章を書けるあなたです、今の姿が本当の少林寺拳法ではありません。正しいのは汗を流し体を鍛え修練の中で多くのことを体感し成長していく少林寺拳法です。お父さんお母さんと相談して、道院長に話をすればいいと思います。
    これからも今の状態が続くのかどうかはっきり聞けばいいと思います。道院長は何もかも優れた存在ではありません。おかしいと思ったことをはっきり聞くことが大切です。
    もしこれからも同じであるなら他の道院に転籍するか、剣道、合気道、日本拳法、空手道に変わり次の次代を担う社会人になっていただきたいと思います。最後に少林寺拳法を指導している立場の一人としてあなたにこのような思いをさせたことを残念に思い心から謝ります。


    水野先生に送るコメントになりませんでしたが読んでいただければ私の思いは伝わると思います。いよいよ矛盾が顕在化してきた気がします。

    返信削除
  25. 10月4日のEmptyさんの投稿に

    遅くなりました、今日12日にロンドンに戻りましたので私の見解を述べたいと思います。

    一般的な法律の解釈では、個人が習得した技術や知識は、本人がどの様に使うのかにまで規制を掛ける事は難しいとされています。

    例えば野球の経験がある人が、バッティング上達の秘訣を自身のブログで紹介する事が規制の対象になるとは考えられません。 

    ブログで紹介された情報(方法)で金銭的な受領が生ずると言うのであれば、何等かの制約を受ける事があるかも知れませんが、単に技術論を展開するだけであれば全く自由だと思います。

    個々の道院Webが認可制と言うのは、間違った情報の発信による組織への評価や責任問題を考慮すれば、ある程度の許認可は致し方の無い事かもしれませんが、これも程度問題でしょうね。

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  26. 10月5日の投稿に

    拳士の個人的見解として、宗教法人に納得がいかないと言うのであれば残念ながら選択肢は一つです、現状では少林寺拳法を辞めるしか方法が有りません。

    四段まで頑張ってきた拳士の残念な気持ちは良く理解できます。しかしどうして不満の有る拳士が他にも声を上げないのでしょう。一人の声だけではどうにもならない事は明白です。

    問題は宗教法人だけでは無いはずです。 組織内でいくら民主的に討議されても、そこで議決された事が『最高解釈権者』の一言で覆られてしまう事ではありませんか。いみじくも組織の代表がその事実を恥ずかしくもなく述べている事から判断して、そこの根本原理が変わらない以上日本の少林寺拳士に春は来ないと思います。

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  27. 10月10日付けの投稿に対して

    コメント有難うございました。
    金剛禅総本山少林寺が正式に門信徒として拳士獲得に舵を切ったと言う事の様です。この事自体(入門願書に明記)は間違っていないと思います。
      
    只問題になる事と言えば、小学生や中学生の未成年者に対して少林寺拳法と言う武道を餌に宗教としての金剛禅を刷り込むとすれば、フランス政府の基準に照らすまでも無く、カルト宗教の評価は免れえなのではないでしょうか。

    道場経営(運営)の経験の無い人達が決めた政策で、組織の方向が決められるとしたら、将来組織が発展に向かう姿が中々想像できません。

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  28. 11日の投稿に対して

    小学生の投稿には驚いて居ます。

    私には何とアドバンスして良いのか分かりませんが、同日15:08の指導者と思われる投稿者さんの意見に賛成です。

    先ずは両親と道院長を交えて話し合ってみる事でしょう。その上でどうしても納得が出来なければ、他の道場か又は他武道に移る事も考えた方が良いかもしれません。

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  29. ゆめまりお様 投稿有難うございました。

    一人の母親としてのご意見、少林寺拳法の指導者達に響く事を願っています。

    普通親は我が子に自分達と異なった宗旨を習わせようとは思わないはずです。 まして少林寺拳法を武道(普通の解釈として)と捉え、健康で自信を持った生き方をして欲しいと願って始めさせようとしたものが、実は宗教団体であったとすればより慎重になる事は自然な感覚だと思います。

    日本の街で時々見かける自転車に乗って英会話を勧めるモルモン教徒の若者と話した事があります、彼等は英会話を餌にモルモン教の布教にアメリカ(ユタ州)から来ている学生達でしたが、モルモン教にしてもエホバの証人にしてもカルト宗教に数えられるのにはそれなりの理由が有るのだと思います。

    始めは英会話上達が目的で集まりに出ていたのに、いつの間にかモルモン教徒になって居たと言う事と似た状況ではないでしょうか?

    願わくば自分達が長年情熱を注いできた少林寺拳法が、その様なグループ(カルト宗教)と世の中から判断される事のない様切に願うものです。

    母親としての心情を又投稿して頂けることを期待しております。

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  30. とうりすがりの内戦派2014/10/14 2:04:00

    水野先生
    いつも感銘を受けさせていただいています・
    昔のDVDも何度も見させていただいて参考にさせていただいています。
    いろいろ、皆さまが心配されている事で・・私も相当あちらと、やりあいましたが結局はどーーにもなりません。もはやあそこにはと言うか全国の道院長は羊の群れになり下がってしまってます。怒れる事さえありません・
    私がおかしいと言い続けたのは・・成人は自己責任で宗教を選ぶ事もできるし、それは自由であろう・・しかし拳士の8割を超える小中学生に対して・・あなたたちは門信徒ですよと・・どのように伝え・・納得させるのか?みるかみないか解らないような紙や、ウエブに書いているからという事でなく・・あやしい新興宗教でさえ・・まず親が入信してその後・・子供でしょう・・全世界どこの宗教に・・6歳7歳の子が自発的に入信する宗教がありますか?
    その事を・・ずっとおかしいと伝え・・仲間にも言ってきましたが・・誰にも賛同を得られずに・・一方的に阻害されました・
    結果・・道院は閉めましたが・・怪しい勧誘に加担する事なく・・それが自己確立と信じています・・
    ながながと支離滅裂と愚痴っぽくなり、申し訳ありませんでした・・
    又、今後もいろいろと書かさせていただければ幸いです・・
    先生も、どうぞご自愛くださいませ
    絶対に・・このような恐怖政治のような状況は絶対に続きません・・北朝鮮の改革が先か我が組織の真の革命が先かわかりませんが、かならずやまともになると信じています・・
    その時には、必ず先生のお力も必要になると思っています・・
    そう思わないとやっておれません・・

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  31. 少林寺拳法を辞めてしまえば私は関係なくなってしまう、これでいいわ終わりにしよう!いう時ではなくなってきたように思ます。地域に密着した青少年育成続けてきた私には何だったんでしょう、何をしてきたんでしょう、このまま終わってしまうにはあまりにも無責任のように思うのです。
    少林寺拳法でなくても、開祖の思いはつづけれますよ!他の名前でも拳法武道でも多くの人が続けています、続けて信頼を勝ち取っていますよ!
    日本国内にいるその人たちと連絡を取り合いながらやり遂げます。
    宗教法人の団体に認めてもらわなくてもね!地域に密着した本来の姿を取り戻すためにね!
    名前が決まりましたらこのブログに投稿します。
    今やめたら負けたことになりませんか!

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  32. とうりすがりの内戦派様 熱い思い有難うございました。

    内戦派さんの思い、必ず受け止める指導者が居ると思います。 私は少なからず衝撃も受けましたが、『このままではいけない、何かしなければ』と言う気持ちをより強く持ちました。

    貴方のご指摘は真っ当なものです、この様な真っ当な理屈が通らない組織であれば遠からず修正不可能な問題に突き当たる事でしょう。 宗教とは人の生き方に非常に重大な影響を及ぼすものです、であればこそ充分な判断も出来ない小学生や中学生に拳法と一緒に刷り込むとしたら、考えただけでも恐ろしい事です。

    『怪しい勧誘に加担する事なく・・それが自己確立と信じています・・』随分厳しい決断だった事でしょう。でもあきらめる必要はありません! 貴方と思いを共有出来る指導者は沢山います。
     
    残念な事に現時点で組織内では発言が出来なくとも、この様な場所を使いこれからもどんどん発信して頂く事は可能だと思います。どうか貴方の思いを充分にぶつけて頂きたいと思います。小さな発信しか出来ないかもしれませんが、心ある先生達には必ず響く事があると信じております。

    『羊の群れ』と厳しい指摘をされた指導者の中にも、このままで良いと思っている人達(これこそが本当の羊の群れ)は少数派だと思います。羊のままで終るのか、転じて少林寺拳法が掲げた方向を指し示す事の出来る、真のリーダーになるのか、今こそ真価が問われているのではないでしょうか。

    又の投稿を期待しています。

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  33. 投稿有難うございました。

    先の、内戦派さんの投稿にもありましたように、あなたも羊になり切れなかった指導者の一人なのだと思います。 『これで良い、辞めてしまおう!』と言う事も選択肢の一つではありますが、それにより将来引き起こされるであろうより大きな問題を考える時、簡単には結論を出せない様な気がします。

    指導者の抱く一番の大きな悔しさは、長年生きがいと信じ情熱を掛けた少林寺拳法が、気が付けば自分達の手の届かない組織になってしまっていた事なのではないでしょうか。

    であるのなら、我々開祖を知る世代の指導者に課せられた宿題は、羊の群れで終われるはずがありません。

    奇しくも本日10月14日ロンドンの高等裁判所において少林寺拳法ユニティが求めていた先の高裁判決『少林寺拳法は一般名称である』に対する、口頭によるアピール(主張)は却下されました。

    WSKOが大きな代償を支払った裁判でしたが、これもあきらめずに戦ったBSKF支部長達への勲章だと思います。ここが結果をお知らせできる最初の場になりました。
     
    この成果を力としてこれからもBSKFは前へ進み続けます、一緒に戦いましょう。 今後も投稿を期待しています。 結手     

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  34. とうりすがりの内戦派2014/10/15 8:58:00

    先生、コメントへの記事をいただきまして誠にありがとうございます。
    こちら、ネームの通り・・いろりろと内戦(内部での戦いの意味)中なので、どこまで投稿できるか?解りませんが・・全て誇張とか・・創作でなく・事実と経験でしか投稿いたしません。
    ですから、いろいろと心配していただいている兄弟子とかもいるので、今でも我慢しているところもあります。
    言いたいのは、古参の道院長が何故・・現状に疑問を持たないで・・納得はしていないとしても声をあげないのか?
    この事を、直接多くの先輩道院長にぶつけました。「このままでは、我々の少林寺は10年先にはつぶれていますよ・・それでいいんですか?」と
    答えは・・皆さん同じでした「それまでわしらあ生きてないよ・・」「道院もわしで終わりだから・・わしができるあと何年か、できればいいんよ・・」
    志などのかけらもなく・・ほとんどが単なる老後の道楽になり下がっている・・こんな組織に未来は本当にありますか?
    だから・・ある一人の人間に思い通りにされても仕方がないのです・・
    仲間を蔑むきつい言葉だと思いますし、申し訳ないとも思いますが・・
    現実に・・こちらは、おかしい事はおかしいと身体を張って・・戦っています・・
    きちんと・・戦う手段は、宗教法人だけでなく現実に公的団体の傘にも入っている今ならあります・・「日体協」の加盟まで捨てればもうどうにもなりませんが・・
    今は蟻のような戦いですが・・蟻でも何百、何千、何万と、集まれば・・必ず変える事ができると信じていますが・・・
    ひょっとしたら・・もう誰もいないのかもしれません・・それであれば残念な限りです

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  35. 内戦派 様

    引き続いての投稿有難うございます。 
    貴方の抱えるジレンマの程良く分かります。私達BSKF(英国少林寺拳法連盟)が何故武道としての少林寺拳法にこだわっているのか少し説明したいと思います。

    先ずあなたが指摘された古参の道院長が何故声を上げないのか? おそらくほとんどの道院長がこのままで良いと考えて居る人は居ないと思います。では何故声を上げて問題解決の方向に行動しないのでしょう。

    大きな理由の一つがこれまで少林寺拳法で培ってきた人間関係にあります。自分が何か発言する事により周りに迷惑が及ぶ事(関係が崩れる等の、貴方も充分に考慮しておられますが)、そして現体制下ではどの様な建設的な提案も通じないとの思いこみ(これこそが体制側にとっては好都合な事ですが)、 今一つ上げるとすれば、確かに自分達に与えられた時間的制約(これも思い込みとあきらめですが)が行動を阻害させている最大の理由でしょう。

    現状を維持できれば何事も波風立てずに続けられる、と言う事なのでしょう。その様な環境を理解していますので、何か現状に納得できない情熱の有る指導者達の参考になる事は無いのかと何度も自問自答をしておりました。

    確かに日本の中で武道を堂々と掲げて少林寺拳法を指導する事は現体制下では難しいでしょう。目を外に向けてみてはいかがですか? 海外ではまだまだ武道としての少林寺拳法を必要としているところは沢山あります。日本からその様な問い合わせはBSKFや私にも直接、間接を問わず少なからずあります。

    もしそのような指導者達が力を合わせて立ち上がれば、あなたが指摘された蟻も1匹では無いと思いますョ。まだまだ簡単には声を上げられない状態はあるでしょう、しかし想像より早くその時が来るかもしれません! あきらめたら彼等(現体制派)の思うツボではありませんか? 中国共産党(カルト団体も)はそう考えて民主主義(不満分子)の抑え込みに腐心しています。

    又どの様な事でも自由に書き込んで下さい。些細な提案でも他の同様な悩みを持つ人達の助けになるかも知れません。 結手

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  36.  こんにちは 少し書かせていただきます。
    先日、仕事先の複数の三十代の女性に(子供がいます。)休憩時間に聞きました。ごく一般的にですが、自分の子供に習い事をさせるのにたとえば武道の場合何を求めるかと聞きました。元気、活発、礼儀、いざという時に身を守るなどのキーワードが出てきました。
    でもその習い事が宗教の信徒になるとすればどう思うかと聞くと、「絶対!無理」と即座に否定されました。大人ならいざ知らず、6歳~12歳頃の子供に信徒になることを、母親は即座に否定したのです。
    その理由はまだ未熟な頭にたとえそれが立派なことでも考え方を限定させたくないとか、宗教にはさまざまなアレルギーあるとか、いわゆる宗教者は言うこととやっていることに差がありすぎるとかが出ました。私も同感でした。これが普通の人の思いです。なぜ宗教に舵を切ったのか本当の理由はいったい何なんでしょうか。これしかないと決めた理由は何なんでしょうか。堂々と少林寺拳法をやっていると胸を張れた頃が懐かしいです。少林寺拳法は強力な護身の技術であり、修練を通じて多くのことを体感し、平和で豊かな社会を作る人間になるのだと信じていました。今でももちろん信じています。そのためには別の道もあるのではと思い始めています。まとまったらまた投稿します。


    それから頑張っておられる内戦さんあまり熱心に頑張られると不満分子としてカットされますよ。私は何人も知っています。そんな組織になっています。そこには慈悲や思いやりを説く宗教団体とはとても思えない行動があります。でもあなたの熱い思いは多くの人に希望の灯を与えたことでしょう。私もその思いをしっかり受け止めます。
                それじゃ また

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  37. 今は昔 様

    投稿有難うございました。

    今は昔さんは指導者の立場にある方と想像しますが、この様な態度(普通の感覚)こそが指導者や組織には大変重要です。一般の企業であればコンシューマー(消費者)が何を求めているかを無視した会社の業績が上がるはずも有りません、簡単な理屈です。

    少林寺拳法は勿論物を売る企業体ではありませんが、人を育てるといくら口で言っても肝心の人が入ってこないのであれば育てようも有りません。その現場を一番理解しているからこそ、指導者は少林寺拳法本部の宗教法人強制に多くの人達が声を上げているのだと思います。その最前線の声も届かなくなっているとしたら、もはや人を育てる以前の問題ではないでしょうか。

    ここで明確にしなければいけない事は、全て宗教が悪いと言っている訳では無いのです。小学生や中学生相手に少林寺拳法を指導する時に、宗教に入信する事が前提である事に問題点を感じて指摘しているにすぎません。母親の方々が示された普通の感覚こそ、最高解釈権者?が認識する必要があると思います。

    今一つ指摘するとすれば、ご隠居拳士さんが書かれた「出来る人は少林寺拳法を踏み台にして、どんどん飛躍して欲しい」、武道を数多く見てきた(達観した)立場のご意見だと思います。この様な意見が言える(出る)のも拳士や指導者に対する熱いエールではないでしょうか。

    又何時でもご意見をお願いします。

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  38. ご隠居拳士2014/10/19 1:01:00

    変心!変身ムリ。

    少林寺拳士は、良い「日本酒」になるべく、修練を重ねておりました。
    ある日、ラベルが「ワイン」に変わっておりました。
    「ワインになれない人はビンから出て下さい」と言われました。
    色を付けたり、ビンの形を変えたりしましたが、所詮にわか仕込みでやる仕事。
    本物にはなれません。
    ラベルを戻して頂くか、「日本酒」のビンに移るしかありません。

    『拳法も、ゆっくり動けば、太極拳』字余り。
    教範の「鶴立拳」と「龍王拳」の間に、「ゆっくり拳」を追加しますか?
    こんなことを考えてはいけません、
    太極拳には、ゆっくり動くことに深い洞察があるのです。
    ゆっくり動くことの効用を得るためには、真摯に太極拳を学ぶべきでしょう。
    ご興味のあるかたは「太極拳と呼吸の科学」(ベースボールマガジン社)を読んでみて下さい。
    私は大変参考になりました。
    結手

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  39. ご隠居拳士 様
    いつも楽しい、しかも分かり易い投稿有難うございます。

    私達も言ってみれば海外で作りだされる日本酒ブランドなのです。アメリカで作られた日本酒を飲んだ経験がありますが、余り美味い(日本で作られた物と比較して)とは思いませんでしたが、絶対にワインではありませんでした、確実に日本酒だと認識できました。

    製造過程やコメの品種、水、等の環境が異なる為、全く同じ味の日本酒は日本国内でも出来ない事は同じでしょう。しかし少しでも日本の味に近づく努力をしていることには変わりありません。

    そのような事を思えば、海外での拳士達が少しでも少林寺拳法本来の有り方(武道を通しての人作り)に努力して居る姿は想像できるのではと思います。そんな折、日本における少林寺拳法(日本酒)ブランドが発足当初の目的を忘れ、銘酒の品質どころか全く異なったワイン製造に舵を切ったとすれば、海外で本物の品質(日本製)に負けぬよう努力してきた人達は何と感じるのでしょう。

    ラベル(ブランド)を放棄してもらいたいものです。守りたい人達がきっと放棄した人達よりも、情熱をもって立派な銘酒に仕上げて見せます。くれぐれもやけくそになって、せっかく作ってきた酒蔵に爆薬等投げ込まないで頂きたい。カルトと言う爆薬で壊された酒蔵は元に戻せませんョ!

    又ご隠居拳士さんにはウンチクあるご指摘期待しています。

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  40. 昨年の一般財団の財務状況報告で単年度1億数千万の赤字の収支が報告されていました。(何故か現在はHPから見れなくなっていますが・・公開のはずですが?)このような状態で、一般の企業なら上層部の首が全て取り換えでしょうけど、この組織は・・誰も責任をとる事もなく・・問題提起もなく・・危機感もなく毎日のほほんと日々・・道楽で過ごしています・・最近思うのは・・組織が崩壊したらいどころがなくなって・・困ってしまう・・一人では何もできない・・偉そうにもできない・・そんな指導者ばかりが目立ってしまう・・
    決して・・同志を卑下したいわけじゃないけど・・問題提起してもしても・・何も変わらないとついつい・・そう思ってしまう・・悲しい事です・・
    それから今は昔様
    「頑張っておられる内戦さんあまり熱心に頑張られると不満分子としてカットされますよ」
    とのご心配ありがとうございます・・
    どこでもそう言われ心配されます・・
    だから言います・・「そう後から心配してくれるんなら・・なぜ、その時に一言・その通りだと応援してくれないんですか?何が怖いんですか・・何を恐れるんですか?・・」
    私は・・何も間違った事・・間違った行動をしているとは全くおもっていませんから・・
    これからも・・頑張ります・

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  41. 十数年前に少林寺拳法を習い始めた時には、道院と連盟支部道場が併設されており、ゆえに私たちの感覚では一般財団少林寺拳法でした。確かに入門式があったと聞いておりましたし、数か月まとめてしていたように思います。場所は公共の施設でもありますから宗教法人金剛禅総本山少林寺は殆んど表には出ませんでした。
    機構改革とやらでこの数年前から宗教法人が前面に出てきて(祭壇をこしらえないと認めない!)それでも好きな拳法ができる、世界平派と福祉には貢献できませんが、地域の青少年の育成には自分も出来る!やってきましたし、これからも頑張っていこうと決めていました。ところが
    道場には祭壇を、練習場所にも簡易祭壇を、この場所は宗教団体です、練習も半分以上宗教の教義にしなさい、拳法の練習は、時間を取らなくて良い!理解のできないコース制と分からないような資格と練習・・・・
    これで声を上げないような道院長こそ開祖の教えを壊している事に成りませんか?
    拳士が全員青年であれば良いのですが(判断ができます)少年・少女にはこれで良いのでしょうか!
    開祖の教えは本部だけにありません!私達にも有るのです。
    教範を読んで、声を上げる時が来ましたね!

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  42. 内戦派さん、投稿感謝しております、ぶれないスタンス大切だと思います。

    少林寺拳法と言う組織の問題点は何人もの指導者や拳士が色々な場所で声を上げています。残念な事にこの組織にはそれら有益な声を吸い上げ、それ等を討議すシステムを持ちません。

    又組織の方針を決めるはずの最高会議(理事会)すら機能して居ない事は、ある代表がいみじくも述べた『代表解釈権者』の存在が、いかに組織を私物化しているのか理解できるのではありませんか。

    最大の問題点は、どの様な決議がなされようと、それにより組織の会員が減ろうと、議決した理事会や代表解釈権者の責任が問われるメカニズムが出来ていない事です。

    この様な実態を理解すれば、誰でも現在の自分達の属する組織がどの様なものか判断できるのではと思うのですが。

    内戦派さんや他の投稿者に方々の様に声を上げる事が第一歩だと信じます。そこからどの様に次の行動に繋げていくのか、今こそ具体策が必要な時だと感じます。

    まだまだ皆さんの思いをぶつけて下さい。当分の間ブログの更新は行いません。

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  43. 匿名さんへ、ご意見有難うございました。

    宗教法人も良いでしょう、それを自身の判断で理解できる人であれば。全ての年少者が判断出来ないと言うつもりはありません。しかし母親達の意見にも有った様に、一般的に見れば宗教活動と言うものに自分の子供を、充分な理解も無く入会させようと考える父兄は少ない事でしょう。

    ましてや友達や同年代の子供たちが楽しそうに習っている少林寺拳法を、武道ととらえ入会させようと思った親が、実は宗教団体であったと知った時にどの様な判断が働くのか? 先に紹介された母親たちの意見がそれを如実に物語っていると思います。

    親が子に先ず求める事は『世界平和』等と言う大層なものでは無く、子供の健全なる成長ではないでしょうか。 その成果の結果として成長した暁には『世界の平和や福祉に貢献する人材』となることが出来れば大きな喜びなのだと思います。

    私達に課せられた責任は『オウム真理教』の焼き直しを創る事でないはずです。
    又の投稿を期待しています。

    返信削除

  44. 色々な意見が出ていて、とても興味深く読ませていただいています。さて、先日内戦さんに送りました「あまり頑張ると・・・・」の一文は内戦さんの行動を抑えると言う意図は、まったくありません。むしろそういう内戦さんの行動は、少林寺拳法を修行しているものとしては当然だと思います。実は私も個人的に話しをするときは今の矛盾点をしっかり話すようにしています。これに対してほとんどの方は知らないことばかりです。かく言う私も一年半ほど前まで「本部は正しい」との幻想でおりました。でも視点を変えて物事を見ると「あれ?」と思うことばかりでした。
    たとえば我々は仕事を一人前以上にした後で
    活動を行っています。家庭生活よりも優先して活動をすることも少なくありません。かつて少林寺ウイドー(未亡人)と言う言葉がありました。そこまで頑張ったのです。
    本部において専従としてお仕事をされている方はまさにそれが生活の糧です。我々とは違います。また今は分かりませんが、以前は県職員に準ずると聞きました。薄給に泣いているようには伝わってきていません。したがっていわゆる労働貴族(口では労働者の権利を守ると言いながら、自己の保身を図るような人間)的に変化しても不思議ではありません。上に異を唱えると存在できないとすれば、またその立場が自分の生活の基盤であれば自ずととるすべは決まります。本部職員となって目を輝かせていた者が数年で「富士山は遠くから見ているときれいです。」と言葉を残して山を去りました。これが現実でもあります。自らの存在を脅かすものは誰であれ、理屈が通っていなくても処断します。
    黙っていれば今のままでいることができる。
    そんな指導者はあなただけでなく私の周りにも沢山います。私は熟考しました。今の少林寺拳法は私が追求していたものとはまったく違ってきてしまった。されば、このまま愚痴をいいながらでも続けていくか、他の道を選ぶか。分岐点に立っています。
    水野先生、コメントとは違う直接的にご意見をいただくアドレスはありませんか。オープンではないサイトをぜひ作ってください。
    方向が変わってしまった船ではなく、まっすぐに荒波にも恐れない小さな船を見つけたいと思います。
                   感謝

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  45. ご隠居拳士2014/10/22 4:53:00

    老害

    リーダーとなる人間は、それなりの物を持っています。
    (1)(豊富な)知識、(2)(成功の)経験、(3)(時を読む柔軟な)感性。
    「知識」と「経験」は時間の経過に伴い増加しますが、「感性」は減退します。
    しかし、本人は「感性」の減退に、なかなか気づきません。
    まわりの人が、気づかせてあげる事が必要です。
    気づかない人に気づかせることは、『誠に大変な作業』です。
    しかし、これが出来ないと、組織は、存続できません。
    先輩の多くが、『活躍できる期間はこの先数年、結果に対し責任が取れない以上、
    口出しはやめましょう』と発言されることは、若い人にとって、本当にありがたい事なのです。

    武術家には、磨き抜いた技が、時の経過を教えてくれます。
    多くの武術家は『効かなければ、技ではない』と言うことを理解しております。
    技の威力を増す(維持する)ために色々な努力をします。
      *ダンベルで鍛えるのも良し---力も技のうち。
      *拮抗筋を緩めるも良し----既存パワーの有効利用。
      *丹田を意識するも良し----立てる間は使えます。 等々
     色々やっても、「技の威力が、下がりつつある」事が、自分で分かります。
    技の衰えを知り、加齢を認識し、引退を決意します。

    「知識」と「経験」は、「知恵」を生みます、先輩の「知恵」だけ、拝借する事です。
    引退した人間をあてにしてはいけません。  あてにならないから引退するのです。
    当事者であるためには、行動(判断)の結果が出る時まで、当事者であり続けれる事が必要です。

    武術家としての時期を読み切った先輩がいれば、静かに引退させてあげて下さい。
    人生、少林寺拳法だけが全てではありません。一度の人生を幅広く味わわせてあげて下さい。
    行事、行事でほかっておいた奥様に、リカバリーする最後のチャンスを与えて下さい。

    引退すれば、組織にとって死んだも同然(あてにしない)、どんな人でも、死んでしまえばそれで終わりです。
    例外として、偉大な人が、でかい墓を作ると、数千年後、観光資源として、子孫を潤す場合もあります。(笑い)
    竹田信玄は、「自分の死を3年隠せ」と言ったそうです。
    私など、「あの隠居、たしか、死んだよな~」と死ぬ3年前に言われそうです。(大笑い!!)
    結手

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  46. 水野先生コメントありがとうございます。

    技術論は可とのご意見ですね。
    なるほどです。

    >ある程度の許認可は致し方の無い事かもしれませんが、これも程度問題でしょうね。
    なるべく武道色がないように
    なんていう感じもしますが、
    なんの意図があるのかよめません。

    ふと思うところは、戦争中の検閲を
    思い起させます。
    情報操作とか中央に反する意見はとりあげない姿勢がみられるようにも思いますが、
    戦争中の軍隊を思い起させます。
    自分の組織には意見を言わないけれど、
    他のところには意見を言う人間を
    そだてたいのかとは考えますが、
    この辺はカルトの定義に当てはまる気もします。

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  47. 今は昔さん、引き続いての投稿に感謝しています。

    「富士山は遠くから見ているときれいです」には、ウームと笑いそうになりますが、笑えない現実があるのではないでしょうか。

    大きな夢を持ち、他の道(職業を選ばず)を捨て、少林寺拳法に夢を託して本部職員と言う職業を選択した人達が、「富士山は・・・」と言う言葉を残して山を去る事を私は残念に思います。彼等は言うなれば少林寺拳法に人生を掛けようとした人達です、そんな人達が富士山を例にだして辞めて行く事に何も感じないとすれば、将来の明るい展望など望むべくもありません。

    ご指摘頂いた様な問い合わせは別にも届いて居ます。個別の都合やオープンな環境では言えないケースもありますので、その様な場を設けたいと思います。

    manjisk-nyoi@yahoo.co.jp このアドレスにお送り頂ければ私からも返信出来ると思います。今後このアドレスはブログの右上に表示致します。 結手     

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  48. ご隠居拳士様 またまたウンチクの有る投稿有難うございました。

    『武術家としての時期を読み切った先輩がいれば、静かに引退させてあげて下さい。人生、少林寺拳法だけが全てではありません。一度の人生を幅広く味わわせてあげて下さい』本当に同感です。先輩達にもそれぞれの異なった立場(人生)がありますね。

    同時に指摘された『先輩の「知恵」だけ、拝借する事です。引退した人間をあてにしてはいけません。あてにならないから引退するのです。』ご隠居拳士さんならではの鋭いご指摘だと思います。 

    そして現在その様な人間関係で悶々としている人達に向けたアドバイス、『当事者であるためには、行動(判断)の結果が出る時まで、当事者であり続けれる事が必要です。』には、多くの心ある拳士達(どう行動すべきか迷っている)に送るご隠居拳士さんならではの力強いエールだと受け止めております。 結手

    返信削除
  49. Empty様

    引き続いてのコメント有難うございます。

    前にも書きましたが、人が習得した技術や知識はその人個人のものです。当たり前の事ですが、例えば人間国宝になった人物の技や匠の技術はどの様に表現しようと制約を受けません。

    ところが不思議な事に少林寺拳法と言う武道団体(あえてこの様に書きます)は、数多くの素晴らしい指導者が居たにもかかわらず、それらの先生達が到達された技術の発表(継承)する事さえ認めませんでした。

    個人的に親交の有った先生から伺った話ですが、「少しでも拳士が技の習得に自信が持てる様に体系化した物を準備しているが出す事を許可されない」と嘆いておられた事を記憶しています。

    これ等の先輩達は一人や二人ではありません。剛法、柔法は言うに及ばず整法、活法、錫杖伝、等々本来ならば広く拳士に引き継がれ、少林寺拳法と言う武道が他武道よりも独創的で素晴らしい技術を持った集団である事を誇れたにもかかわらず、それらの技術は継承される事は無かったのです。

    匠の技は誰にでも出来るものではありません。であるがゆえにそれらを体系化して残そうと努力された先輩達には申し訳なく思います。

    自分達にも残された時間はそれ程長くはありませんが、少しでも元気なうちにそれらの先生達から引き継いだものは後に続く拳士達に託したいと思っています。 結手

    返信削除
  50. 水野先生コメントありがとうございます。
    個人のスターが許されないイメージがあります。
    通常の武道であれば、スター選手がいて、
    その技術にあこがれるというのがあると思いますが、彼の地では、映像なども公開するなという指導らしきものがあり、技術の継承を
    阻んでいる面があるように思います。
    このようなアクセシビリティのなさも遠因かもしれませんが、彼の地のものは、中国にあるお寺さんの映画で人口が増えたものの、若年層はその映画自体の存在が消えていて、彼の地の武技自体の存在感が消えて来て、武道人口の縮小にはつながっているようです。

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  51. Emptyさんいつもコメント有難うございます。

    武道に限らずほとんどのスポーツが発展する為の大きな要因は、スター選手の活躍が挙げられるでしょう。 野球、サッカー、テニス、水泳、ゴルフ等ほとんどすべてのスポーツで、スター選手が社会に与える影響は絶大なものがあります。 その影響を良く理解しているからこそ、企業も広告にスター選手を用い企業や製品のイメージアップに使うのだと思います。

    オリンピック等でも活躍した選手は社会からも高い評価を受け、政府が与える国民栄誉賞や皇室等も功績を称える事は良く見られる光景です。

    その様な見地から少林寺拳法を見ると、全くと言ってよい程スター拳士が育っていません。ではその様な可能性は全く無かったのでしょうか? 私は有ったと思っています。何人もの素晴らしい特技の有る先生達が居ました。それらの人達がもしチャンスを与えられて居たらと考えると残念でなりません。
     
    少林寺拳法のスターは開祖宗道臣一人だけでした。開祖のカリスマ性は現在でもよく用いられています。何かに付け『開祖の教えはこうだ!』とか、『開祖は!、開祖は!開祖は!』と指導者が良く使う事は拳士であれば理解できると思います。

    では本当にそれで良いのでしょうか? 拳士は今一度その事を良く考えてみる時にきているのではないでしょうか。

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  52. 拳法大好き2014/10/24 10:42:00

    少林寺拳法は武道か?宗教か?の投稿の中に何気なく見落としているのが有りました。その時はそうかな~と感じませんでしたが、ブログを読んでいるうちに大変な言葉に気が付きました。
    長くなりますが組織改革のとき、宗教のトップが全国回りしている時に、ある道院長が(これでは、怪しい新興宗教ではないか?今いくら我々が話しても、本山に帰ってあの方が、白を黒といえば黒になるのか?という質問に、当然です!・・我々門信徒は最高解釈権者の師家のもとにあるのですから師家から言われることが全てです!)答えでした。
    その人は終わったな!と思ったそうです。

    これでは先生の言う(カルト集団に当てはまりますね)
    この言葉を聞いても何も感じない各地の道院長・支部長はどうなっているのでしょう、拳士をあまりにも無視した言動です。みんなの意見を聞かない責任者・指導者が本当にいるのですね!これからも皆は口を閉ざすのでしょうかね!
    正義感と・慈悲心と・勇気 これは開祖から教わった言葉です、半ばは人の幸せを半ばは自分の幸せを この言葉を噛みしめて新しいことに生かせます!

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  53. 緊急通達で、多分に本サイトの事がでていましたね・・
    何が真実なのか?どちら側からみると言う事でなく・・少林寺の拳士は自己確立です・・他の者によりてではなく・・
    自らが真実と進む道を見つけてほしいと思います・・・焦りかな!

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  54. 水野先生いつもコメントありがとうございます。柔道においても嘉納翁よりも、お弟子さん。極真においても師は偉大であるけれど、お弟子さんの多彩であることが評価されていると思います。
     さて、彼の地の武道は先人の財産に尊敬がみられない気がします。初代がすべてを形作ったとされている気がします。お弟子さんが出藍の誉れでも同じ扱いかも知れません。

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  55. 緊急通達を見て驚いています。これまでほとんど私たちには知らされていなかったことを急に通達と言う形で広く知らしめたことは唐突に感じられます。初めはどういうことか分からなかったので何度も何度も読み返しました。言葉の中に何があるのか読み返しました。友人にこのブログを教えてもらい一気に読みました。そこで感じたことは本部が言っていることは何かおかしいと思ったのです。


    それは間違った情報により出た判断としている点です。およそ先進国の裁判はお互いがあらん限りの情報を出し合って後に裁判官が判定するものです。間違った情報で・・・・と言っていることはイギリスの裁判制度を否定しているもので、とても思い上がったことだと思いました。裁判の細かい点は現在のところ分かりませんが、本部が裁判結果を載せないと言うことはやっぱり事実上負けてしまったことなんでしょうね。さもなくば堂々と公表できるはずですものね。それをせずに裁判結果を否定することは、一般の社会では通用しません。私たちをそんなことも気がつかない愚か者と思っているのでしょうか。

    そういえば静岡の竹森氏との裁判沙汰もいつの間にか消えてしまったしいつもそんな終わり方なんですね。
    「残念ながら裁判は我々の思うようには認めてもらえなかったですが、これからも一致団結みんなで頑張っていこう」と言ってくれたほうがとても潔いことでした。和解に関することも相手の人格を貶めるような気がして我々の組織はそんな風なレベルかと寂しく思いました。

    何かの集まりでは多くの人は愚痴ともつかないことを話します。そんなことでしか気持ちを表せないのですね。理事長会はもはや下部の者たちの意見を表明する機会ではなくなっているのですから。あきらめきれぬとあきらめるしかないのですね。これも愚痴です。

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  56. 拳法大好きさん投稿有難うございます。

    『怪しい新興宗教』これこそが道院長が一番心配しなければいけない事なのだと思います。一旦少林寺拳法は『怪しい新興宗教』=『カルト団体』のレッテルが貼られてしまえば、一番困るのは指導者ではありませんか? 新しく拳法を始める人達は居なくなるでしょう。

    私達BSKFにとっても同じです。我々は少林寺拳法と言う名称裁判で勝ち取った成果が台無しになってしまします。いくら日本の少林寺拳法とは違う団体だと言っても、同じ名称(少林寺拳法)じゃないかと言う判断がなされれば発展など望むべくもありません。

    ですから日本の拳士達には警鐘を鳴らし続けて居るのです。少林寺に限った事ではなく、内部の人達には中々自分達のしている事を客観的に見る事が難しい事は理解できます、余りにも当たり前の事ですから気が付かないのでしょう。

    一度少林寺とは無関係の人に先程の『最高解釈権者』の事を話してみて下さい。そしてその人がどの様な反応を示すか?それにより大方の結論が出るのではないでしょうか。

    私がオウム真理教の例を出し、又フランス政府が議会で可決したカルトの要件を紹介したのも、少しでも拳士や現役の指導者がこの事実に気が付き行動を起こす事を願ったからです。 結手

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  57. 内戦派さん コメント有難うございます。

    緊急通達の事は友人から知らされ聞いております。 私がここで言える事は『少林寺拳法は一般名称である』と結論付けたのは私達BSKFでは無いと言う事実です。 

    我々が訴えた事は1974年から少林寺拳法と言う名称で続けてきた実績です。それに基づいて出された結論が上記の判断だったと言う事です。

    このサイトが彼等本部の人達の情報源となって居るのであれば、今少し現実に立ち返って物事を判断して欲しいと思います。ユニティは余りにも名称問題に固執し、大きな物を失った事に気が付いて居ません。

    BSKFの名称登録を阻止すべく、彼等は藪をつつき過ぎました。その結果我々も想像(期待)して居なかった『一般名称』の判決が出てしまったと言う事です。

    参考までにこの判決に加わった6人の裁判官全員の判断だそうです。近日中にBSKFのWebサイトでも正式に詳細が発表されると思います。 結手

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  58. Emptyさん書き込み有難うございます。

    私も少林寺拳法開祖宗道臣の英知、体験から導き出された内容の伴なった指導力には最大の敬意を払っています。 同時に草創期の少林寺拳法には多くの先輩拳士の貢献があった事も、少林寺拳法を短期間でここまで発展させた大きな原動力であったと捉えています。

    私は90年代にビデオを制作し、少林寺拳法の素晴らしさを少しでも英国で紹介しようと試みました。後にこれらのビデオは日本でも許可がおり販売に至りました。そんな事もあり私の事を映像で見た拳士から時々連絡を頂く事がありますが、私達がやっている様なレベルでは無く、実に高度な技や洗練された理論を持っておられた先生達がおられた事は、事実として紹介しておきたいと思います。

    もしそのような先輩達にスポットが当たって居たら、少しは武道としての少林寺拳法も今とは異なった道を歩んでいたのかも知れませんね。 結手

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  59. 飛燕の風 さん投稿有難うございました。

    これを読まれている皆さんに真剣に考えて欲しい事があるのです。この前の投稿に対しても書きましたが、現在日本の少林寺拳法の置かれている現実は実に危うい状況にあると言う事です。

    BSKFが訴訟において勝った、負けた等はどうでも良い事です。仮に私達が名称問題で負けて新しい名前の武道団体を立ち上げたとします。その場合であれば我々は日本の少林寺拳法がどの様な評価を受けようが、心配する必要は全くありません。もし日本の少林寺拳法がカルト団体と言う評価をされた場合でも名前を変えた事で心配の種は無くなったのですから。

    現実は逆なのです、我々は英国の裁判に勝ってしまった事により少林寺拳法と言う名称を使い続ける事になります。であればこそ日本の少林寺拳法がカルト団体の評価を受ける事は、我々にとってもマイナスでこそあれ何らメリットも無い苦境に立たされてしまう事はお分かり頂けると思います。

    最高解釈権者と言う言葉が宗教法人の代表から発せられ、しかもその最高解釈権者=師家の判断が「白いものを黒と言えば黒になるのか」との質問に対して、「当然です・・我々門信徒は最高解釈権者の師家のもとにあるのですから師家の言われる事が全てです」との答えに・・終わったなって思いました・・
     
    この投稿を読んだ時に愕然としたのは私だけでしょうか? 科学、心理学、社会問題、宗教、懐疑主義などをテーマとした講演を行っているアメリカのマイケル・シャーマーによれば、『指導者の無謬(むびゅう)性、指導者は絶対に間違いを犯さないという確信』はカルトに見られる典型的な例の一つとして上げています。

    近日中にこれらの具体的な例を挙げてブログに出したいと思います。皆さんが真剣に声を上げて頂ける事を切に期待するものです。 結手

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  60. 初代は、中国の宗教秘密結社を範としていると思われます。この宗教秘密結社は中国史の研究者 岡田英弘氏もとりあげております。
    白蓮教とか義和団、紅巾等キーワードがありますが、白蓮とか義和などのことばは受け継がれているかと思います。
    この宗教秘密結社の組織はパターナリズムで
    家父長主義的である面もあることが指摘されています。。
    ただ、現在のようにパターナリズムの危険性が叫ばれる中、彼の地の組織は、自らの教えが衆生を教化するという姿勢が見られますが、自らの教えに酔った教えに衆生は魅力を失い、縮小に至っています。成熟した社会にいる構成員が教化されるという姿勢ではなく、成熟した社会の構成員の意見を吸い上げないというのはあやしい方向性にいくのではと危惧しますし、彼の地の中心の発言をうのみにしないことが必要かと思います。

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  61. Emptyさんコメント有難うございます。 いつもながらきわどい指摘ですね。

    私が警笛を鳴らすに至った経緯を前の返信で示しましたが、それに対するカウンター・コメントと言う意味できわどい指摘であると感じます。

    emptyさんからの表現で言えば、確かに彼の地の組織を造った初代はある時期、中国の青幇(ちんぱん、相互救済、民族主義、漢民族再興)を例に出して、「我々も日本の青幇(ちんぱん)の様な助け合う組織を目指したい」と講和の中で語っていた事を古い指導者は聞いて居ると思います。

    青幇が秘密結社であった事、初代もその中から何らかの影響を受けた事は充分想像出来ますが、現在の組織はそれとは異なった危うさ(カルト志向)にある事に気が付いて欲しいと思いました。

    カルトと言う表現が嫌な言葉であることは理解しています、でも目を背けているだけでは何も解決には至りません。現実を直視して言うべきことは言う。自分達の考えを積極的に出して行動に移す事こそ、カルト団体の評価から免れ得る唯一の方法だと思います。

    決して拳士や指導者を貶める事が目的で指摘している訳ではない事だけはご理解頂きたいと思います。

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  62. 「おのれこそおのれのよるべ」ということばは、友松円諦師の訳(城福氏の論文に引用有)でありますが、仏教の研究者 城福雅伸氏によりますと「宗教といえば教祖や教団の長やカリスマ的な人間の言うがまま,なすまま,教えるままに信者は無批判的に自己を消滅させ従うものであるとか,マインドコントロールであるという批判がある。実際そのような傾向のある宗教の存在は否定できない。しかし,それはこと仏教に限っては言えないのである。仏教は教祖や指導者などを奉り執着し,そういった他者をより所とせよという思想そのものがないのであり,むしろ釈尊自らが否定しているのである。従って,教祖・指導者等に対して,信者等の絶対的な服従を強いたり,説いたり,肯定するものは,ただそれだけで仏教ではないことが断言できるのである。」と述べられています。また、研究者としての勇気ある意見に思います。
    引用だけで物語るのは誠に失礼ながら、このような見解もカルトを考える上でのよすがになるようにも思います。

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  63. Emptyさん 有意義な指摘有難うございます。

    現在少林寺拳法をやっている拳士全員に考えてもらいたい事ですね。   
    私達が少林寺拳法を始めた当時、聖句は次の三句からなって居ました。少し古い先生方は知っていると思います

    1)すべて悪しきことを成さず、良きことを実践し、自己の心を清むる事、これ諸々の仏の教えなり。
    2)己こそ己のよるべ、・・・・・
    3)自ら悪をなさば・・・・・

    これ等の聖句は開祖がダルマパダ(法句経)から引用して、我々拳士に読ませていたものです。いつの間にか1)が無くなりました。

    私が確認した時の説明では、最後の部分『諸々の仏の教えなり』が「余りにも宗教色が強いので取り除いた」との説明でしたが。
    もし少林寺拳法連盟が本当に宗教法人として少林寺拳法を推し進めるのであれば、この部分は非常に大切な意味を持って居るのではないでしょうか?   

    宗教色を薄めておいて、宗教法人を強調する事に何ら矛盾は感じないのでしょうか。 
    又色々と指摘して下さい。 結手

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  64. 先週末に何やら形ばかりの全国最高会議があったそうですね・・・
    マインドコントロールというのは・・
    1.行動のコントロール
    2.思想のコントロール
    3.感情のコントロール
    4.情報のコントロール
    で完成すると言われていますね
    今までは1.2.4は完璧で・・
    今回は、3の感情のコントロールを血統という涙で・・出席者全員が涙涙で・・今までの疑心・・怒りを抑え・・血統を支える為に一致団結したと聞きましたが・・
    という事は・・完結したと言う事なのかな

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  65. 内戦派さん 

    書き込み頂きましたが、私には意味が今一つ分かりません。すみませんがもう少し具体的に書いて頂けませんか。 宜しくお願いします。

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  66. wind2014/10/27 3:36:00

    Message body




    初めて投稿します。

    内戦派さんが言われるマインドコントロールとはどんな意味でしょう。

    何か得体のしれない怖さを感じます。 本部がこれまで支部長や拳士に対してやってきた事がマインドコントロールなのでしょうか? これではオウム真理教と同じではありませんか。

    知り合いからこのサイトを教えられ読んでみて驚きました。 これまで色々と疑問はありましたが、それ程大きな問題とは思ってもみませんでした。

    でも投稿で言われているような最高解釈権者と言う方の一言ですべてが決まるとすればカルトですね。 良い友達も居て残念ですが私は拳法をやめます

    返信削除
  67. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    初期仏教の「おのれこそおのれのよるべ」ということばは城福氏が指摘(「釈尊は,誰でも,いつでも,たとえ釈尊の滅後でも,他のものや他人をたよりとせず,自分自身と理法をより所として修行する人がいるならその人は悟りの境地に達することが出来る」)したようなラディカルな意味を含みますから、仏教が教団として進んでくると忘れ去られて来たと思います。初代が、この言葉をとりいれたのは青年期に目にした友松師のことばが印象に残ったのでしょうか。ただ、法句経の文脈からしますと超自然的なダーマの存在は想定していないと思われます。初代は中国文化に浸り、宗教が混淆されることに違和感がなかったのか、中国の信仰対象のダーマをも取り込んだのでしょうか。まず、彼の地の教えが初代がとりあげた法句経の文句を重要視しているところですが法句経の全編の釈尊の理法を実践するとすれば、現在行われているような形態にはならないような気はしています。

    返信削除
  68. Windさん 書き込み有難うございました。

    初め『最強の武道とは』の方に投稿されましたので、私もそこへ場所が違うのではと返信で書きました。

    拳法をやめる必要は無いと思います。確かに マインドコントロール等と言う言葉を聞くと嫌な感じになりますが、辞めてしまえばそれで終わりです。何も変わりません!大切な事は組織の中から声を上げて行く事だと思います。

    沢山の人達がこの場所に投稿され、組織の抱える疑問や不満について述べられております。大切な事は部外者の我々ではなく、組織の中に居る人達の声なのではないでしょうか。 

    又仲間の人達と話し合ってみる事により何か良い解決方法が見つかるかも知れません。 又の投稿を期待しています。  結手

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  69. Emptyさんが指摘されている事が私には城福氏の本を読んでおりませんので答えられませんが、彼の地の初代が中国での文化的背景から受けた影響は仏教だけでは説明が付かない事があると思います。 多分に道教の影響が感じられる事は道院なる名称からも分かるのではないでしょうか。

    言ってみれば少林寺拳法は禅宗(仏教)でありながら、仏教と道教等良いとこ取りなのではありませんか? それを批判している訳ではありません。新興宗教と言うものはその殆んどが創始者の経験と判断で作られたものであろうと思うからです。そこに異なった宗教の影響があっても良いと思います。

    その上で宗教団体としての矛盾が無いよう、指導者や拳士にきちんと説明していく姿勢が求められていると思います。 

    Emptyさんの書き込みにはいつもながら厳しい(冷静な)視点が盛り込まれており、読む人達にも考えさせられる良い材料ではと感じます。

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  70. 水野先生
    いつもありがとうございます。又、中途半端なコメントで申し訳ありません。周り・ほぼ全てが現体制派なので・・諸先輩だけには迷惑がかからないように・・しておりますので
    自由にもの(正論)が言えない・・それだけでも・・カルトなのかもしれませんが・・
    様は、本来なら針路を決めなくてはならない大切な会議の場でさえ、・心半ばで亡くなられた道院長の話まで出して、金剛禅にそれほど尽くしてくれたと・・情で訴えて・・他の議論などできなくする。とどめは開祖・・開祖と「水戸黄門の印篭」ですから・(マインドコントロールの感情のコントロール)の完結がそのような事です。
    組織改革が最終の年の道院長研修会で草創期の大先輩が周りの同志の疲弊を見かねて・・
    意見を述べた事がありました・・
    創世の頃より開祖と一緒に歩んできて・・開祖の求めていた組織の形と変わった(宗教)へ向かって行っているのではないか?と・・
    さすがに草創の大先輩の意見ですので・・壇上の誰も説明できない状況の中・・
    最高○○と崇められるお方が・・壇上にさっそうと上がり・・開祖を一番そばで見てきたのは私であると・・・私の言葉=開祖の言葉だと・・
    そこまで言われれば・・・・
    ははーーーと皆、低頭平身するのみでしたねー
    それからの・・会議での発言(批判的)は・・一切、影をひそめました・・残るは無力感・・
    それでも・・それでも・・まだ、この団体には羊ばかりじゃなくて・・狼もまだ少しは残っていると信じています
    長文・・失礼いたしました

    返信削除
  71. 内戦派さん 説明有難うございました、言われんとするところ良く分かりました。

    ご指摘のとおり自由に正論が言えない環境下での議論など何の価値も持ちません。 マインド・コントリールだと指摘された環境を作りだし、その下での会議など陳腐でとても正常な話し合い等出来る訳もありません。

    組織が立ち直る事が出来る唯一の方法は、自由闊達な討議が可能かどうかに掛かっています。会議とは全く関係の無い話をして、会議に参加した人達の思考回路を事前に一方向へ向けるような環境が作られたとすれば、それは完全にマインド・コントロールと言っても過言ではないと思います。

    『私の言葉=開祖の言葉』ですか、驚き以外の何物でもありませんね。本当に狼が少しでも残って居る事を期待したいものです。 今回の内戦派さんの努力難しい環境での発信、有難うございました。

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  72. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    インド思想における教科書的知識からしますと釈尊はバラモン教のブラフマン的なものを否定したことが画期的で、釈尊の思想性の一つに思います。このブラフマン的なものはバラモン教的思想ですが、インド思想としているダーマ的なものと同質であると思います。
    彼の地の「おのれこそおのれのよるべ」のことばはブラフマン的なものを否定している言葉です。この事実からしますと、いいところどりといいますか、釈尊が発展させた思想を先祖がえりさせてしまっていまして、水と油の思想が彼の地の教えにあります。
    禅においても彼の地の教えは北宗禅を標榜していますが、北宗禅は中国で途絶えており、どのような禅の祖師から伝えられ、北宗禅の祖師の言葉はほとんどみられないように思います。
    彼の地の教えは外部の知識を嫌いますから、そのあたりはカルト的に思います。

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  73. Emptyさん 北宗禅を標榜する理由を、初代は以下の様に説明して居た事を記憶しています。

    中国においても北禅は途絶えていた。南禅が栄西や道元によって日本にも伝えられそれ等が主流ではあるが、「金剛禅として私が北禅を復活させた」と言われて、その理由を少林寺拳法の修行スタイルを例に説明されたのです。

    五祖の法灯を継いだ弘忍は後継者として慧能を選んだが、我々の金剛禅は神秀が主張する北宗禅の考え方を支持する。そして慧能の偈を例に挙げ、「天才を否定するものでは無いが、一般の人間は一つ一つの積み重ね(努力)があって上達できる。拳法は特にこの事が大切であり『頓悟』を主張する慧能の南宗禅は、我々の修行スタイルとは相容れない」との見解でした。

    その上で「我々の目標は悟りを開く事にあらず、日々精進を続け死ぬまでが成長である」とも説かれていたのです。鈴木大拙や道元の説く『正法眼蔵』とはかなり異なった見解だったと思います。

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  74. ご隠居拳士2014/10/29 1:12:00

    当初、開祖の目指した組織は「閉鎖的組織(秘密結社?)」だったと思う。
    少なくとも、合議制で物事を決めて行く組織を考えていなかったと思う。
    組織の規模が大きくなり始めた後も、開祖は『私が少林寺丸の船長だ、行き先は私が決める、
    途中から乗船してきた者がグチャグチャ文句をつけることは、おかしい。文句があるなら、船から降りてくれ』というような事を、話されていた気がする。

    時代が変わった、組織の規模が変わった、開祖が生きていれば方向を変えたかもしれない。
    遷化された今、開祖の思いがいっぱい詰まった、少林寺丸の方向を変える事ができるのか?
    しかし、昔の開祖の思いだけでは、時代の流れに順応できず、船は遭難してしまう。

    多くの楽しかった過去を持つ者にとっては、座して、沈没を受入れることも選択の一つである。
    時代遅れと言われようが、時代の最先端とはしゃいでいる人達の舞台(足元)を作り上げてきたのは、我々だ。
    ささやかではあるが、幸せを感じて、少なくとも、他人を傷つけることなく、残りの時間がすごせるのだ。

    組織の中には、虎も狼もいらない。組織内で争うことは友を失う事であり、組織も強くならない。
    もし、友と呼べる人が回りに居るのなら、大切にしてほしい、辛いとき、あなたを精神的に支えてくれる。

    しかし、若い方は、時代に合った、新しい組織を作り上げてほしい。
    他人を変える事は、難しい。  自分が変わる事だ。
    時代の流れに合った「新少林寺丸」を仕立てて行くべきだ。

    もし、既存勢力が「新少林寺丸」をつぶそうとしたら、BSKFのように、毅然(キゼン)と戦ってほしい。
    対抗勢力のトップを、悪人に仕立てて、つぶす方法は、強い組織には通用しない。
    そして現在、BSKFは勝利している。

    地域や、人種を無視した、強制的組織は成り立たない。支配する者、される者が出来てしまう。
    組織(各国)の独立性を重視し、ゆるい連帯を保ちながら、しなやかに発展してほしい。

    結手

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  75. ご隠居拳士さんのコメントはいつも楽しくちょっと厳しく読んでいます。
    私も現状に大きな疑問と不満を持っています。

    特に気がついたら異質なものになっていたことはとても残念です。もはや技術の面においても思想の面においても私の思いとは大きく離れてしまいました。


    ご隠居拳士さんはいい思い出として後は若い人に任せようとのお考えでしょうか。
    私はそうは思っていません。少林寺丸が行き先を変えたのならその船を下りて小さな船で元の方向をまっすぐ進みたいと思っています。

    ご隠居拳士さんも、もう引退だ、のんびりやりたいとおっしゃっていますが、この水野先生のブログに投稿されているところを考えますと、それが本心とは思えません。ぜひ私たちと一緒にもう少し頑張ってみませんか。

    新しい道を作って若い人を育てて、その後でほんとに隠居しませんか?
    私は、これまで真剣にこの活動に取り組んできました。
    その結果が訳の分からない宗教になってしまったなんてとても残念に思っています。


    だから人からたとえ裏切り者と言われても「それはあなただ」と言いますし、恩知らずと言われても「本来の進むべき道を変えたあなたこそ、恩知らずだ」と言う覚悟を持っています。春日八郎の少林寺拳法の歌にもありますが、度胸を定めりゃさくら花、恐れるものは何もないの心境です。


    ぜひお力を貸してください。
    水野先生のブログのトップの右側にアドレスがあります。クローズの意見交換が出来ればと思います。もっとここを利用させてもらって力を集めたいと思います。
    これをお読みになっておられる方々時代は動き始めました。いつかきっと出会えると信じています。

                   結手礼拝















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  76. ご隠居拳士さん 今回はストレートなご意見で恐れ入ります。晩酌を召し上がる前のご意見でしょうか?

    我々は対抗勢力にもなって居ないでしょう。ちょっと古い表現を借りれば現在の彼の大きな組織の中には『抵抗勢力』は居ると思います。その人達が意見は意見として発信される事は良いと思います。しかしながらこれらが単に不満をぶつけ合うだけのガス抜きの場であれば何の意味も持ちません。

    ご指摘の様に現在の有り方に不満が有るのであれば方法は二つしかありません、一つは内部から革命がおこり組織が崩壊して、全く新しい組織に生まれ変わるのか。  今一つは不満を持つ人達がこれとは別に自分達が納得できる、新しい組織を創りだすのかだと思います。

    いずれにしても部外者の私がどうこう指図できるものではありません。この場所は色々な考えの人達が自分の信じる意見を述べる場です。その中で自分が共鳴できる人達が次に何をする事が必要なのかを見つける一助になればと考えます。ご隠居拳士さんも提案された『新少林寺丸』も一つの提案だと感謝しています。

    有難うございました。   結手

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  77. 熱い投稿有難うございました。

    投稿者さんの言われる強い思いは充分に伝わってきました。私も御隠居拳士さんが傍観者として冷やかしで投稿されているのでは無い事は重々承知しております。厳しい視点の中にも、どう行動すべきか迷える後輩拳士達に、ある種の啓示をされているのだと考えます。経験豊富なご隠居拳士さんには何時かその知識と技でお力を貸して頂きたいと思います。

    春日八郎、懐かしい名前が出てきました。私達のBSKFも現在ではその歌の文句ではありませんが『恐れる物は何も無い』の心境です。異文化の中でもしっかりと思いを一つにして少林寺拳法の発展に努めたいと願っています。

    ご隠居拳士さんが指摘された『地域や、人種を無視した、強制的組織は成り立たない。支配する者、される者が出来てしまう。組織(各国)の独立性を重視し、ゆるい連帯を保ちながら、しなやかに発展してほしい 』
    この言葉こそ我々が目指す理想的な組織ではないでしょうか。

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  78. ご隠居拳士2014/10/29 20:35:00

    いや~(先回のコメントの表現が硬くて)申し訳ない。
    かつて、硬派の生きざまがでてしまいました。(笑い)
    『座して、死を待つ』など、今時、はやりませんな。(大笑い)
    もう少し柔らかく-----。

    縁側でうたた寝をしていたら、変な夢をみた。

    操船技術(少林寺拳法)を習得しないまま、船を引継いだ船長は
    操船の楽しさが理解できず、煩わしさのみが目立ちました。
    手に余るような大型船です、どうするのかは、船長の仕事(判断)です。
    大型船はやめよう、レジャーボート(学校、カルチャースクール)で充分、
    大型船は処分先も分からないので、沈める事にしました。
    組織(船)は、作るにも、解体するにも大きな力が必要です。
    皆が離船できる、時間を稼ぎながら、静かに船を沈める必要があります。
    離船の順番、まずは、「急な変化に弱い年寄り」や「恩になった大切な方(カタ)」からです。
    元気な若者は、沈んでからでも、遅くない。
    自分で、方向転換、できるでしょう。
    急速な、PC導入で、年寄りはついてこれない事を自覚して、実質、下船、完了。
    息子の海外留学でお世話になった、かの地の方(カタ)には、
    「交通費の不正請求」を口実に早々に下船して頂いた。
    かの地から、火の手を上げれば、9576km離れた日本への影響は段階的で沈むまでに時間がかせげる。
    かつては、150万人が乗船していた規模であったが、
    『適正な規模になって来ました』とは、沈め頃になったということか?
    この先は、船底のハッチを開け、急速に沈めるかもしれない。

    沈みゆく、「少林寺丸」に合掌!!
    お疲れさんでした。

    テレビの音で目が覚めた、連日の「御嶽山、噴火」のニュースだ。
    変わらないと思っていた、信仰の山が多くの犠牲者を出した。
    変わって欲しくないという気持ちが、変わらないという誤解をまねく。
    現実は、どんどん変わっているのだ。

    (注)夢は、夢であり、全く根拠の無い妄想です。

    結手

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  79. ご隠居拳士さん 安心致しました。何時もの調子が戻りましたね。

    前回の投稿は高校生が書いたかと思うほどのストレートなもので驚きましたが、あの様なストレート勝負の表現でしたが不思議と伝わってくるものはあるものです。

    今回は晩酌か、例の『居酒屋少林寺拳法』で気心の知れた仲間と楽しく飲んだ後の夢ではありませんか。
     
    ロンドンでも御嶽山のニュースはNHKワールドのニュースで伝えられています。私の地元からそれ程遠くも無い御嶽が、信仰の山だった事は良く覚えています。信仰の対象が噴火する事を思えば、人が作った信仰の対象(組織)が人によって作り変えられる事が起きても不思議ではありませんね。

    私達年配の船乗りは、若い人達が逃げる時のガイド役が出来るのではありませんか。同時に自分達の経験から新しい船の作り方も伝授出来る様に思います。

    一緒に新しい船に乗り移れば良いと思います。間違ってもお隣の国の船長の様になってはいけないと思います。それをご隠居拳士さんは前回言いたかったのではありませんか?

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  80. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    初代は復活させているとは述べておられますが、初代ご自身が禅の修行を経ていないとは思われますので、この道灯を
    どう復活させているのかがよくわからないのです。
    >「天才を否定するものでは無いが、一般の人間は一つ一つの積み重ね(努力)があって上達できる。
    南宗禅においても修行しないものを認めるなどということはないでしょうし、剣術において有名な禅の沢庵禅師や大森曹玄師も一つ一つの積み重ねを否定しないはずでして、初代のことばで南宗禅を否定する根拠にならないのではないでしょうか。
    また、北宗禅は実は天台宗に受け継がれており、このことを彼の地では考慮した形跡はないかと思われます。天台宗に禅関係の著作があり、希少な北宗禅の著作・言行を考慮しないのは不可解です。
    日本のお寺さんも僧兵で有名であったり、武装化したお寺さんもありましたが、彼の地の冠する武道も中国で武装化したときのものであろうし、修行として武技が伝えられたものではないというのが通説かと思います。また、このお寺さんも南宗禅であるようです。
    武道とともに思想教育もされてしまうものですから、真偽は問うことなく、身に刻まれてしまうというのは義和団、日本の旧軍隊の教育でも同じかも知れません。やはり、カリスマから発せられた言葉をよく考えてみるのは大事かと思います。

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  81. Emptyさん コメント感謝しています。

    何時もながらの鋭い突込みがうかがえますが、私を含め宗教や禅等に余り知識の無い(興味も薄い)拳士達が、初代の言葉を鵜呑みにしたとしても仕方の無い事でしょう。

    初代がどれ程禅の修行をしたのかが問題ではなく、知識のほとんど無い多くの拳士達(若者達)にとっては、初代の言われる事を素直に受け取る事しか出来なかったのです。

    現在の法灯を継ぐ彼の組織の指導者にしても、全く禅宗は元より宗教そのものに対する理解は無いものと思います。それらが矛盾となって現在の組織が抱える問題がより大きくクローズアップされてきているのではないでしょうか。

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  82. MIZUNO先生
    いつもコメント返し誠にありがたく恐縮です。
    なんか宗教(禅)の北とか南とか、勉強不足で・・それらの高尚な議論はできませんが・・又、それらの議論に走る事こそが彼らの術中にはまってしまう事なのかもしれません・・
    組織改革=宗教と言う図式こそ・・彼らが書いたコントロールの道筋で・・ほとんどがその手法にはまってしまいましたが・・
    実際は・・全員の道院長はご存知のはずですよ・・なんぼきれいごと言っても・・国税対策にすぎない事を・トップや幹部が公言しているのですから・・
    ある公僕の先輩道院長に会議の後に・・敵は国税みたいな事の発言されて同じ公僕として、腹が立たないんですか?と質問した事がありましたが・・もはや心はあちらにいっていました・・・
    独裁的な団体は・・体制が揺るぎはじめた時には・・共通の敵(仮想)を作り上げて・・人心を掌握する歴史があります。
    北朝鮮の米国・・ナチスのユダヤ・・オウムの日本国家・・
    現在は・・ここまで拳士数の激減の原因さえ・・財務省(国税)による妨害・・文科省による宗教法人弾圧・・に持っていかれています・・周りの仲間?も、その方向で信じ切ってしまっています・・・
    我々がやってきた正道を国が理解せずに妨害していると・・公然と言う道院長も増えてきました・・・
    かなりコントロールが完成系になってきています・・
    ある会議の後に・・私に半分冗談?で・・あんまり言うとポアされるよと言った道院長がいました・・
    そこまで・・切羽詰まっているのです・・
    言葉悪いが・・武道論議であって宗教論議はあちらの思う壺です・・

    失礼しました

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  83. 内戦派さん いつもストレートな意見有難うございます。

    貴方が言われたい事、充分に理解しているつもりです。組織に人が集まらない原因ははっきりしています。ここに多くの方々が書き込みをしておられる事が真実なのです。
     
    情けない話ですが、国税からの追求を逃れるために、宗教法人を口実にして居ると言われても仕方がありません。スケープゴートを財務省や文科省になすりつけても全く解決できない事は明らかでしょう。
    驚くべきは内戦派さんが言われた共通の敵を『財務省や文科省』の締め付けが原因と、信じている道院長が居る事です。

    言いたくはありませんが、益々カルトへの傾斜を強めているとしか思えませんね。この様な団体に人が集まると考える事の方が、おかしいのではないでしょうか。 

    又ここへの書き込みにしても、内戦派さんの様に自身の思いをしっかり主張される事が大切です。前にも書きましたが単なるガス抜きの為の言葉遊びでは意味を持ちません。

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  84. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    内戦派さんはそういう見方なんですね。ただ、思いますが、初代の考えが出ると思考停止してしまうのは、やはり該博なまでの思想体系があるからなのではないでしょうか。なにしろ、初代自身が武道は餌といった方です。宗教的考えを無視は出来ないのではないでしょうか。なぜか、日本における裁判記録がネット上にあるようですが、初代の宗教的な論理が外部には通用していなのがうかがわれます。そして、初代もこのことには不服だったように聞いています。外部には通用しなくても、内部的にはお教えにはなにも意見がない状態になります。この武道に入っている方の大部分の方は宗教法人に属していらして、
    考試でも、修練においても、初代の宗教的な考えが教えられ、中心の方も宗教的な考えを重視しているのですから、教科書的知識を
    もちあわせないと常識的判断が出来ないと思います。

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  85. MIZUNO先生いつもありがとうございます。
    しかしながら、通達がでる程に、影響のあるブログでしょうに・・
    それだけ閲覧(隠れ)の拳士も多くいると思うけど・・
    右であれ、左であれ、上であれ、下であれ、自らのコメント(意見)を発する勇者がいないのは・・
    組織としての治癒能力がすでに無いのかもしれませんね

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  86. Emptyさん コメント有難うございました。

    貴方の書き込みが引き金となり、私が疑問に感じて居た事にフォーカスが当たり、このブログのタイトルにつながった事は前にも書いたとおり事実です。

    只少林寺拳法に関わっているほとんどの拳士達は私を含め武道を目的として入門した人達が殆どで、宗教に関心があって入った人はごく少数派だと思います。ですから宗教論議になると確かに腰が引けてしまいます。

    ご指摘の裁判において明らかにされた様に、初代が部内にしか通用しない宗教論を展開していた事は事実だと思います。『武道は餌』確かに言っていました。しかしこれも初代の切り口の一つにすぎません。それぞれが自分達の都合で初代の言葉を持ち出して「開祖は・・このように言っていた」と正当化しているにすぎません。

    であればこそここの書き込みには「自分はこう思う」とか、「この組織の将来あるべき姿をこの様にしたい」との視点(意思の伝達)は大切だと感じます。それが無い場合は議論の空回りになってしまい、何ら建設的な方向が出てこないと感じるからです。

    少林寺拳法の掲げる宗教論の欺瞞性に焦点を当てたいemptyさんの気持ち良く分かりますが、貴方も指摘されている「初代の考えが出ると思考停止してしまうのは、やはり該博なまでの思想体系があるからなのではないでしょうか」と言う事、それを如何に取り除いて実りある議論(発展的な)にしていくのかが問われていると感じています。

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  87. 内戦派さん 書き込み感謝しています。

    影響のあるブログかどうかは知りませんが、「現状を何とかしなければ」との思いで書き込んでくれる人達が数多く居る事も分かり嬉しく思います。

    内戦派さん、emptyさん、ご隠居拳士さん、が最も多くのコメントを寄せて頂きましたが、他にも拳法大好きさん、今は昔さんが複数書き込んでおられます。
    又匿名での書き込みにも複数回書き込まれた方もおられると思います。これだけの人達が声を上げて居るのですから、ここから情報を得られた人達が見られた数は結構多いと思います。

    今後の課題は一つ前の返信でも書きましたが、では『自分はどうしたいのか』と言う視点(情報伝達)が必要だと感じます。現状に不満をぶつけ合うだけの場所で終って欲しくないとの思いです。

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  88. BSKFのホームページ、ニュース欄に裁判結果が公表されました。和訳も出ていますので見て下さい。 bskf.org で見られます。

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  89. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    この不景気の世の中、趣味の世界にあまり時間を割きたくないのが実情でしょう。また、彼の地の組織は個々人を掌握している不思議な組織です。柔道であれ、剣道であれ、個々人をすべて掌握している組織はないのではないでしょう。何かを申し述べる際は、個 対 組織にならざるをえないですし、放逐されると彼の地の武道、組織に関わりを持てないという仕組みですから、穏便にすませようとするのではないでしょうか。彼の地の武道はホームページとかスポーツ本ではそのような組織には見えませんから、世間一般に実体をすべて公開していくのが一番ではないかと思います。実体は実体な訳ですから、彼の地の中心としても知られてまずくはないと思います。

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  90. Emptyさん 新たな提案感謝しています。

    しかし以下の懸案も考える必要があるのではないでしょうか。

    ご指摘の彼の組織は個々人を掌握しているので、何か意見を言う時には個人 対 組織にならざるを得ないとの指摘ですが、理事会などでも同じだと思いますよ、最終的には発言者は個人ですから誰が言っているのかは特定されます。

    貴方の説明では、ホームページや本等ではその様な組織には見えませんとの見解ですが、ではどの様に一般の人達にアピールしているとお考えですか?確かに宗教を前面に出してアピールはして居ないですよね。武道団体でしょうか、スポーツ団体でしょうか(同じ様なものですが)、世間一般に実態を公開していくと提案されますが、具体的にどの様に、誰が、何を公開して行けば良いと思われますか?

    その等を具体的に説明して提案して頂けると、前に進むのではないでしょうか。

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  91. 拳法大好き2014/11/01 5:17:00

    今、私たちに出来る事はなんでしょう?
    いろんなことを論じ、意見の食い違いがあっても仲間ですあり可能性を探してまた話し合い、納得はいかないにしても共通点を見出して理解しあう、そんな集まりでありたい!
    多くの意見がここに寄せられ居てはいますが、ではどうましょう?
    少林寺拳法を習い始めたころを思い出し、開祖の素晴らしい言葉に感銘しました。
    「人は、その上に立つ人の物の考え方によって決まります、その人は慈悲心・勇気・正義感を持ってなければならない」私の聞き違いでなければ《歩きながら考えよう・立ち止まると後から来た人がどんどん追い抜いて行く・衆知を集めて歩こう》と記憶しております。
    《少林寺丸が航路を変えたならば、小さな船でも乗り換えてその道に進むだけです。》
    私もまったくの同意見ですし、小さいグループながらでも進んでいきます。何年か先にまた交わる事が有るかもしれません(先には何があるかは誰にもわかりません)
    耳を貸さない!意見は聞いてくれないとすれば決断はしなければならない時が来たようですね!
    私は進みますよ!立ち止まらず・仲間と意見を交わしながらね!
    世界平和は私にはできません。
    地域の青少年育成に残された時間をかけていきます。

    本部の人もこのブログを見ているのでようね、黙っていずに意見を述べてください、仲間なんですから・・・

    結手

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  92. 拳法大好きさん コメント感謝します。

    言われるとおり多くの意見が寄せられ、皆さんが問題意識を持たれて居る事は良く理解できました。只、問題意識の集約だけが目的では無いはずです、そこからどの様に行動に繋げていけるか?が大切な事は皆さん理解できていると信じます。拳法大好きさんは一つの対案を示されましたね。

    これまで拳法大好きさんから寄せられたご意見からの想像ですが、結構拳法歴の長い方の様ですが、『立ち止まらずに仲間と意見を交わしながら前へ進む』大きな決断です。具体的な方向(方法)が決まりましたら又ここで他の皆さんに表明して頂けることを期待しています。 

    返信削除
  93. 水野先生コメントありがとうございます。
    彼の地の武道の意見交換はネット上でも制限されているようです。ネット上でも、情報交換出来る場がありましたが、なぜかとぎれていたりします。また、ブログとかで日頃の修練の様子を載せている人も載せなくなってきています。モチベーションが維持できないのかも知れません。ネット上でも現体制に批判的な言葉を寄せれば、体制的な言葉が結構、寄せられたりします。
    現体制は初代の言葉をよすがとしています。初代の言行は一本に割りきれるわけではなく、多くの意味にとれると思います。多くのカリスマにいい面と悪い面があったように、初代も同じかと思います。カリスマはこういったということでなく、カリスマのここは現代的には合わないという面があると思います。また、初代は恒林和尚の立会のもとなど虚偽の面があります。武道とともに教えられる教義を彼の地から配られる教本、教範だけでとどまれば彼の地の本部にはあらがえないのではないでしょうか。自由にネット上で有益な話が出来る場がここかも知れません。

    返信削除
  94. MIZUNO先生
    いつもありがとうございます・
    私の投稿は、廻りからは過激と思われるかもしれませんが、あくまでもありのままですので仕方ありません。
    かの二代目が、全国を廻って少林寺拳法は「武道」ではありませんと堂々と「武道専門コース」と武道という名がついている武道の修練場で演説しないといけないように、彼らにとって少林寺拳法は武道であってはならないのです。
    何故か?他の歴史ある武道団体(開祖や創始者がいる)たとえば、合気会、葦原会館なども血族の二代目に移行されているが、どちらも二代目自ら幼きころより修行を重ね拾遺が認めている。
    少林寺拳法はどうか?二代は女性であり自ら足の病気でできなかったと公言している。だからそこまで公な中傷は聞かれる事もなかったが、だが現在おこなわれている三代目への移行の場合はどうか?
    少林寺拳法の修行をしたことのない若者が・・武道団体のトップへ就任する事に対しての反発、反感は間違いないであろう・・
    だが、宗教団体のトップへの就任は、血統という最大のバックでどうにかなる。というかその方法手段しかない。そう思われてもしかたがない動きになっているのではないか?
    そうでない事を信じたい気持はいまでもあるにはあるのだけど・

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  95. empty さん 自由な書き込み歓迎です。それが出来ない状態なら、私はこの様なものは必要ないと考えます。

    多く寄せられる不満の大部分は、拳士数の減少に歯止めが掛からない。意見を言っても無視される。等々現状に対する不満と欺瞞です。その結果としてモチベーションが上がらないのだと思います。少なくとも色々な意見を吸い上げる気持ちが組織に有れば少しは異なった展開にもなるかも知れませんが。

    創設者に対する敬意はどの様な団体であれ少なからずあるものです。只ご指摘の様に創始者が亡くなって、時代も変わってくれば直接的な影響を受けた会員も少なくなってきています。その人達の単純な思いは、影響を直接受けた世代とは比べ物にならない程シンプルなものだと思います。

    いくら創始者の言葉を並べても、その時代を共有して居ない人達にとっては単なる一人の先輩の言葉です。真実や物事の道理に重きを置いて考える事が当たり前の理屈なのだと思います。それを創始者の言葉とはいえ部分的なところだけを切り取って、体制維持の為のご都合で利用したと取られれば、批判や抵抗を示す人が現れる事は自然の流れではないでしょうか。

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  96. 内戦派さん ストレートな物言い歓迎です。

    実態が武道でありながら宗教を強調する、この矛盾は拳士全員(本部職員は除いて?)が共有している事実であろうと思います。本来の武術においては血筋でさえ後継者にはなれませんでした。今日まで続いて居る古くからの日本武道を検証してみれば明らかであろうと思います。

    しかしながら現代における武道のはたす立ち位置が、現代社会で生き残れるように、実戦での強さ以外の要素(社会に果たす役割等)が求められるようになって。その為の安定性として世襲制が認められる背景になってきたのではないでしょうか。

    宗教団体も同じだと思います。禅宗は元よりあらゆる宗教で世襲制が有る宗教団体はごく少数派だと思います。武道よりもよほど厳しく人そのものの要素(人格)が求められ、厳しい修行(修学)なくしては法灯を継ぐことなど、どんな宗教、宗派でも聞いた事がありません。少林寺拳法が如何に不思議な論理で世襲制を進めているのか、皆さんで考える良い機会ではないでしょうか。

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  97. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    人が減るのは、趣味として習っていて、多少の思想教育は我慢していたけれど、この比重が大きくなって許容範囲を超えた人々が多いだけのことですよね。天下りの体制にも嫌気をさしたのでしょう。新規参入者も説明を聞いて嫌になった人が多数なんでしょう。それから、彼の地の武道は当身技としか認識されてないでしょうし、空手の方がいいと感じるのでしょう。
     それから、先生がご指摘いただいたように戦後かなりの月日が流れ初代の人生観は響かない人が多いとは考えられます。いまどきの若い方に明治生まれの人の話を聞かせてふんふんとうなずく人があまりいないのはわかるように思います。また、ご自身で実践されない2代目のことばも響かないですよね。彼の地の中心は人々に教えるというスタンスですけれど、成熟した社会の一員は自分で判断出来る面を持ち合わせていますから、別なところで自分を鍛えた方が良さそうと判断するのでしょうし、民主的な運営でない組織にいるよりはクレバーな判断に思います

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  98. emptyさん 今回のコメントはかなりストレートなパンチですね。

    でも皮肉とも受け取れる箇所は訂正して欲しいと思います。『彼の地の武道は当身技としか認識されて居ないでしょうし、空手の方がいいと感じるのでしょう』には抵抗を覚える拳士も多いと思いますョ。

    私は彼の地の武道(少林寺)が当身技としか認識されて居ないとは思いません。武道に全く未経験者であれば空手と少林寺拳法の違いも難しいのではありませんか。

    当身技として空手の方が優れていると感じて、空手に移って行くと言うのではなく、現体制では自分達の目指す武道としての技の習得に目処が立たない(宗教であるとの主張で)事などが原因で、やめて行く拳士が多いのではないかと思うのです。

    又『天下りの体制にも嫌気がさした』と書かれて居ますが、この『天下り』とは血縁による世襲制の事でしょうか?そういう意味であれば多くの人がうなずくと思います。

    『成熟した社会の一員は自分で判断出来る面を持ち合わせていますから、別なところで自分を鍛えた方が良さそうと判断するのでしょう』これは私のみならず多くの現体制に批判的な人達には納得できる説明だと思います。

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  99. 水野先生コメントありがとうございます。
    皮肉ではないです。あくまでも外部からみると彼の地の武道は、いまとなっては知名度がなくなってきており、拳法とついていますから、外部からみると当身技としか見られてないのではと思います。そういう武道に七面倒な手続、変った考えの押し付けを感じますから、離れてしまうのではないでしょうか。
     彼の地の武道としてのアイデンティティも外部にはわかりにくくなっている感じがします。天下りは、双方向ではなくて、一方方向のみというところです。

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  100. Emptyさん ご意見は一つの見解として受け止めますが、私も組織の内側から見た意見ですので『少林寺拳法』を外部から見ると当身技としか見られて居ないと言われると、現在の日本国内の実状は分かりません。

    ところで一つ質問させて頂きたいのですが、『外部から見ると』と貴方は指摘しておられますが、emptyさんご自身は部外者の方でしょうか? あるいは以前少林寺拳法をやっておられた方で現在はやめられた方なのでしょうか。今一つは現在も拳法を続けておられるのでしょうか。 

    どの様な立場の方でもご意見を書き込んで頂く事に問題はありませんが、あなた自身のスタンスをお聞きして居ませんと私の答えも的確なものになるかどうかは分かりませんので。

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  101. MIZUNO先生
    いつもありがとうございます。
    私見ですが、先生のコメントの『実態が武道でありながら宗教を強調する、この矛盾は拳士全員(本部職員は除いて?)が共有している事実であろうと思います。』
    については・・確かに先生の言われるように『拳士全員が共有』してもらいたいと私も思いますが、現在の日本の少林寺の拳士の状況は、かなりの勢いで逆の方向へ進んでいる気がいたします。力なき正義は無力なりの教えはどこに言ったのやら、口だけの力のない指導者が増殖しすぎて(過去の栄光だけの御大も含めて)、宗教を強調する事の方が自身の力のなさの保身にもってこいと思っている指導者が多すぎます。
    だから、本当に改革が必要と思っている人数が少なすぎて、いっこうに力にならず、単独での戦いで、くぎは出たら粛清、又出たら粛清とつぶされていきます。
    開祖は金メッキでも、決して剥がれないメッキになればいいんだとおっしゃいましたが、たとえ改革の火が線香花火であっても、何束もかさなれば、いつか松明のように光明になりうると信じています。ぜひ先生のブログでの投稿で私も何かの光明を見つけだしたいと思っています。
    こちらでは3日に、全国大会が盛大に開催され、不満拳士のガス抜きに使われました。武道を捨て、宗教で生きる道を選択した団体が、宗教色を微塵と見せずに、競技大会をする。参加した拳士は、なんだ何も変わってないんだと錯覚し、安心し、再びお布施を払い続ける。誰もこの矛盾に対して、自分が信じる道に疑念をかんじないのでしょうか?
    このコメントを見ているだけの、拳士がいるのであれば、私が間違っていると思われるのであれば、是非とも正論の導きをお願いしたいと思います。
    目指すは、鶏口牛後ですよ

    返信削除
  102. 内戦派さん 書き込み有難うございました。

    全国大会が盛大に開催されましたか。それがガス抜きに使われ、『何も変わって居ないのだ』と安心して、お布施を払い続ける拳士がほとんどであるとすれば組織改革は難しいでしょう。

    話しは変わりますが、先日剣道の全日本選手権の結果をNHKニュースで紹介していました。少林寺拳法の全国大会が同様なニュースとして全国(世界)へ伝えられる事は、現在の体制下では不可能な事は誰でも分かると思います。 不満のガス抜きを全国大会でやっている様では、剣道や柔道の様に日本全国に普及させたいと国や自治体が思うはずがありません。

    世界中にも発信される柔道や剣道の様なあり方が、一般社会では健全なスポーツであると受けとめられている証拠だと思います。間違っても宗教団体を標榜する団体にはこの様な評価はなされない事でしょう。

    『スポーツ』と言う表現には少林寺関係者からは少なからず抵抗が有る事は承知しています。しかし世界の基準で測れば武道もスポーツのカテゴリーに入る方が一般的です。

    無理やり少林寺拳法を宗教の範疇に含めようとする行為こそ、益々その発展に障害が出る事を認識すべきだと思います。 全国大会と言われる大会の、どの部分を指して宗教団体と言うのか識者の意見を伺ってみたいものです。

    返信削除

  103.  こんばんは 
    今は昔「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の文句はダグラス・マッカーサーが退任の演説の時に出てきました。
    これまでの軍歴をたたんで、ただ消え行くのみ。我々の場合はこれまでの拳歴を終えて、ただ消え行くのみ。嫌です。絶対!これまで半生を賭して頑張ってきた結果が税金対策で選択したわけの分からない宗教となって、終わってしまうなんて、ただ消えるだけで幕を引くなんて、とても我慢が出来ません。
    よくよく熟慮に熟慮を重ねました。老骨に鞭打ってでも武道としての少林寺拳法をたとえ名前は違っても追及していきたいと思います。

    その気になってトレーニングをすると、それなりに動くようになって、単に鈍っていただけかと思いました。筋肉は使わなければ衰退し、使いすぎれば壊れてしまいます。ちょうどいい加減を頑張っていきます。

    本部はどうやら若い世代に次の期待を持っているようです。しかし、20歳で初段のコース制のインストラクターになったり、大学卒業時に指導者の仮認証をしたり、取り込みに躍起です。もう我々はお役御免なら、自分で自分の思う武道団体を作ろうというところに落ち着きました。これからは自らを灯火として、怠らず励めと言われた、釈尊の言葉を信じて宗 道臣師の教えを源として独立すべきだと結論付けました。

    多数が正しいと言うことばかりではありません。自らを信じて多くの仲間と共に準備を始めています。スムーズに武道団体として立ち上げるために二人の弁護士からアドバイスを受けましたが、現在の責任を果たしながら動いています。我々はもう先がいつまでもありません。ないからこそ一気に燃えて、次を託せる者をつくり出すつもりです。おかしいと思いながら大きな牛の尻尾にしがみついていく人生より、自分の意思で信念を持って進む生き方を選びます。青年は荒野を目指します。

    このコメントをご覧の本部の方、あなたの行動は本当に開祖が考えておられたことでしょうか。現状に疑問をお持ちの方には、恐れて、静かに黙っているのが開祖のお考えでしょうか?目を覚ましてください!

    水野先生のアドレスで是非、手をつなぐことが出来ればと思います。内戦派さん、あなたとは近いものがあります。もはや内なる改革は望めなくなってしまいました。

                   合掌




























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  104. 今は昔さん 長文の投稿有難うございました。

    何かを決意した今は昔さんの思い、心の中でモヤモヤしている人達には届くと思いますョ。

    一つ前の返信でも少し述べましたが、剣道や柔道の全国ニュースを見て何も感じないとしたら、それらの人の感性は私とはかなり異なります、私は単純に羨ましく思いました。少林寺拳法も本来同様な可能性はあったと思います。それが今では全く無理な状況になりました。

    開祖存命中の話ですが、日本武道館の鏡開きに出席された開祖が得意げに話されて居た事を思い出します。剣道連盟の師範が開祖に向かって「少林寺拳法は羨ましい、多くの若い人達が熱心にやっている、剣道は駄目だ!年寄りばかりで」と言う様な内容でした。

    その時開祖が得意げに自慢した拳士は、今ではお荷物でしょうか? その人達の頑張りがあったればこそ、今日の少林寺拳法連盟が有るのではないでしょうか。

    時代が移り、今では我々が剣道連盟を羨ましく感じる時代になりました。『その様なものは、羨ましくも無い』と言う指導者も居る事でしょう。『少林寺拳法は宗教団体であり単なる武道やスポーツでは無い』ですか。
    本当に心から信じてその様に言えるのであれば、続きを聞かせて下さい。では何なんでしょう、単なる武道やスポーツの何処が問題なのでしょう?

    開祖の受け売りをオウム(鳥ですよ)の様に繰り返しているだけで人が集まると真剣に信じている人は、それを続けて行けば良いと思います。そうは思わない人達が成すべき事は一つです、『アクション』あるのみでしょう。 

    返信削除
  105. 水野先生コメントありがとうございます。
    彼の地の組織が変遷したときにやめております。内戦派さんのおっしゃられていることはわかります。武道だけではなく、宗教性を帯びることに指導者は心地良さを覚えているのかなと思います。
    剣道は中継されても、彼の地の武道の大会は普通には話題にもならない。公共の施設から撤退していますし、宗教法人が主の団体ですから、そうなりますが、将来性は大丈夫なのだろうかと思います。

    返信削除
  106. empty さん 正直な書き込み有難うございます。

    貴方が組織の向かう方向と、謳う欺瞞性に失望して止められた気持ち良く分かります。 指導者すべてが宗教を前面に出して満足(納得)しているとは中々考えられませんが、自身の年齢や周りとの関係を考慮して声を上げないのが実状の様な気がします。

    その様な中にも、ここにも投稿されている拳法大好きさんや、内戦派さん等の様に現状を何とかしたいと言う気持ちを表明しておられる指導者が居る事も事実です。 

    私の気持ちはその人達が声を上げる事により、少林寺拳法が武道としての誇りを取り戻し、これまで培ってきた信頼を今一度取り戻す事が出来るか? その様な指導者にエールを送って居るのです。

    願わくば剣道や柔道の様に、その活動が全国にニュースとして発信される様な団体になって欲しいと考えますが、宗教団体を標榜する限りはあなたが指摘されるように無理な事でしょうね。

    返信削除
  107. ご隠居拳士2014/11/07 4:54:00

    宗教団体が行う武術が世間から相手にされるだろうか?
    そば屋のカレーライス、洋食屋のラーメン、サイドメニュ-としては面白いがこれだけで客が集まるだろうか?
    カレー専門店があり、ラーメン専門店がある現状で、サイドメニューのカレーライスやラーメンで人が集めれるだろうか?
    サイドメニュ-とは、専門店として人を集め、飽きさせないためのスパイスだと思う。

    本部が宗教を表にするのであれば、「金剛禅の教え」で人を集め、「拳法」はスパイスということになる。
    開祖曰く『どんなに良い教えでも、人が集まらなければ、広まらない。拳法の魅力で人を集め-----』とある。
    開祖が出来ないと判断したことを、チャレンジしようとするのだろうか? これはすごい!

    金剛禅の教えで、世間と勝負できる(人が集められる)道院長が何人いるのだろう?
    しどろもどろで、怪しげな宗教団体とレッテルを貼られないだろうか?
    金剛禅の教えで、世間と勝負できる道院長の数まで、道院の数は減少するだろう。

    そんなに組織の規模を縮小して、3代目は頑張れるだろうか?
    英国留学後、ダイキン工業が就職を受けてくれたのに、『記念大会を経験させたい』といって、蹴ってしまった。
    一般の拳士は、生活を支える職業をもち、その合間をぬって道院に通っている。
    この大変さが理解できるだろうか?
    道衣を着て汗を流さなければ、道衣を着る人の気持ちが分からないのと同じだ。
    道院運営経験、就職経験が無いとすれば、3代目は頑張れるだろうか?

    3代目のためには、とりあえず、少林寺拳法「専門店」を存続させることです。
    ドル箱少林寺拳法を存続させるためには、少林寺拳法の技術に明らかなる特徴が必要です。
    (六つの特徴は、他武道でも唱えられており、強力な差別化にならない)
    三法二十五系を早急に整備し、世界に類のない総合武術として打ち出しましょう。
    圧法、縛法、締法、等々、一刻も早く再編し、他武道との差別化を図るべきでしょう。
    サイドメニュー扱いした拳法で生き延びれるほど、世間は甘くありません。
    そうです、ここで必要なのは、かつて光り輝いた、武闘派の技術屋たちです。(ガンバレ~!!)
    しかし、時は過ぎ、今まで、あまりにも、あまりにも冷遇しすぎた、--------万策尽きたかも。(涙!)
    沈みゆく船に納得できない人は、新しい船を仕立てるべきです。
    リスクを背負ってチャレンジできる優秀な人達(リーダー)です。
    内部抗争だけは、やめましょう。  誰も喜びません。
    残る人は、出て行く人を温かく見守って下さい。
    皆さんの側(ソバ)に、剣道や柔道、合気道を始める人がいても、なんともありませんよね。
    隠居は、少林寺拳法以外の武術(他武道)もやりますよ、理論派も感覚派もみんな友達です。
    皆が隠居を友達と思っているか否かは不明、邪魔にならない程度の、タダのじじいかも(笑い)
    「別派」は「他武道」、皆で遊びに行きましょう!!(笑顔)
    結手

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  108. 水野先生コメントありがとうございます。
    初代を事業家としますと武道、思想家、家業などなどに分類できるように思います。武道としては、武道協議会に認められ拡大してきた。思想家としては、彼の地の武道をしている方には受けいれられた。家業として、子孫の職業が確立した。ビジネスモデルと考えると時が経ればどうしても陳腐化は避けられません。どんな企業であれ、代表者が変ったりして、陳腐化を避けて来ている。ところがビジネスモデルであるのにも関わらず初代のことばを絶対化すれば組織疲労が顕在化すると思われます。おそらく、初代は武道として隆盛を極めることを望んでいらした。水野先生が言われた剣道に対する言葉でもあきらかだと思う。初代は、明治生まれの男性として自己顕示欲があるように思う。だから、組織が拡大することを望んで、どんどん増やせ、ということをやって来たように思う。
    初代が生きた時代は武道が求められた時代なのかも知れない、空手も、合気道も、彼の地の武道も拡大再生産をしてきた。景気がよく、所得も右上がりであるのが幸いしたのかも知れない。ところが、景気も縮小気味で、大人も趣味にそれほどの時間を割けない中、変な方向に行けばやめる方が多くいてもおかしくないと思う。現状の認識が出来ていないような気がするのは気のせいなのかどうなのかと思う。彼の地の組織内にいると彼の地の考え方に違う考えをもっているとおかしい事なのかと思ったりする。組織のマインドコントロールなのかも知れません。案外、彼の地のその土地土地の指導者もマインドコントロールされてしまっているのかも知れない。

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  109. ご隠居拳士さん またまたキツ~イ、しかしウンチクある長文の投稿恐縮です。

    確かにサイドメニューでは行列の出来るレストランや食堂にはなり得ませんね。ラーメン屋さんにしても、カレー専門店でも他店ではまねの出来ないレシピが有るから人が集まるのだと思います。お好み焼きが形は似ていてもピザにはなり得ない事を、金剛禅を主張する指導者は良く考えてみる必要があるでしょう。

    人が集まらなければいくら良い教えだと言っても広まらない!真実でしょう。金剛禅で人集めが出来ると真剣に考えて居る指導者はご隠居拳士さんのご指摘の様にやってみれば良いと思います。その時にこそ言われるように金剛禅で人を説得できる道院長の数まで適正な規模になる事でしょう。

    ご隠居拳士さんが何処から得られた情報かは知りませんが、私が聞かされている情報では3代目は留学した子息ではないと思います。彼は全く別の道に進んでいるとの事ですから、ここでの扱いはふさわしくないと思います。

    確かにこれまでの組織は武闘派の先生達を大切に扱ってきたとは言えないですね。武道としての少林寺拳法が生き残る為には全国に散らばっている、数少ない本物の武闘派の指導者を束ねられるかにつきると思います。

    まだまだこれらの武闘派の指導者は少数ですが居ると信じますが、内戦派さんも言われる如くこれらの人達は本当に冷遇されてきました。是非スポットを当て、活躍できる場を設けて貰いたいものです。くれぐれも使い捨てはご法度です、何人もの素晴らしい洗掘者を使い捨てにした事を忘れぬように願うものです。

    最後にご隠居拳士さんが指摘される如く、他武道に移って行く拳士が居ても仕方の無い事です。又見切りを付けて新しく船を仕立てる指導者も居ると思います。でも敵になる必要などありません、おおせの様に別派は他武道、皆で時々楽しく遊べば良いのです。内部闘争等愚の骨頂ですね。

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  110. emptyさん 投稿感謝します、いつもながら鋭い分析ですね。

    開祖を知る世代はどんどん少なくなって居ます。宗道臣が説いた哲学がそれ程間違っているとは思いませんが。只言われるように歴史上は多少の脚色はあったと思います。その上で時代背景も手伝い、一代で非常に大きな組織に育てる事に成功しました。

    時代が移りパラダイムシフトが起きて居る事にも気が付かず、初代と同じ世界観を現代を生きる人達に、そのまま押し付けても上手く行くはずがありません。

    ご指摘のマインドコントロールは確かに存在すると思います。しかしこれもご隠居拳士さんが言われる如く大した縛りはありません、又emptyさん自身にも見られる様に、組織を離れてしまえば消えてしまう程度のマインドコントロールではありませんか?

    その事実に内部の人達が気付く様に、分かり易く説明してあげるのも良いのではありませんか。

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  111. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    マインドコントロールですが、私の場合、組織を離れて解けたのではないです。最初から初代の述べている教義に違和感があります。前にも述べました己こそとダーマは矛盾していたりしますし、おそらく、宗教に詳しい人もいますでしょうけれど、初代は武道の拡張のため、他宗教でも関係ないとする人でしょうし、大部分の人は武道として習っていますし、武道を習っていれば多少は我慢しようという考えでしょう。私も同じ考えでした。また、彼の地のお仕着せではない、バランス感覚のある見方は何かと知っていてれば、それこそ「おかしいことを“おかしい”」(これは二代目の言葉です。)と合理的に主張出来るのではないかと思います。

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  112. emptyさんコメント感謝します。

    emptyさんほど宗教的な知識の無い一般の拳士にとってはそれ程重要な課題ではない様に感じます。武道さえ指導してくれればそれ程大きな問題とは捉えていないと思います。

    しかしその様な人達にこそマインド・コントロールは作用します。中々自覚する事が難しい事なのです。又組織内に居る限りは仮にその事に気が付いても受け入れざるを得ません。

    ですから我々部外者に出来る事は、如何にその事に気づかせる為のメッセージを送るかくらいしか方法がありません。
    後は拳士自らがどの様に捉え、行動に移していくかに任せる以外に無いと思います。

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  113. 水野先生コメントありがとうございます。
    彼の地の武道の宗教についてインターネットの掲示板には議論されているケースがありますが、深い議論になっても彼の地の中心が述べているだけのことだけとか、議論を進めても武道にそんなこと要らないという話が多いです。ここからうかがえることは皆さん関心がないということかと思います。
    関心がないとすると彼の地の言うことに無判断になってしまいそうです。「己こそ」という言葉は法句経からとられていますけれど、法句経を読んでみたときある人は少ないと思います。おそらく彼の地の中心の方々も読んでいる方少ないのではと思います。皆様方ももしかすると信じてないけれど、体制を維持するためだけの知識なのかも知れません。

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  114. Emptyさん 投稿有難うございます。

    貴方が指摘されるとおり、組織内の宗教に関する意識(知識)はほとんどと言って良いくらい無関心派が現実の姿でしょう。でなければこれ程重要な課題(自分達のやっている事はカルト宗教ではないか?)に付いて、無関心で居られるはずもありません。

    その事を掌握している幹部は、なるべくそれらの方向に話が行く事を避けているのだと思います。この様な場が大きな影響を与える事は難しいかもしれませんが、少しでも多くの人達の目に留まるように色々な場所(ネット上)で訴え続けて行く事も大切だと思います。

    又ご指摘どおり組織の幹部においても、特定の人物を除いて宗教的知識は殆んど無いと思います。その様な人達が宗教論議に加われるはずもありません。又一部の宗教に詳しい幹部であっても、現在の組織の抱える矛盾を突かれれば答える事は難しいと思います。

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  115. 水野先生コメントありがとうございます。
    おそらく彼の地の武道は仏教を標榜していて、正統な仏教である、正統な禅であるということばが
    指導者にとり心地の良さを覚えていると思います。正統なということばは魔力を秘めていると思います。ところが法句経も読むことも推奨もしないですし、道訓と呼ばれるものが道教の経典の覚世真経のダイジェスト版であることもわかる方も少ないのではないでしょうか。
    正統であることがわかるためにはさまざまなものをわからないといけないと思いますが、由来を考えることも、知見を拡げることも彼の地の教えは拒否し、自分たちの教本、教範だけを利用し、試験の折には、武道とともに思想教育のアウトプットも試されます。中には踏み絵という人もいました。
    洞窟のイドラとか劇場のイドラも利用されているような気もします。

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  116. Empty さんのコメントには中々多くの拳士はついていけないと思います。私もemptyさんほど博識ではありませんので、『覚世真経』などを持ち出されると恐れ入りましたと言う事になってしまいます。

    少林寺の指導者が「正統な仏教である、禅宗であると言う言葉に心地よさを覚えている」、と言われる意見には?私は疑問に思います。むしろ彼等はその事を負担に感じている指導者の方が多いのではと思うのです。

    なぜならばあなたも指摘されるとおり、少林寺の教本と教範だけが頼りの知識である事を、本人が一番良く知っているからです。
    それまで(少林寺と関わる前)一度も真剣に宗教や仏教、禅と言うものを学んだことも無く、特に関心も無かった人がほとんどであれば、にわか仕込みの知識は否めません。宗教全般に係る知識の薄さは、道院長程感じていると思います。もしそうでなければこの様な無礼なコメントには厳しく対応して来るのではないでしょうか。

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  117. 水野先生コメントありがとうございます。
    覚世真経ということばを出しましたのは、実際に、覚世真経のテキストをご覧いただけれと
    思うからです。インターネットでこのことばを探しますとテキストがあります。ご覧いただければ初代はここから道訓を作ったのかとおわかりになるかなと思ったのです。失礼しました。
    私的には心地良さはあるのではと思います。初代のことばに既存の仏教を批判することばもありますし、もともと、動く禅であるとか、宗門の行であるとか、鎮魂行=座禅としていますから、自分たちこそ、真の仏教、禅であるとなってしまうのかなと思います。
    蛇足ながら、鎮魂行は神道から来ているのかなと思いますが、初代の宗教的世界は幅広く思います。ただ、二代目は武道ではなく、初代の宗教的世界を人々に伝えようとしているのでもないでしょうし、何をしようとしているのかよくわかりません。

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  118. Empty さん いつもカウンターのコメント有難うございます。

    只私と emptyさんだけのやり取りだけでは意味がありません。出来るだけ一人でも多くの問題意識を持った人達に加わって頂き、組織の持つ矛盾に焦点を当てた議論に深めて行く事が大切だと感じます。

    宗教論になってしまうと内戦派さんが指摘された様に「それらの議論に走る事こそが彼らの術中にはまってしまう事なのかもしれません・、組織改革=宗教と言う図式こそ・・彼らが書いたコントロールの道筋で・・ほとんどがその手法にはまってしまいましたが・・」とありましたが、確かにemptyさん程の宗教的知識が有れば論破される事も無いと思いますが、一般の指導者達はそれ程宗教に対する思い入れや知識は強くはないと思います。

    私はもっと簡単な矛盾について、例えば『己こそ己の寄るべ』のブログに投稿いただいた一主婦の方の様な、ごく初歩的な矛盾にフォーカスを当てた議論にしたいと願っています。勿論あなたの様な高度な宗教的知識を待った方の投稿も重要な意見だと思います。

    幅広い意見が出る場が必要です、本部側の意見が堂々とこの様な場に表明されるとは思いませんが、その様な時こそemptyさんの深い見識がひときわ重要な役割を担って頂けると確信して居ます。

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  119. 水野先生コメントありがとうございます。
    水野先生とのやりとりだけとは思っておりません。ここに書くことによって他の方もあたらしい視点からみていただけるかと思っています。
    宗教論は逆におもうつぼという意見もありますが、カルト的洗脳は宗教論に無自覚なことから
    おこると思っています。
    初代の思想に道教とか仏教とか、神道を入れたのは他の宗教から突っ込まれないためとは
    考えられないでしょうか。彼の地の指導者の方々はことあるごとに金○○と述べますが、このときも
    独自性を述べていらして、他の宗教は突っ込んでくるなよというような印象を受けます。

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  120. empty さん 有難うございます。

    カルト的洗脳は宗教論に無自覚な事が原因だと言われる解釈、確かに考えられる事です。しかしながら現役の拳士(道院長や支部長程)はすでに洗脳状態にある訳ですから、ここでの指摘には大きく反発を感じている事だと思います。

    オウム真理教に洗脳された少林寺拳士が居ましたね。地下鉄サリン事件では主犯格の一人とされ死刑判決まで出された事は衝撃でした。彼は現役の3段と聞いて居ます。オウムに入信する前は優秀な大学の拳法部で3段まで取った拳士が、何故あのような悲惨な犯罪に手を染めてしまったのでしょうか。

    関係者から聞いた話では当初はオウムに対して非常に懐疑的な青年だったそうです。しかしながら残念な事に簡単にオウムの信者としてカルト宗教に取り込まれてしまい、結果的に大きな犯罪行為にまで至った事を考える時、宗教に無自覚な事だけが原因では済まされない問題を含んでいます。

    一人でも多くの人達がカルト的洗脳から解き放され、又それから離れられない人達に救いの手を差し伸べてやることが大切な要因ではないかと思います。私達が住んで居る社会は基本的に自由が保障されている事。それは信教の自由と共にそれを放棄する自由も保障されていると言う事です。

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  121. 水野先生いつもコメントありがとうございます。
    大きな反発というのは感じられます。ただ、彼の地の教えを受けられる方々が、改めてこれは何?と思う時、オウム返しに教範だけの内容だけであればカルト的知識になると思いますし、思考停止するだけです。この思考停止こそ危ういと思います。その時に判断材料があればと思いました。実際、彼の地の知識が何からとられているのかどうかを見極めるのは膨大な時間がかかります。その労をいくらかとりのぞければと思いました。
    見たくないから見ないと言う方は自由ですが、知識は開かれていてもいいのではと思います。
    先生のあげられた優秀な方について、彼の地の宗教が氏を救えなかったということを訴えていた方がいらっしゃった文面が
    あったような気がします。なかなか考えさせられます。

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  122. emptyさん 少し忙しい時間が続きますので、タイムリーにコメントできなくなると思いますが、悪しからず。

    見た時にはなるべく早くカウンターを出すつもりです。

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  123. 水野先生。お久しぶりです。先ほど、このブログの話を聞き、投稿しました。何気に、自分の場合は、1991年に大学の拳法部に入るときに創部者である当時の先輩に「少林寺拳法は宗教だからね。単なる武道団体ではなく、教えを広めるために武道という手段を使っているんだよ」と聞き、その教えに感動して入門した人間なので、宗教については他の宗教と同じく違和感はありません。ただ、非常に違和感を感じるのは1992年くらいから財団法人化の話があり、現在の「参座日数は修行への出席ではなく、お布施(?教費)を収めたかどうか、ということになり驚いています。他の宗教でも、献金を収めた=信徒という扱いではありません。やはり、本来の開祖の教えである「人の質」を考え高めていくためには、現在の少林寺本部ではなく「別派を立ててやっていかなくては」と思っています。かつて山崎先生が「少林寺はまずは武道ですから・・」といった時点で、山崎先生の理解もそんなものか、と感じた記憶があります。税金の逃れの宗教法人、金儲けの財団法人、とご都合主義に走る時点で、少林寺拳法の本部は致命的な間違いを犯していると思う次第ですが、国内に正統派の開祖の教える団体の無いことを非常に残念に思う次第です。

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  124. 匿名さん 投稿有難うございました。

    「お久しぶりです」と言われましても残念ながら、匿名となって居ますので誰だか分かりません。この場に名前を出す事が不都合でしたら、右上のアドレスにて連絡頂ければと思います。

    純粋に開祖の教えを受け止めて、人生の指針として生きようと努力して居る拳士が居る事は事実です。ここの投稿にもその様な例を紹介いただきましたし、自分で社会にどの様に係わって、開祖の教えを生かして行く事が出来るのか摸索している拳士が居る事も知って居ます。

    その様な拳士達が最近の組織の方向に疑問を抱き、少林寺を去って行く事を残念に思っている指導者は沢山います。自分達の力ではどうしようもないとあきらめて見ぬふりをするのか、又何か出来る事はないかと模索している人達も沢山居ます。

    現在の少林寺拳法と言う組織に見切りを付け、自分達で新しい組織を立ち上げた人達から連絡を受けました。彼等の思いも全く同じでした。「開祖の残した教えを後進に伝えて行く為には、現在の少林寺と言う体制から決別する以外に方法が無かったと」相談されました。

    今週中に私も新しく思うところを書きますので、それを是非読んでください。そして又ご意見を頂ければと思います。

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